目次
1 交わる心、すれ違う心
母たち
ロクとくれないはホーリィプレイスに向かった。ハクが離脱し、コクとヘキが何かとんでもない事に巻き込まれたのがわかった状況の下、マザーに道を示してもらうためだった。
ナーマッドラグにある天井の高い教会はドリーム・フラワーの中毒患者の仮設療養所となっており、ベッドが所狭しと並べられ、白衣の男女が忙しそうに走り回っていた。
むらさきがロクたちに気付いてやってきた。
「ロク、くれない。大変な事になりましたね。でもあなたたちの力でドリーム・フラワーの流通が止まれば、ここに来る人の数も減る。そうすれば私も少しは身動きが取れるようになりますわ」
「いや、むらさきはこの患者さんたちのケアを続けてくれた方がいい。でも治療は可能なのかい?」
ロクが尋ねるとむらさきは首を横に振った。
「普通の病気ではなく、本人の意志の問題ですわ」
そこにミミィがやってきた。
「ああ、ミミィ母さん」
「お久しぶり。あなたたち、マザーに会いに来たんでしょ。こっちにいらっしゃい。むらさきも一緒に」
ロクたちは一軒の屋敷に通された。二階の日当たりのいい部屋にベッドが一つ置いてあり、そこではマザーがすやすやと寝息を立てていた。
「最近はこうして眠っている事が多くて」とミミィが言った。「なかなか目を覚まさないのよ」
「そうでしたか」
ロクが肩を落とすのを見てミミィが付け加えた。
「でもこの間、目を覚ました時に言ってらしたわ。『むらさきを連れてネコンロに向かいなさい』と」
「ネコンロですか?」
「そう。リンが山を破壊してから二十年、元の山頂のあった場所に鎮魂の塔が建っている。リンの子供であるあなたたちはそこに行かなければならないって事ではないかしら」
「わかりました。早速向かいます」
「そうしなさい――ところであなたたち、葵には会ったの?」
「いえ、バタバタしてて」
「ヴィジョンで構わないから話をしておきなさいね」
屋敷の外に出たロクはヴィジョンを入れ、空間に葵の顔が浮かんだ。
「おや、珍しいメンバーよのぉ」
「葵母さん、ごぶさたしております。茶々はまだ《青の星》です」
「『草』を死なせた責任を感じておるようじゃ。あちらの忍びの術を修練しているらしいが――で、お主たちは?」
「この星のドリーム・フラワーの殲滅のために……はっ、もしかすると『草』が各地に先回りしていたのですか?」
「JBに頼まれてのぉ」
「じゃあヴァニタスも?」
「……何じゃ、それは?」
「ねえ、葵ママ、もしかすると、もしかすると……」
くれないが一段高い声で言った。
「『もしかすると』だけではわからんわ」
「ヘキもそこに?」
「『ウィロノグラフ』だったか、何と呼ぶのか知らんが、あれをJBが使ったおかげで研究所の爆破の直撃は免れたようだったが、ひどい怪我を負ってな、しばらくこっちの里で静養しておった」
「で、ヘキは今?」とロクが尋ねた。
「そちらに向かっておる。もうすぐそこに着くんではないか?」
「葵母さん……」
「何じゃ」
「ありがとう」
「子供たちを守るのは当然じゃ。礼を言われる筋合いではない」
「母さん」
「それに『草』たちも我が子同然。お主らも仲良く、いや――この里もそろそろ変わる時。あ奴らにも外の世界を見せてやってくれ」
「母さん、それはどういう――」
ロクの言葉はくれないの絶叫でかき消された。
「ねえ、ヘキだ。ヘキが来るよ」
「じゃあ母さん、これで」
ロクはヴィジョンを切り、くれないの後を追いかけてヘキの下に向かった。
ヘキは仔犬のようにまとわりつく、くれないに迷惑そうな表情をしたが、振りほどこうとはせずに立っていた。
「あんたたち、頑張ってるみたいだね」
「ヘキ、もう体は大丈夫なのかい?」
追いついたロクが尋ねた。
「もうすっかり元通りだよ。むらさきもここにいるって事は時間ができたんだね?」
「ええ、ロクとくれないのおかげでドリーム・フラワーの流通が壊滅状態に追い込まれましたから」
「へえ、さすがは『緑と赤の騎士』だこと。ハクとコクは?」
「それがね――」
くれないがダーランでの一件をヘキに話した。
「ふーん、そんな事情があったんだね」
「ひどいと思わないかい?」とくれないが言った。
「あたしにはわかる気がするよ。ロクはどう思った?」
「ぼくもそう思ったよ。皆、人生の分かれ道に差しかかっているんだなって」
「コウやセキみたいに強くなれるかどうかの通過儀礼。九人も兄妹がいるんだから色々なやり方があるんだよ――ハクはちょっと心配だけど」
「じゃあもう皆で一緒に戦えないの?」とくれないが言った。
「さあね。あたしにわかる訳ないじゃないか」
「それより皆さん、そろそろネコンロに向かいましょう」
むらさきの言葉に従って四人は北のネコンロを目指して出発した。
鎮魂の地
ヘキたちは二十年前に水牙とGMMが通った山道を登ってネコンロに向かった。二人が突破した詰所跡を抜け、しばらくするとなだらかな丘が見えた。
かつてここには下界を睥睨する錬金塔が不気味な姿を見せていたが、リンが消滅させ、現在はその欠片すら残っていなかった。険しい山の山頂も平らに整地され、草木が生い茂っていた。
塔があった場所にはマンスールの犠牲になった人々を追悼するための白い石造りの鎮魂の塔が建てられていた。
