7.7. Story 2 ロクの旅

 Story 3 《智の星団》

1 始宙摩寺

 門前仲町の市邨の屋敷を始宙摩寺の明海が訪れた。
 昨晩、東に奇妙な波動を感じた大海の言い付けで急いで駆け付けたのだと言った。

「明海さん、実は――」
 ロクが屋敷の庭で昨夜起こった事を伝えると明海は驚いた表情になった。
「そうでしたか、そんな事が……ですがあなた方は善行を施しましたね。マリス君は救われなければいけない子、二十年かけて親子二代でそれをやり遂げたのです。ですがこれからどうなさるおつもりですか?」
「とりあえずこの屋敷で預かってもらおうと思っています」
「差支えなければ始宙摩で引き受けましょう。東京は刺激が多すぎます。今のマリス君に必要なのは、落ち着いて精神を成長させる事」
「ちょっと待って下さいね。もえちゃんと本人を呼んできます」

 
 もえがマリスの手を引いて庭に降りてきた。朝稽古を終えた美木村も顔を出した。
 ロクが明海との会話の内容をもえに伝えた。
「……そうね。ここだと何かと物騒かもしれないし。その方がいいかもしれないわ」
「美木村さんじゃあ、真っ先に刀の使い方を教えそうだしね」
 ロクが言うと美木村は不満そうな表情をした。
「おいおい、おれを殺人鬼みたいに言わないでくれよ」
「うふふ、マリスはどう思うの。決めるのはあなたよ」
「うーん、もえやセキとはなれるのはいやだけど、そっちの方がいい子になれるなら山に行く」
「――わかったわ。マリスは私たちを守れる大人になりたいんだもんね。山に入ればそれが見つかるわよ」
「ねえ、明海さん。強くなれる?」とマリスが尋ねた。
「心が強くなる。身を守るための拳法も習える、もちろん、もえさんやセキ殿を守る事もできます」
「じゃあ行く」

「決まりね」ともえが言った。「でもおじいちゃんが淋しがるだろうな。ひ孫ができたって喜んでたし。まあ、私の子供を見せてあげればいいか」
「お、お嬢さん」と普段冷静な美木村が声を裏返して言った。「そりゃ、本当ですか?」
「冗談よ――ねえ、マリス。あなたはセキやロクにとっては一番の末っ子だけど、あたしの子供から見れば一番のお兄さんになるのよ」
「ぼくがお兄さん?」
「そうよ。美木さんの所の美夜ちゃんだってまだ一歳だからマリスの妹よ。一番上のお兄さんとしてしっかりやってね」
「もうみんなに会えなくなるの?」
「明海さんをご覧なさい。頻繁に山を下りてきてるでしょ。私たちも遊びに行くわ」
「うん、わかった」

 
「では」
 明海はそう言って出発しようとしたが、来た時から気になっていた庭に置かれた直径二メートルほどの楕円形の金属製の物体について尋ねた。
「ところでこれは何ですか?」
「ああ、それはぼくの乗り物。ポッドって言います」
「普通のシップとは違うんですね」
「ええ、隕石などの衝撃に強いんです。その分スピードが落ちるのが普通なんですけど、ぼくはシップに負けないスピードが出るポッドを自作したんですよ」
「どこか危険な場所に出かけるつもりですか?」
「ぼくは行方不明のある冒険家を探したいんです。彼はこの星から《智の星団》に向けて出発したきり、四十年間、音信不通なんです」
「ああ、デズモンド殿ですね」
「えっ、明海さん。デズモンドをご存じですか?」
「直接お会いした事はありませんが、私の師の大海は何度か会っているはずです。それに絵が残っているので、会ってないのに会ったような気になっていますね」
「絵?」
「ええ、始宙摩の『無限堂』の壁画です。デズモンド殿がモデルの絵が飾ってありますよ」
「どうしてですか?」
「話せば長くなりますが――」

「ああ、いいです。どうでしょう。ぼくのポッドで始宙摩に行くというのは?」
「ロク殿も一緒にいらっしゃると?」
「ええ、マリス、ポッドに乗りたいだろ?」
 マリスは目をきらきらさせて大きく頷いた。
「じゃあ決まりだ。一緒に行きましょう。景色を見ながらなので五分後には着いてますよ」
「わかりました。ものの数分で着いてしまうのはすごい事だな」
「明海さんはここまでどうやって?」
「拙僧も恥ずかしながら空を――」

 
 ばたばたと出発が決まり、マリス、明海がポッドに乗り込んだ。
「本当は一人乗りなんですけど、デズモンドを救出した時のために二人乗れるようにしました。少し狭いかもしれませんけど我慢して下さい」
「ロク殿。これではいけません。話によればデズモンド殿は二メートル近い巨体。もう少し大きくないと」
「本当ですか。いい事を聞いた。早速、改造しないと」

 ロクもポッドに乗り込もうとしてもえの方を向いた。
「もえさん、セキは?」
「すやすや寝てますよ。起こしましょうか?」
「いや、いいです。あれだけの怪我をしたんだ。ゆっくり休ませてやって下さい」
「そうですね。またすぐに呼び出しがあるんでしょうけど」
「次にセキに会うのはいつになるかな」
「ロクさん、気をつけて」
「ありがとう。セキによろしく伝えて下さい」

