目次
1 地下鳴動
セキはいつの間にか眠っていた。周りのがやがやという声で目を開け、そこが『パンクス』の大広間だった事に気付き、ソファの上で飛び起きた。
「おや、起こしてしまいましたか」
声の主はパンクスのリーダー天野釉斎だった。サンタと西浦治もソファに腰掛けていた。
「お疲れのようだったのでそのままにしておきたかったのですが――まずはシャワーを浴びて朝食を取って下さい」
セキは言われる通りにした。手足が重力制御をかけたように重かった。一昨日の夜から食事とトイレ以外の時間はずっと暗い道場で『摺り足』と『剣振り』を繰り返した。
本当にこんなので何か掴めるのだろうか、セキは共同浴場の熱いシャワーを浴びながら思った。
GCUが使える地下街のカフェで朝食を取り、大広間に戻るとさらに人数が増えていた。元からいた三人の他にケイジ、トーラ、バフともう一人、植木職人のような男が座っていた。
釉斎がセキに気付いて声をかけた。
「セキ君。君にも聞いておいてもらいたい重要な話がある。こっちに来てくれんか」
セキが空いている場所に座ると職人風の男はセキを興味深そうに見た。
「セキ君。ティオータの紹介がまだだったね。ここでは一番の古株になる」
「ああ、お孫さんができた――」
「おいらの孫じゃねえよ。まあ、そんなのはどうでもいいや。お前がリンの子供か?」
「はい」
「よぉ、ケイジ」とティオータはケイジに尋ねた。「こいつはものになりそうかい?」
「わからんな」
「わからないって、それなりの素養がなきゃ弟子には取らねえだろ?」
「与えられた期間が短すぎる」
「リチャードも相当焦ってんな」
「リンの九人の子供たちを一人前にするのは自分の役目だと思っているようだ」
「ふーん」と唸ってからティオータは釉斎に言った。「先生、すまなかった。本題に入ってくれよ」
釉斎が話し出した。
「リチャード・センテニアが動きました。一昨日、新宿修蛇会の事務所と養万春の組織の事務所が襲撃されたのは皆さんも知っているでしょう。今朝の新聞を見ると更に修蛇会組長の唐河十三邸の爆発事故、そして夜中になって都議会議員八十原統の行方不明、池袋修蛇会の事務所襲撃と連続しています」
「ひゅぅ」とティオータが口をとがらせ、おどけた。「リチャードの奴、本気じゃねえか。サーティーン、いや、唐河と八十原を襲ったとはね」
「唐河も八十原も『アンビス』のメンバーですからね。今朝、村雲氏からヴィジョンが入って我々がリチャードの手引きをしているんじゃないかと疑っているようでしたから、一切関係ない事を強調しておきましたよ」
「しかし事態がこれ以上進行すればそんな言い訳は通用しなくなりますよね」と西浦が心配そうに言った。
「これはね。リチャード君が我々に踏み絵を突きつけたんじゃないかと思うんですよ」
「先生、そりゃどういう意味だい?」
ティオータが尋ねるとケイジが代わりに答えた。
「アンビスと対決か、連邦と対立か、どちらかを選べという意味だ」
「ケイジの言う通りです。地上では幾つもの国が自分勝手な意見を言い、地下も二つに分かれている。こんな状態はおかしいんです」
「で、先生、どうする?」
「これは日本だけで決められる事ではありません。米国や欧州のパンクスにも相談した上で態度を決めるしかないでしょう」
「先生自身のご意見は?」
「それを私の口から言わせますか……セキ君、着いて数日の君から見てこの星はどのように映りましたか?」
突然に意見を求められたセキはどぎまぎしながら答えた。
「ドリーム・フラワーみたいな恐ろしい麻薬の片棒を担ぐような人たちとは付き合いたくないですね」
「私と同じ意見で安心しましたよ。ですがそのためにリチャード君が取っている手段についてはどう考えますか?」
「ええと、リチャードは父さんたちと一緒に二十年前に銀河の端まで行って戦いました。その時に何かが見えたんじゃないでしょうか――うまく言えないですけど」
「ふーむ、何かねえ」
「恐らく」とケイジが言った。「見えたのは本当に戦うべき相手だ」
「それがアンビスって事かい?」とティオータが問い返した。
「いや、わざわざ銀河の端まで行ってアンビスという事はない。あれだけの思いをしてようやく見えるもの、それは我々には想像もつかない敵なのだ。リンも焦っていた、最後に会った時には『銀河を終わらせちゃいけない』と言っていた。きっとリチャードも同じ気持ちだ。今変わらなければ手遅れになるという焦りから過激な行動を取り、我々に決断を求めているのだ」
「『変わらなければ』ですか。この星があまりにも長くぬるま湯につかっていたのは事実です。そして我々もそれを許容してきた」
釉斎がしみじみと言った。
「だがそれは正しい。永続的な平和を求めるのは間違っていない」
「うーん、難しいですね」
