目次
1 覇王の教会
《祈りの星》、ムシカの町と山々が見えた。
八年前に訪れた時はデズモンドの操縦だった。
今回、初めて一人でシップを操縦して外に出たが、ここまでは順調だった。
何故、あの時、デズモンドは自分を選んだのか、単なる偶然か、それとも深い意図があったのか、それが心を捉えて離さなかった。
眼下の大地に降りればその理由もわかるのではないか、マリスはポートからの指示に従い、シップを停めた。
「連邦のシップですね」
シップに描かれた紋章を見たポートの係官が言った。
「連邦機専用のポートもムシカの町の反対側にありますよ」
「いえ、こちらで結構です」
マリスは思った。《青の星》で暮らしているとわからなかったが、あらゆる星が連邦と共に生きている、外は物凄い時代になっているんだ。
――『クロニクル』はこれまで以上に多くの人に読まれ……きっとデズモンドの口座にはギークが唸りを上げている。
そう言えばデズモンドは《霧の星》の『胸穿族』や《幻惑の星》のワンガミラのための財団を設立したと言っていた。正しい人が正しく財産を使う、簡単なようでなかなかできない事だ。
「……ですか?」
考え事をしていて係官の質問を聞き逃した。
「すみません、もう一度」
「観光ですか、巡礼ですか?」
「はい。できればバルジ教の方とお会いしたいのですが」
「ははは、町に入ればバルジ教の人間だらけですよ」
「そうですよね。僕がお会いしたいのは八年前のあの日にここにいらした方なのですが」
「八年前……ナインライブズですか?」
「ええ」
「うーん、どうでしょうねえ。とりあえず町に行ってみてもらって。一応お名前を……あっ、文月!」
「はい。僕の兄たちです」
「落ち着いて下さい。いいですか。落ち着いて」
「落ち着いてますよ」
「ああ、そうでした。今からゾイネン元太守に連絡しますので、ちょっと待ってて下さい」
係官はヴィジョンで話をしてからマリスに告げた。
「元太守がムシカの町の入口でお待ちになるそうです」
マリスはポートを出て町に向かった。
相変わらず人でごった返していた。
係官の言葉通り、町の看板の所に老人が立っていた。
「ゾイネン殿ですか?」
「……マリス文月殿ですね」
「こちらから行くつもりだったのですが、わざわざお迎えに来て頂き申し訳ありません」
「何をおっしゃいますか。他ならぬ文月の方が来られたのですから、当然です――で、本日のご用の向きは?」
「八年前のナインライブズの日、実は子供だった僕もここにいたんです」
「……そういえば、お子さんが二人ほどいらっしゃいましたな」
「僕以外にもですか。よく覚えてないな」
「あの日は皆、熱にうかされたような状況でしたからな」
「ゾイネン殿。帰ってきた兄妹たちも多くを語ろうとはしませんが、あなた、いえ、バルジ教はどうお考えですか?」
「何をでしょう」
「その……あの時、セキが言った『もう一度、九人で集まってナインライブズを出現させる』という一言とか」
「それはできない相談です。いみじくもマザーがおっしゃられたように全てが創造主の戯れなのだとしたら、もはやナインライブズは起こらない」
「そうですか。あれ以来、兄妹たちも意識してかどうか、九人で会う事がありません。ですがゾイネン殿のお考え通りであればたとえ九人集まっても何も起こらないという訳ですね」
「――ここで立ち話も何です。私の事務所に参りましょう」
「しかしすごい人の数だ」
事務所に通されたマリスは言った。
ゾイネンはマリスにお茶を振る舞うと、おもむろに話し出した。
「マリス殿、そして皆様は心配されていたのですね。出現したナインライブズによってバルジ教が変質、いや、衰えたのではないかと」
「そうです。現れたナインライブズは人々を救済する前に、A9Lと刺し違えた。それによって失望が広がったのではないかと」
「ありがたいですな。ですが心配は無用でした。九つの鐘が鳴り、ナインライブズの神々しい姿が現れただけで奇蹟です。バルジ教は以前にも増して信者の数を増やしておりますよ」
「ゾイネン殿はいつ、太守をお辞めに?」