四人が塔に近付くとすでに先客がいて、こちらに背中を向けて祈りを捧げていた。
「……ハク」
声に立ち上がって振り向いたのは、以前ロクたちが会った時と同じく、濁った眼をして、無精ひげを伸ばした金髪の男だった。
無言のままよろよろと歩きながら立ち去ろうとするハクにくれないがむしゃぶりついた。ハクは抵抗する事もなく地面に尻餅を着き、ポケットの尻に忍ばせていたアルコールの小瓶が割れ、辺りにはぷぅーんと酒の匂いが満ちた。
「何だよ、ハク。どうしたんだよ。いつものかっこいいハクに戻ってよ」
くれないが半分泣き顔になりながらハクの胸を何度も叩いた。
ヘキ、ロク、むらさきは黙ってこのやり取りを眺めていた。
「くれない、もう止めておきな――」
ヘキがくれないを引きはがそうとした時に、頭上がいきなり曇り、轟音が聞こえた。
慌てて頭上を見上げると一隻の大型シップが空中に漂っていた。
「――大型シップが何故、こんな場所に。治安維持隊に見つからずに外からやってくるのは不可能なはず」
シップの側部の扉が開いて一人の男が地上に降りてきた。
長い黒髪の男は地上に降り立ち、五人をかわるがわる見た。
「……コク」
「こんな場所で涙の再会か。相変わらず甘ちゃんだな」
コクはそう言ってから尻餅を着いたままで呆けた表情をしているハクを哀れそうに見つめた。
「コク、あんたこそ何しに来たんだい?」とヘキが尋ねた。
「知れた事よ。お前らと同じで石をもらいに来たんじゃねえか」
「えっ、石だって?」
「ははーん、その顔見ると何もわかってねえな。まあ、いいや。石は頂いてくぜ」
「……頂いてくって。あんた」
「おっと、紹介が遅れたな。俺は今はヴァニタス海賊団の副船長だ」
「ヴァニタス?」とロクが大声を出した。「ダーランのドリーム・フラワーを殲滅させた人たちなら、ぼくらの味方じゃないのかい?」
「だから甘ちゃんだって言うんだよ。あそこの市長はドリーム・フラワーの儲けを独り占めしていやがった。気に食わないから処分しただけだ」
「ヴァニタス、そしてあんたは敵っていう訳だね?」とヘキが言った。
「まあ、そういう事になるかな。石はどこにあるんだ。早くしねえと船内にいる荒っぽい奴らが降りてきちまうぜ。お前ら、病み上がりに回復専門、それにアル中じゃあ勝ち目はねえぞ」
「石ならここにあります」
突然にむらさきが声を上げ、鎮魂の塔に向かって歩いていった。
むらさきは塔の傍で座り込んでいたハクとくれないに静かに微笑んで、塔の正面で祈りを捧げ、何かを呟いた。
すると祈るむらさきの頭上に白と黒のグラデーションの石が浮かび上がった。
「おお、あったじゃねえか」とコクが嬉しそうに言った。「じゃあもらってくぜ」
コクがむらさきの頭上にあった石をむしり取るように手に取った瞬間、むらさきがコクを見上げて悲しそうに言った。
「その石はArhatアウロの力、” Soul Summon ”。死者と対話する力、兄さんに使いこなす事はできないわ」
むらさきがそう言って小さく微笑むと石を手に取ったコクの様子が一変した。
「……な、止めろ。止めてくれ。ぬおぉー!」
コクは石を取り落し、苦しみ、地面をのた打ち回った。ようやく膝立ちで起き上がり、肩で大きく息をした。
「むらさき、力を『行使』しやがったな」
「この地で亡くなった人々の魂を呼んだだけですわ」
「許さねえぞ――」
コクが剣を抜き、むらさきに向かおうとした時、上空のシップから声が響いた。
「コク、そこまでだ。総攻撃の時間が迫っている。上がってこい」
コクは軽く舌打ちをしてから剣を腰に納めた。
「命拾いしたな。その石はお前らに預けておくよ。今度会った時に他のも含めて根こそぎ頂いてやるからな」
そう言って上空のシップに戻ろうとしたコクは立ち止まって振り返った。
「おい、ハク。俺が乗ったシップの窓をよく見てるんだな。面白いもんが見れるかもしれねえぞ」
コクを乗せた大型シップは一旦超低空に降りて、ようやく立ち上がったハクの目の前をゆっくりと通り過ぎていった。
コクはぼんやりと通り過ぎる窓を見つめていたが、一つの窓によく知った顔があるのを発見した。
「……マ、マーガレット!」
窓に顔を寄せたマーガレットの表情はハクに何かを訴えかけているようだった。
ハクは無我夢中で過ぎていくシップを追いかけたが、もう少しでシップに手が届きそうになったその時にシップの姿は忽然と消えた。
「マーガレット、マーガレットォォォ!」
ハクは跪いたまま、地面を叩き絶叫した。
むらさきは”Soul Summon”の石を拾い上げ、ヘキとロクの下に歩いていった。くれないも跪くハクをちらっと見てから二人の下に向かった。
「何だか大変な事になっちゃったね」とくれないが言った。
「あたしはある程度は覚悟してたわよ」とヘキが言い、珍しくくれないの頭を撫でた。
「それにしても」とロクが言った。「総攻撃って言ってたけど」
「胸騒ぎがするね。ヴァニタス海賊団とは何者なのか、何で石の存在を知っているのか、あの大型シップを自由に出したり消したりする力も謎――もうしばらくこの星にいましょう」
「ハクは……?」とくれないがおずおず尋ねた。
「放っときましょう。色々あるみたいだし――それに、今の状態じゃ足手まといにしかならない」
四人はハクを残し、塔に祈りを捧げてからホーリィプレイスに戻っていった。