7.1. Story 2 闇に生きる者

 Story 3 初仕事

1 リチャード始動

 

新宿の蛇

 リチャードは歌舞伎町の近くの雑居ビルの屋上にいた。
 偶然とは言えセキが予想よりも早くケイジの下にたどり着いた。こちらも早めにカタをつけよう。
 黒いスーツ姿のまま、屋上に立てられた看板にもたれるリチャードの下に一人の男が近付いた。

 
「リチャード様。お元気そうで」
「英(はなぶさ)か。どうだ?」
「根深いですな。新宿にいる売人共を片付けてもどれだけ効果があるか」
「どういう意味だ?」
「リチャード様も二十年前に感じられたでしょう?」
「ああ、表には出てこない力だな」
「その通りです。調べていくと必ずそこにぶつかる。これを排除しない事には解決しないと思われます」
「知っている方の地下組織とは連絡を取り合っているから、もう一つか」
「そのようですな」
「適当に暴れていれば尻尾を出すさ」

 
「お気を付け下さい。新宿は火薬庫のような状態」
「カルペディエムの戦争のあおりで住む場所を失った大陸、特にイーストと呼ばれるリージョンの人間が多数押しかけた際に、外圧に屈した日本政府がここのすぐ北の一帯をRFD(ディエム難民区域:Refugee from Diem)とした事も関係してるんだろ?」
「よく御存じですな。リージョンの呼び名まで理解されているとは。最近では大陸系組織と日本の組織との小競り合いが激化の一途を辿っているようです。ちなみに大陸系がここを呼ぶ時の別名を知っておられますか?」
「いや、知らない」
「Night Innだそうです」
「『夜の宿』、どういう意味だ?」
「元々、この地は内藤新宿と呼ばれていたそうです。内藤のNightと宿のInnを取って、Night Innとなったとか」

「下らんな。組織の状況は?」
「日本系は『新宿修蛇会』、大陸系は『飛頭蛮』が角を突き合わせています」
「修蛇会に飛頭蛮か、懐かしい名前だ。唐河も養も健在か?」
「唐河は未だに健在ですが、養は数年前に亡くなりました」
「あの養大人がか。唐河よりも優秀で長生きしそうだったのにわからんものだな」
「そこに至るまでに色々とあったようです――

 

【草の報告:養万春】

 二十年前、リチャード様の尽力もあり、連邦がこの星に出張所を設置するようになりました。
 限られた人数の彼らが最優先に取り組んだのは飢餓と疫病に苦しむオリジンのサポートでしたが、この行動は同様に混乱の渦中にあったイーストの人々の感情を害したのです。

 イーストはそれを遡る事十五年前のディエムの出現によって最も影響を受けたリージョンです。突如出現したディエムに対して敵対的な姿勢を見せた、独裁的な為政者たちは不可解な突然死を遂げ、そのために広大な地域に混乱や内戦が起こり、国の体制自体を維持するのが危うくなったのです。これが世に言う『ディエム戦争』の始まりで、世界各地に存在するRFDはこうした不安定な状況下で生活できなくなった人たちのための居留地でした。

 『連邦を信じられない』、『蔑ろにするな』
 オリジンが落ち着きを見せた頃合を見計らって、連邦は他のリージョンのサポートも開始しましたが、イーストの人々の信頼を勝ち得る事はできませんでした。

 一計を案じた連邦は直接の関与ではなく、イーストに暮らす人間を間に立てる事にしました。
 そうして白羽の矢が立ったのが養万春でした。

 養は名の知れた裏の世界の支配者というだけではなく、この星の人間ではありませんでした。
 地上の柵に囚われず、又地下のパンクスにもアンビスにも正式に属していない中立性を買われたのです。

 養大人は予想を遥かに上回る能力を発揮しました。
 広大なイーストを安定させただけでなく、ディエムとは違う理由で分裂の時代に突入したノースやウエストにも影響を与えました。

 ですが数年前に――

 

「暗殺されたとの事です」
「出る杭は打たれるか」
「今回のドリーム・フラワー騒ぎを起こした者たちが結託して目障りな養を消したと見るのが普通なのですが」
「違うのか」
「そうとも言い切れないのです。それは養の殺され方が……鋭利な刃物で首を斬り落とされた所から、大陸に古くから存在する組織のタブーに触れたのではないかという説も根強いようです」

「養が消えた事によってドリーム・フラワーが流通しやすくなったのは事実だろう?」
「その通りです」
「養の後継者として飛頭蛮を仕切るのは誰だ?」
「さあ、それが。大陸自体の状況が非常に混沌としているせいかはっきりと致しませぬ。噂では縊鬼(いき)と呼ばれる者が組織を指揮しているらしいですが」
「どうした?」
「はい。裏では修蛇会の唐河と結託していて、結局ここで起こる抗争も見かけ上の事だけではないかと」
「確かにありうるな。何、飛頭蛮、修蛇会、両方同時に潰せばいいだけの事だ」
「――お任せします。我ら『草』は従うだけ」