「あの後、すぐです。正直申し上げて燃え尽きたのですよ。私の人生においてあれを越える瞬間など二度と訪れない、そう考えたら何も手につかなくなりました。宗教家としては失格、恥ずかしい限りです。今はこの星の責任者をやっていますが、連邦に任せっきりの状態です」
「人間くさくていいじゃありませんか」
「そう言って頂けると救われます。ところで私もマリス殿にお伺いした事があるのですが――」
「何でしょうか?」
「マリス殿は他のご兄妹とは少し年が離れておられる」
「僕はリンの実子ではありません。一言では語れないような経験をした結果、ここにいるのです」
「ふむ……言葉は悪いですが只者ではありませんな」
「本来であれば『悪の教会』に行くべき人間です」
「そうご自分を卑下なさるものではない――なるほど、やはり」
「ゾイネン殿、一体それが?」
「リン殿の行動は全てこの銀河を救済するため。何一つとして無駄はございませんでした」
「ですから、それが何か?」
「マリス殿が文月を名乗るには理由があるという事でございます」
「そんなはずはありません。僕がリンと知り合ったのも、文月を名乗っているのも偶然にすぎません」
「確かめてみませんか」
マリスはゾイネンに連れられ、九つの教会のある山々に向かった。
「ゾイネン殿。どちらに?」
「少し遠いですが、ご勘弁を」
ゾイネンは九つの教会のある山々の二つ目の山までを通過し、三つ目の山に入った。
「こちらになります」
三つ目の山の一番奥で立ち止まった。
「九つの教会は通り過ぎましたよ」
ゾイネンは無言で草をかき分けて道なき道を進み、マリスが仕方なく付いていくと、一軒の古い石造りの建物が見えた。
「これは何ですか?」
「『覇王の教会』と呼ばれております。他の九つの教会と違って中に入る事さえままならぬのでこのように草生しておりますが……」
「僕を試そうというのですか?」
「はなはだ無礼かとは思いますが……おや?」
「どうされました?」
「つい最近、ここに誰か来たようです。ご覧なさい」
確かに石でできた扉の前には数輪の野の花が置かれていた。
「後で調べておきましょう。ここの場所を知る人間はごく僅かですからな」
「で、僕は何をすればいいのですか?」
「そうでした。マリス殿であればこの開かずの扉を開ける事ができるのではないかと思いましてな」
「一度も開いた事がないのでしょう?」
「ウシュケー様に始まる教会の歴史の中でそのような記録はございません」
「――では無理です。期待しないで下さい」
そう言ってからマリスは草のからまる重々しい観音開きの扉の前に立った。
両手を扉に添え力を入れると、扉がきしむような音を立て、じりじりと開き始めた。
「おお、やはり。これはセキ殿が『人の教会』の鐘を鳴らした時に匹敵する奇蹟です」
「このまま開けて中に入りますよ」
とうとうマリスは扉を開け放った。
薄暗い教会の内部に一歩、足を踏み入れたが、鐘が鳴り出す訳ではなかった。
マリスはすぐに外に出て、二、三度咳き込んだ。
「――ここまでですね。僕は兄妹のように覚醒した訳ではないですから鐘が鳴るはずもありません」
「十分でございます。この鐘が鳴る時はすなわちマリス殿が覇王として――」
「僕が覇王?冗談は止して下さい。これはきっと何かの前兆なだけであって、覇王になるという意味ではありませんよ。そもそも覇王とは何ですか?」
「……うーむ、確かに。そう言われると返す言葉もありませんな」
マリスとゾイネンは事務所に戻った。ゾイネンは花を供えた人間の正体について管理部の人間に訊いて回ってマリスの下に戻った。
「数日前に九つの教会ではない教会の場所を尋ねた若い女性がいたようです」
「若い女性?」
「名前まで聞かなかったようですが、その方で間違いないでしょう。しかし『覇王の教会』を知っているとは。教徒であっても知らないというのに」
「やはり何かの前兆かもしれませんね」
「そうですね。マリス殿、お願いがあります」
「兄妹の時と一緒ですね。又、ここに立ち寄れと言うのでしょう」
「何卒、よろしくお願い致します」
「いいですよ。ですが僕は覇王などではありませんからね」