目次
1 竜王の娘
沙虎
コウが一人降り立ったイーストと呼ばれるリージョンの広大な大陸では秩序が失われているように見えた。
ハクからの聞きかじりの知識に基づけば、元々ディエムに対して反抗的だった幾つものイーストの国が『ディエム戦争』によって混乱状態に陥ったらしい。
それを救ったのが養万春という男だったが、その男も数年前に殺され、再び混乱が訪れた。
ドリーム・フラワーの一件もあって連邦の援助が後手に回ったため、この地域の住人は連邦に対して好感情を持っておらず、今回の魔物が蘇った騒動でも情報収集すらままならないらしかった。
空から大陸を見下すと、北西にある山脈、そこから東に行った所の大都市、南に下った広大な河、あらゆる場所から邪悪な気配が感じら取られるようだった。
「乗り込む前には情報収集が必要だ。おれも少しは成長したな」
もう一か所、大陸の南方にある大都市からも尋常でない気配が漂ってきたが、それが邪悪なものかそうでないのか見当がつかなかった。
コウが選んだのはその不思議な気配を醸し出す南の都市に近い場所だった。
車が無残に乗り捨てられた高速道路を横目にしばらく歩くと、滔々たる大河に突き当たった。
「これが河か。おれみたいな砂漠で育った者には海との区別がつきゃしねえなあ」
しばらく大河の流れを眺めていると背後から声をかける者があった。
「旦那、渡りたいんですか。だったらお手伝いしやすぜ」
振り向くとそこに立っていたのは全身緑色の奇妙な男だった。頭のてっぺんの髪の毛がなく皿のように禿げ上がって、手足には水かきらしきものまで付いていた。
「お前、誰だ?」
コウは怪しみながら尋ねた。
「あっしはこの河に棲む沙虎(さこ)っていうつまらねえもんです」
こんな奴まで” Resurrection ”で蘇ったのか、コウは半ばあきれて問い質した。
「で、どうやって河を渡してくれるんだ?」
「へい。あっしの背中に乗って渡っていきやす」
「ふーん、それで途中で『金寄越せ』と脅して、最後は河の中に『どぼーん』か」
「ご冗談言っちゃいけやせんぜ。そんな事する訳ないじゃありやせんか」
「おれがお前だったらそうするけどな」
「それなりの金額払ってくれりゃ、ちゃんと渡しますよ。『地獄の沙汰も金次第』って言うでしょ」
「たくさんの車が乗り捨ててあるけど、お前がやったのか?」
「またご冗談を。今、東に鬼女、南に魔王、西に暴君、この大陸中に魔物がひしめき合ってんでさあ。大方、その内の誰かがやらかしたんですよ」
「面白そうだな。もっと聞かせてくれよ」
「ただって訳にはいかねえなあ――それより渡りたいのか渡りたくないのか、どっちだい?」
「ああ、渡るけど助けは要らない。空を飛べるんでな」
「何だって……じゃあ旦那がじいさんの言ってた男か?」
「ん、そりゃ何だ?」
「……何でもねえよ」
「言いかけたなら最後まで言えよ。言わねえとこの砂塵剣でその頭の皿を干上がらせるぞ」
「乱暴な人だなあ。ここから海を越えた小さな島に住むじいさんがそう言ったんだよ」
「そこに行こうぜ。お前は今からおれの舎弟だ。おれの名はコウ、案内しろよ」
「えっ、陸地に長い間いると頭が渇いてミイラになっちまうから無理……なんて許してくれねえ顔してんなあ」
「行くぜ。向こう岸で待ってっからよ」
コウは空に飛び上がり、河を渡り始めた。
河を渡り切った場所でコウは沙虎の到着を待った。
「おっせえなあ。まあ、あんな奴を信じる方がどうかしてるか」
あきらめて行きかけた時、水面から沙虎が上がってきた。
「コウの旦那、お待たせしやした」
「ずいぶん時間が――って何だ、お前のその恰好」
コウは沙虎の腹と言わず背中と言わず水の入ったペットボトルを体に巻き付けた状態に息を呑んだ。
「へっへっへ。これなら頭が渇いた時に水を補給すりゃいいって寸法だ。さあ、行きやしょうぜ」
海が見えた。
「この先の島だな。行こうぜ」
コウが声をかけると沙虎は困ったような表情になった。
「何だよ、また水なんだから喜べよ」
「それが旦那、あっしは海水がだめなんでさあ。塩水を頭に浴びると干上がってミイラになっちまうんで」
「めんどくせえ体だなあ」と言ってコウは意味ありげに笑った。「でもいい事聞いたぜ」
「あっ、旦那。何か企んでやすね」
「塩水でミイラなら炭酸水や酒だとどうなんのかなあって思ってな。楽しいじゃねえか」
「止めて下さいよ。人をおもちゃにすんのは」
「空を飛んでくからおれに捕まれ。頭が渇かねえようにしろよ」
迷宮
島にはものの一分で到着した。ここにも人の姿はなく、車が至る所に乗り捨てられていた。
「ここもひでえな。来る途中で左手に見えた大都市、あれがさしずめ南の魔王の棲家か?」
「そうなんでしょうねえ。おいらは水の中に隠れてたから助かったけど、襲われたら一たまりもねえ」
「お前も蘇った魔物なんだろ?」