 
「他に『草』は何人来ている?」
「日本には私と藤(ふじ)、蘆(ろ)、茸(じょう)の四名、アメリカとヨーロッパにも四名ずつ」
「万全の体制だな」
「……茶々様のご兄妹の初仕事ですので」
「セキを助けてやってくれ」
「もちろんでございます。『草』の命に代えてもお守り致します」
「茶々にもその内こちらに来てもらう」
「長引くとお考えですか?」
「根拠はないが嫌な予感がする――二十年前にここから全てが動き出したのと同じように想像を絶する何かがここから始まる。そうなれば茶々だけではない。他の兄妹も皆、呼び寄せる」
「リチャード様の勘を尊重致します。総力戦ですね」
「そういう事だ。ところで今夜は何をすればいい?」
「歌舞伎町のドリーム・フラワーの売人を特定してあります」
「わかった。途中まで案内してくれ」

 

衝動

「あの男です」
 草の者、蘆がリチャードに耳打ちした。
「あの男の案内でさらに組員の所に行って、そこから更に複雑な受け渡しが行われます」
「面倒くさい事をやってるな」
「もう一つの大陸系の組織は更に複雑な販路を使っているようです」
「修蛇会の事務所の場所もわかっているか?」
「数か所あります」
「ふん、リスク分散か。ますます気に入らんな」
「やり方はお任せします。我らはリチャード様の後片付けをしますので」

 
 リチャードは人通りの多い街角で客引きをする金髪のホスト風のやさ男に声をかけた。
「へい、旦那。こりゃまた素敵な金髪でって外人さんか。無精ひげも又お似合いですね。まるでブラピみたいって、ブラピって言ってもわかりゃしないか」
「よくしゃべるな」
「何だ。日本語わかるならそうと言って下さいよ――ははーん、旦那、ネオの人だね。あっちの人は何語でもすぐに理解できちまうって聞いたよ。で、店お探しですか?」
「店ではない――売ってくれるんだろ?」
「へっ、からかわないで下さいよ」
「からかっちゃいないさ。あんたが案内してくれるって聞いてきたんだ」
「――こっちは忙しいんだ。帰ってくれよ。さあ、仕事、仕事」
 背中を向ける男の右の肩をリチャードが掴んだ。
「おい、いい加減にしろや――うっ、痛、いたたた。肩が折れちまう。放してくれよ」
「折るだけじゃないぜ。このまま粉々にしたっていいんだ」
「いたたた……わかったよ。案内するから。手をはずしちゃくれねえか」

 
 リチャードは男を先頭に立たせ、右肩を掴んだまま裏通りの方に歩いていった。
「この路地の奥のビルの二階だよ。なあ、もう放してくれてもいいだろ?」
「バカか、お前の紹介なしで行っても怪しまれるだけだ。行くぞ」

 男の肩を掴んだ手を放さずに雑居ビルの階段を登った。男は突き当りのドアの前で「紫苑です。お客さん連れてきました」と言ってから、リチャードに向かって「なあ、もういいだろう」と頼んだ。
 リチャードは小さく笑ってから、男の両肩を掴んで「ご苦労さん」と言い、腹に軽くパンチを打ちこんだ。
 男が目を白黒させてずるずると崩れ落ちるのとほぼ同時にドアが開き、リチャードは素早く体をドアに滑り込ませて部屋の中に入り後ろ手にドアを閉めた。

「何だ、てめえは?」
 室内の男は完全にその筋の雰囲気を漂わせていた。
「ここに来れば売ってくれるんだろ?」
「それより外に一人倒れてんだろ」
「いいから。あいつは肩がはずれたみたいなんだ」と言ってリチャードは男を部屋の中に突き飛ばした――

 
 ――鼻血を出して、ぐったりとした男を壁に押し付けながらリチャードが尋ねた。
「全部ここに出してみな」
「……ここにゃ、ちょびっとしか置いてねえよ。足りなくなるたんびに電話して事務所から配達してもらうんだ。日本が誇る『カンバン』てえ仕組みだ」
 怯える男の頬を片手で掴んでリチャードが言った。
「じゃあ電話してもらおうか――その前に今ここにある分を出せ」
 男はのろのろと歩き、部屋の奥の机の引き出しを探った。
「おっと、これで形勢逆転だぜ」
 男は鼻血が止まらずくぐもった声だったが、その手には拳銃が握られていた。

「薬をここに持ってこいと言っただろう」
「てめえ、これが目に入らねえのか」
 男は銃を撃ったが、甲高い金属音だけを残して、次の瞬間にはリチャードが男の前に立っていた。
「こんなもので遊んじゃいけないな」
 リチャードは呆然とする男の手から拳銃を取り上げ、ぽいと投げ捨てた。引き出しの中のありったけのドリーム・フラワーを机の上に置かせ、電話するように命令した。
「――すぐに来るようです」
 リチャードは「ご苦労」とさわやかに笑い、男の首筋に手刀を打ち込んだ――