「とにかくよ」とティオータが言った。「おいらたちの意見はケイジが言った通りで構わねえ。後は先生が世界中の支部と相談して決めてくれよ」
「わかりました。ではこれで」
西浦が腕時計を見て立ち上がった。
「ああ、いけない。記念館を開けないと」
西浦が走って去り、トーラとバフもどこかに行った。
「セキ」
ケイジがセキに声をかけた。
「あの娘はどうしている。今日は土曜日だぞ」
「ああ、もえの事。別に約束した訳じゃないし」
「あの娘が来たなら、今夜の稽古は休みにしてやってもいい。但し上達次第だ」
「本当、じゃあ気合入れるよ」
セキが立ち上がろうとするとティオータがにやにやしながら言った。
「おい、セキ。《青の星》に来たばっかりだってのにもう女ができたのか?」
「そんなんじゃ――」
セキの言葉が終わらないうちに釉斎が言った。
「ティオータ、君も会ったらびっくりするぞ。人の縁とは不思議だな」
「何だそりゃ。おいらの知ってる子かい?」
「セキ、稽古を始めるぞ。ティオータの馬鹿話に付き合っている暇はない」
ケイジが立ち上がり、セキもそれに付いていった。
そこに西浦がもえを連れて戻った。
「もえちゃんが記念館の前で待ってたから連れてきちゃった。あれ、セキ君は?」
「たった今稽古に入りましたよ」
「……いいんです。今日は学校休みだったからどうしてるかなと思っただけなので――あ、釉斎先生、祖父がよろしくと言ってました」
「それはどうも。ケイジが今夜は休みにするって言ってましたから、何もなければここで待っていてはどうですか?」
「いいんですか?」
もえが照れくさそうに言うのを見ていたティオータが又、にやにや笑い出した。
「この娘か。へえ、可愛いじゃねえか。あいつ、どこでナンパしたんだ?」
「渋谷ですよ」とサンタが言った。
「おいおい、ティオータ」と釉斎が言った。「邪険に扱っちゃいけませんよ。もえさんは伝右衛門さんのお孫さんです」
「えっ、って事は奈っちゃんの?」
「母をご存じなんですか?」
「ああ、手打ちの時以来、奈っちゃんがまだ小さかった頃には何度か家の方に寄せてもらった事があるよ。伝右衛門さんは元気か?」
「はい。今は離れて暮らしていますけど相変わらずです」
「今も現役でばりばりやってらっしゃるんだな」
「最近では美木村さんに任せる事が多いみたいです」
「美木村――ああ、なるほどな。あいつなら間違いねえな。でも厳しすぎやしねえか?」
「美木村さんがですか。そんな事ありません。あたしには優しいです。この間もお子さんの写真を見せてくれて、とっても嬉しそうでした」
「ふーん、幾つになる子だ?」
「ええと、美夜ちゃんは確か……まだ一歳になるかならないかだと思います」
「うちのジウランとそう変わらねえな」
「ティオータさん、お子さんいらっしゃるんですか?」
「いや、おれの子じゃねえよ。預かってるだけだし、しかも孫だ。伝右衛門さんも会った事のあるデズモンドのな」
「気を悪くするような事言ったのだったらごめんなさい」
「いや、構わねえよ――そうだ、そのうちジウランを美夜ちゃんに会わせてやってくれねえか?」
「もちろんです。でも美木村さんはシャイだから断るかもなあ」
「おいらの名前出せば大丈夫だよ。な、約束な」
「はい」
夜7時過ぎにセキが大広間に顔を出した。
ぐったりと疲れた様子だったが、西浦、ティオータ、トーラ、バフと談笑するもえを見てにこりと微笑んだ。
「あれ、もえ。来てたんだ?」
「言ったでしょ。又遊びに来るって――あ、セキの様子を見にきたんじゃないよ。ここにいる素敵なおじさまたちの面白い話を聞きにきただけ」
「という訳だ」とティオータがおかしそうに言った。「セキ、ふられちまったな」
「そうなんだ。ケイジが休みをくれたんで一人でサンタの所にでも行ってこようかな」
「あ、ちょっと待ってよ、セキ。渋谷行くんだったら一緒に行こうよ。買い物したいの」
ティオータが吹きだしそうになるのを堪えながら言った。
「セキ、行ってやれよ。女の恨みは後で高くつくぜ」
「うん、わかった。もえ、行こう」
「でも今からだと遅くならない?」
「電車だとね――さあ、外に出よう」
セキともえは人気のない深川公園のそばの地上に出た。
「昔、父さんが母さんと初めてデートした時にどっかから東京まで空を飛んだんだって。僕らも同じ事をしよう」
「同じ事って。渋谷まで空を飛んでくの?でもまだ四月だから寒いよ」
いつの間にかティオータたちも外に出ていた。
「ほらよ」
ティオータはセキにダウンジャケットを投げて寄越した。
「これ着てりゃ寒くねえだろ」
「セキ、明日は又修行だからあまり羽目をはずさないようにして下さいよ」と西浦が笑って言った。
「ちぇ、ムードないなあ。でもありがとう。行ってきます」
セキはもえの手を引いて夜の空へ消えた。