「よくわかんねえっす。草原の英雄みてえな立派な人もいるみたいだし、一概に悪いのばっかりでもない――これから会うじいさんに聞けば何かわかるんじゃないすか?」
「そうだな。人がいそうな場所に行ってみるか」
島の中央部付近にアパートが城塞のような形で寄り集まった異様な一角が忽然と姿を現した。
「何だこりゃ、ここだけ雰囲気が違うな」
「そうですね。怪しいっす――あ、今じいさんの姿がちらっと見えました」
「本当か……お前はここにいろ。おれ一人で行ってくる」
コウは沙虎を残して一人でアパートの中に入っていった。
「どこに行った」
四方を見回すと視界の端に動く物が映った。
「そっちか」
コウは見え隠れする老人の後ろ姿を追った。角を曲がり、階段を登り、追いかけたが一向にその距離は縮まらなかった。
「ちきしょう、どうなってんだ」
どのくらい追跡劇が続いたろう、道は細くなり、角を曲がる回数が増えたが、突然に行き止まりの部屋に出た。八畳ほどの部屋には誰もおらず、中央に人が一人入るくらいの蓋のついた箱が二つ置いてあった。
「これは……どう考えたって箱を開けろって意味だよな」
コウは無造作に右側の箱に近寄って蓋に手をかけたが、電気に打たれたようにその手を引っ込めた。
「ふぅ、あぶねえ。こっちの箱には見ちゃいけねえもんが入ってる気がする」
コウは呼吸を整えて左側の箱に慎重に手をかけ、蓋を開けた。
果たして何も起こらず、一本の棒が箱の中に入っているだけだった。コウは素材のわからないその白っぽい棒を箱から取り出し、手に握った。思ったよりも軽いその棒は長さ一メートルほどあった。
背後で声がした。
「よしよし、ここまでは順調なようじゃ」
コウは相手が誰かを察し、振り返らずに返事をした。
「じいさん、おれをここまで連れてきて何をさせたいんだ?」
「ふむ。一旦元の場所に戻ろうか」
謎の老人
声がした途端、コウはアパートの入口に戻っていた。
「コウの旦那。このじいさんですよ。おいらに声をかけたのは」
コウは棒を手にしたまま、ゆっくりと老人の方を向いた。ヤギのように長いひげと垂れ下がった眉毛で目が隠れて表情が読み取れなかった。
「じいさん、名は?おれの事はもう知ってるだろうが文月コウだ」
「さて、大樹老人とでも言っておこうかの」
「何の目的でおれをここまで導いた?」
「おんしが持ってるその棒、それを手に入れさせるために決まっとる」
「これが……どんな由来があんだ?」
「かつてこの星に竜王、羅漢ウルトマじゃな、が暮らした時期があった。竜王はこの星を去るにあたり、自分の肋骨の一部を削って、その『竜王棒』をこしらえたのじゃ」
「これがおれの得物か?」
「それがあればおんしの弟に引けは取らなくなるぞよ」
「――どうしてセキを?」
「そりゃあ、近々この地に来るからのぉ」
「って事は、日本はカタがつくのか――あんた、何者だ?」
「言ったろう、樹上仙人じゃ」
「さっきと名前が違うじゃねえかよ」
「そんな事よりも」と老人は言っていつの間にかそこに現れた隣の若い女性を指差した。「この女性こそ竜王の娘、順天公主じゃ。いわばその棒の本来の持ち主じゃな」
「竜王の娘?」とコウは言って女性を見た。どちらかと言えば美しい人間の女性で龍っぽさは微塵も感じられなかった。
「不思議に思われてますわね」と公主が鈴を転がすような声を出した。「父はウルトマですが、母はこの星の太古の精霊。私はいわばハーフですわ」
「何だ、そういう事かい――おい、待てよ。あんたたちもこの沙虎と同じで蘇った魔物か?」
「違いますわ。私はずっとこの星で暮らしてきた者。それにこちらは――」
「ふぉっふぉっ、そんなのはどうでもいい。全ては必然じゃ。そんな小さな事よりも、ほれ、その棒の力を試してみんか」
「あ、ああ」
コウが棒を右手で持ち直し、道端に乗り捨ててあった車の屋根を軽く叩くと、車は轟音と共にぺしゃんこに潰れた。
「……えっ?」
「ほぉ、やっぱり」と老人は楽しそうに言った。「おんしは剣よりも棒が得物じゃな。棒もおんしに応えてくれてる」
「お、おお。今度はもうちょい本気で」
コウはそう言って空に飛び上がり、別の場所に放置されていた車に棒の一撃を思い切り叩き込んだ。今度は車が真っ二つに千切れて空に激しく舞い上がった。
「へっ、こりゃすげえな」
「感心するのはええが」と老人が言った。「そろそろ出発しようではないかの」
「えっ、どこにだ?」とコウが地上に降りて尋ねた。
「悪さをする奴を止める人間がおらんもんだから毎日何万人もの人が亡くなっておる。まずは泰山に住み着いた饕餮(とうてつ)を退治してもらおうか」
「面白い。とっとと行こうぜ」
コウは沙虎、大樹老人、順天公主という奇妙なメンバーと共に北に向かった。すぐに右手に見えた大都市を指差してコウが言った。
「なあ、あっちの街は気配が違うけど放っといていいのか?」
「うむ。後でええ」
「トウテツってのは何だ?」
「全てを喰らう貪欲な魔物じゃ。相手にとって不足はなかろう?」
「まあな」