 
 ――五分後にドアが激しくノックされた。リチャードがドアを開けるとスキンヘッドにピンクのスーツの男が背後を気にしながら入ってきた。
「おい。誰か廊下に倒れてんぞ」
「気にするな」
 ドアの所で待ち構えていたリチャードは有無を言わさず男を部屋の中に引きずり込んだ――

 
「これで全部だな」
 リチャードは殴られて顔が変形した男の肩を掴んで問い質した。
「……全部です」
「どこかに倉庫があるのか?」
「……よく知らねえが横浜の方にあるって聞いた。事務所には毎日届く」
「薬のある事務所は一か所だな。これから案内してもらうぞ」
 リチャードは男の首根っこを摑まえたまま、二階の窓ガラスを破って空中に出ようとした。
「おっと、忘れる所だった。お前、ライター持ってるか?」
 恐る恐る差し出された金色のライターに火を点け、机の上に集めてあったドリーム・フラワーの小袋の山に投げ付けた。
 ぱっと火が上がり、炎は瞬く間に部屋を駆け巡った。リチャードは今度こそ男を抱えて空に飛び出し、地面に着陸した。
「よく燃えるもんだ――さあ、行くぞ」

 
 歌舞伎町にいた人々は異様な二人連れを見て道を空けた。ぼこぼこに顔を腫らしたその筋の男の肩を掴んだまま歩く金髪に無精ひげの男の組合せは滅多なファッションでは目立たないこの町でも異彩を放った。
「このビルの九階です」
 二人が立ち止まったのは下から上まで飲み屋やクラブが入った白いビルだった。
「九階だな。ご苦労」
 そう言ってリチャードは男の首筋に手刀を振り下ろした。
「そうだ。大吾に連絡するのを忘れていた」
 リチャードは一旦ビルから離れ、ヴィジョンで蒲田大吾を呼び出した――

 ――リチャードは笑った。
「大吾め。あまり派手にやらないでくれか。もう遅いな」
 ビルの前で倒れる男に目もくれずに空に翔け上がった。
「九階の――ここが偉い奴のいる部屋だな」
 窓ガラスを突き破って部屋に踊り込むと紫檀の机の背後で禿げ上がった小男が目を丸くしていた――

 
 ――リチャードは目の前の男を数発殴り付け、その禿げた頭を紫檀の机に押し付けた。
「修蛇会を敵に回して無事と思うなよ」
 リチャードの手の下からあえぎ声が聞こえた。
「二十年前も同じような事言ってたぞ。それより薬はどこにある?」
「隣の部屋だ。壁の大金庫の中」
「よし、一緒に行こう」
 物音を聞きつけた若い衆が二人飛び込んできたが、リチャードは小男を片手で捕まえたまま、二人を蹴りの一撃で床に叩き伏せた――

 
 ――リチャードは壁に埋め込まれた巨大な金庫を小男に開けさせた。周りには修蛇会の人間がばたばたと倒れていた。
「おい、早くしろよ」
「それが――番号を忘れちまって」
 小男の肩を掴むと壁に投げつけた。
「だったらもう頼まない」

 リチャードは背中から黒光りする剣を取り出した。
「こんな事に『竜鱗の剣』を使わせないでくれ」
 気合を込めて壁を十字に斬りつけ、その後、拳で強引に金庫に穴を開けた。
「ほぉ、大量だ。それに金もある」
 近くにあった紙袋に札束を詰められるだけ詰め、薬の詰まった箱は床にぶちまけた。
「これにて終了」
 来た時と同じく九階の窓から外に出て、くすねたライターに火を点け、それを室内に投げ入れた――

 
 ――外では救急車両のサイレンが激しく鳴っていた。
「”Night Inn is still high”、まだ終わっちゃいないさ」
 リチャードは紙袋に詰めた札束を空からまき散らした。
「よし、次は大陸ギャングの事務所か――

 
 三十分後、リチャードは西口に立ち並ぶ高層ビルの内の一つの屋上に立っていた。
 東口方面が大混乱しているのがよく見えた。三か所で火事が起こり、突然降ってきた札束を求める人々が道路に溢れ出て、交通がマヒしていた。

 何故だろう、今夜のようにどうしようもない破壊衝動に駆られる事がある。
 二十年前にロックを倒した時から、自分の中のロックと折り合いをつけていかねばならなくなったせいか。
 いや、ロックのせいではない。これが本来の自分なのだ。『全能の王』の再来と呼ばれた頃の高貴な精神などとうにどこかに消え失せていた。自分は血に飢えたただの殺し屋だった。
 張先生が予言した通り、自分は闇に生きる者だったのだ。
 王先生が自分を指名したように、龍が蘇るその日まで戦い続けるのが与えられた運命なのだろう。
「少し眠るか」
 リチャードは高層ビルの屋上で眠りに落ちた。

 

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