 
 ロクのポッドはマリスに景色を見せながら十分後に始宙摩の山に到着した。
 異次元の結界を抜けて山に入ると明海が言った。
「まずは師の大海に会って下さい。きっと待っているはずです」
 玉砂利の敷かれた巨大な本堂の前で大海が待っていた。
「ふむ、来たの。おや、そちらは文月の?」
「はい、四番目のロクです」
「――これから何かを成し遂げようとするよい顔をしておられる。で、こちらが――」
「はい。この子が昨夜の波動の主、マリスです」
「ほぉ、マリスとやら。こっちに来てこのじじいに顔を見せてくれんか」

 マリスは進み出て、腰の曲がり始めた大海の前に立った。
「ふぅむ、これは世にも稀なる相。覇王となるか、冷酷な殺戮者となるか、すべては育ち方次第。明海、よくぞ連れ帰った」
「私は言われたままを実行したまでです」
「昨夜はこの子以外にも奇妙な波動が幾つも感じられた。実は一触即発の状況だったのだよ――ところでロク殿、ここには用事があって参ったのであろう」
「はい。絵を拝見しに参りました」
「絵……『無限堂』の絵か。わかりました。明海、案内して差し上げなさい。マリスはじじいと一緒に来るがよい。山を案内してあげよう」

 
 ロクは明海に案内されて堂に入った。外から見ると小さな堂だったのに中に入ると、狭い廊下が九十九折に山の頂上のはるか上までどこまでも果てしなく続いていた。
「この廊下の両側に絵が飾ってあります」
「一体誰が何のために描いた絵ですか?」
「大事な事を説明していなかったですね。この山を開いた弘法大師は未だご存命で、何か大きな出来事が起こると壁に絵を描かれるのです」
「存命?ではお会いできるのですか?」
 ロクが尋ねると明海は静かに首を横に振った。
「それは無理です。大師は我々の手の届かない別の場所にいらっしゃいます」
「――不思議ですね。大分不思議な事を見てきたぼくでもそう思うのだから、この星の人には到底理解されないだろうに。一体誰のために描いているのだろう?」
「あなたのように次元の壁を乗り越えてここに来る事ができる人のため、としか申し上げられません」
「この星は不思議だ。連邦加盟が認められず、他の星との交流も未だできていないのに、一方では大帝やぼくの父を生み出し、デズモンドが長期滞在をしている。計り知れないほど大きなインパクトを銀河に与えているんですよ」
「私はこう考えるようにしています――この星は砂時計のくびれ、全てのものが通る場所なのだと」
「――詩的すぎて、ぼくにはちょっと」
「さあ、絵の説明をしましょう」

 
 明海は左の壁の絵を『羅漢来訪ノ図』から順番に説明していった。
「――で、これが『史聖入山ノ図』、描かれているのがデズモンド殿です」
 ロクはまじまじと絵を見つめた。確かに無精ひげに短髪の巨体の男だった。にしても隣の美しい女性は誰だろうか?
「この絵には謂れがありましてね。初めは『史聖来訪ノ図』という名でデズモンド殿お一人しか描かれていなかったようです。ところがある時を境に今のような図に変わったといいます。デズモンド殿はこの絵を見て、すぐに他の星に行ったのではなく、この絵の通りに山に行き、隣のご婦人と所帯を持たれたのだという話です」
「えっ、デズモンドが所帯を。では子供もいるんでしょうか?」
「ああ、ロク殿はティオータ殿に会っていないんですね」
「ティオータ……確かケイジがいた地下組織の」
「そうです。最長老の一人です。彼が息子の能太郎君を預かって、その彼も結婚し、今はジウラン君という孫もいるはずですよ」
「……知らなかった」
「そうですよね。銀河の歴史を紡ぐ役目のデズモンド殿がおらず、この星も大きな戦争やらでごたごたしていた。他の星にいたら、この星の事など誰も気にかけません」
「ところでまだ絵は続きますか?」
「はい。もう少しだけ」

 ロクと明海は急勾配の廊下を飛びながら次の絵に移動した。
「これが『四邪覚醒ノ図』、次が『七聖再臨ノ図』、初めの絵にはおじい様である大帝が、次の絵にはリン殿が描かれていますよ」
「なるほど。で次は?」
「『虚誕九生ノ図』と『九生探石ノ図』です」
 明海は数か月前にセキにしたのと同じ説明を繰り返した。
「で、その次は?」
「これ以上は描かれておりません」
「――おかしくありませんか。ごく最近に経験したあの事件の絵がないのは?」
「ロク殿のおっしゃるのはこの星の物の怪が復活した事ですね。確かに不思議ですが、その内描かれるのではないでしょうか?」
「右側の壁の絵はそうではないんですか?」
「右の壁画はデズモンド殿をもってしても意味がわからなかったような有様で、ほとんどの絵が真っ黒な背景に赤い蠍が描かれているだけのものです」
「――きっと何か意味があるんでしょうね」
「おそらくは。ですが今の所、絵に符合する事件が起こったという訳ではありません」

 
 ロクと明海は無限堂を出た。大海がマリスの手を引いて歩く姿が遠くに見え、二人とも思わず吹き出しそうになった。
「ただのおじいちゃんと孫ですね」
「マリスは不思議な運命の子です。あの若さで一度死んで、二十年の時を経て蘇った。きっと何かを持っています。マリスをよろしくお願いします」
「謹んでお受け致します――ではロク殿、旅のご無事を祈念しております」

 

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