7. Chapter 1 Aura, 1270 (2003年4月)

 Story 1 03.04

 「文月源蔵の回想録」より

 私が《ネオ・アース》の議長を任されてから十年以上が経とうとしている。
 ここに至るまでには様々な事があった。

 
 《ネオ・アース》が発見されたのが1984年、第一発見者はリチャード・センテニアだった。
 銀河連邦の公式見解によれば、王国との戦闘の最中に突発的に誕生したという事だったが、これには承服できなかった。
 後にリチャードに確認したが、この銀河を創造した『上の世界』の創造主と呼ばれる人物が戯れに作り上げたのだそうだ。当時は何と非科学的な説明だと憤慨したが、今となってはリチャードの話が最も説明がつくように思える。私は科学者失格だ。

 
 連邦のコメッティーノ議長は、この星が発見されるや否や私に相談を持ちかけた。果たして《青の星》に《ネオ・アース》の管理を任せて良いのかという内容だった。
 私は即答できなかった。地球上の領土争いや宗教対立、そういった醜いものが、生まれたばかりの星にそのまま持ち込まれてしまう気がしたのだ。
 コメッティーノは私の思いを察したのか、実質的な管理は連邦で行うと言った。ただ神輿の上に乗るのは《青の星》の者でないといけないと付け加え、私が初代議長に就任した。

 
 コメッティーノと私が手始めに着手したのはインフラ整備だった。星の中心部とも言える中央アジアの高原地域に連邦の統括府を建てる事に決定した。だが私がシップで視察をした時には、既に統括府の建設予定地の隣にもいくつかの建物が建っていた。
 連邦の人間は「あれが、リチャードが発見した例の」と教えてくれた。その時にはまさか建物の中にあんなものが存在するとは思ってもみなかった。

 その後、統括府から放射状に延びる地下高速移動網を構築した。ヨーロッパの辺りに一つ、アフリカに一つ、南北アメリカに一つずつ、オーストラリアに一つ、そしてアジアに一つの『ステーション』と呼ばれる建物が建てられ、地下を通る移動網で結ばれた。
 移動網は『ステーション』からさらに放射状に分かれ、世界各地を網の目のように繋いだ。
 例えば日本の東京の辺りから統括府までは約五分で到着するようになっていた。連邦としては全ての意志決定の中心を統括府に置きたかったようで、世界のどこからでも統括府まで十分以内で着くように移動網は制御されていた。

 
 インフラを連邦に整備してもらった私の初仕事は、地球で難民となっていた人々を優先的に受け入れる作業だった。戸籍どころか、その日の食事すら手に入れられず、何のために生まれたのかわからないまま死んでいく人々を救う事、それこそが私の為すべき使命だった。

 初めのうちはあまり移住希望者が現れなかった。どんなにひどい暮らしをしていても故郷を、ましてや地球を離れるのは受け入れ難かったのだ。
 私は現地に赴き、必死に宣伝をした。A.D.1年の地球と同じ環境だが、当時世界を覆っていた伝染病は連邦の最新医療技術によってすでに駆逐されている、等々。
 やがて少しずつ移住者が増えたが、ここでも予想を覆されたのは、難民だった人の多くは地球にいた時と同じ場所に暮らすのを希望した事だった。

 難民の移住と並行して私の頭を悩ませたのは、地球からの学術使節団の受け入れだった。
 A.D.1年当時の地球というのは学術的に見て宝の山だった。
 現に私はアレキサンドリアの大灯台が実在する姿に感動を覚え、ドードー鳥が大地を駆け回る様子に目頭が熱くなったのである。

 もちろん懸念事項はあった。その当時の地球の様子をもってして領土支配や宗教の正当性を主張する事だった。
 そこで私は政治目的に利用されない調査に限り、使節団を受け入れる決断をした。そうでもしておかないといずれあの中央アジアの建物の中の物を公開した時の地球の混乱を防げないと思ったからだ。

 
 ここでその中央アジアの建物について触れておく。その建物はリチャードが着いた時にすでに存在していたと言う。中に置いてあるのは、現在の連邦の科学技術をもってしても解明できないような実験機器の数々で、一介の地球人である私には到底理解の及ばないものだった。
 一口で言うと、それらは地球のレプリカを作る装置だった。好きな年代の地球を好きな大きさで再現し、その様子を観察できるらしく、建物内の空間にはすでにいくつかのレプリカがぷかぷかと浮かんでいた。

 この件を巡ってリチャードにしつこく食い下がった事がある。リチャードは「これは上の世界が作った箱庭。私たちに扱える代物ではないし、ましてや《青の星》の住民では無理だ」と言った。
 上の世界……、箱庭……、何もわからないと伝えると、「この宇宙の創造に関わる話だ。それが理解できないなら公開してはいけない」とだけ答えた。
 私も科学者のはしくれである。一応、地球での科学の発展の歴史は知っているつもりだったが、これはそれらとは根本的に異なる――地球の生きているレプリカという段階で当り前だが――体系の学問に属するのだろう。この建物を地球の人々に公開できる日は訪れるのだろうか。

 
 次の作業としては一般の地球人の移住受け入れが待っていた。
 地球に三か所設置された連邦の出張所で移民を受け付けたが、ここに新たな問題が発生した。
 《ネオ・アース》への移住は、地球の住民ではなくなる事を意味するのではないかというものだった。
 地球のどこかの国に所属し、場合によっては納税の義務等を負ったまま、税金のないこちらに移り住むのか、地球を離れた正式なネオの住民として連邦インプリントを受けるのか、その解釈は大きく分かれた。
 結局どちらのケースも認めたが、これが後に問題となる『ネオ狩り』の一因となったのは否定できない。

 
 現在の人口は百万人弱、地球からの移民が約八十万人で、うち七割は『ネオ』民(ネオで生まれた通称“セカンド・ジェネレーション”含む)、三割は地球の住民のままである。
 私の家族で言えば、私と妻の静江、娘の沙耶香は『ネオ』民だが、リンは地球の住民のままだ。さらに孫のハク、コク、セキはセカンド・ジェネレーションの『ネオ』民となる。

 
 私は普段は統括府にいるが、自宅は地球でいう所の日本の埼玉県のあたりにある。そこで大地を耕し、自給自足の生活を送っている。余った産物はステーションから分岐したサブ・ステーション――私の家の場合は東京サブ・ステーションで売買できるようになっている。
 静江も沙耶香も今の生活が気に入っているらしく、真っ黒に日焼けしながら農作業に勤しんでいる。

 リンは、ご存じの方も多いと思うが、行方不明である。最後に会ったのはネオ・アースカップと呼ばれるサッカー大会だった。
 孫たちは沙耶香と一緒に暮らしているが、ハクとコクは間もなく連邦府に行って、大学で学びながら、連邦の仕事に就く予定だ。
 他の孫たち、《花の星》のヘキも《エテルの都》のロクも間もなく連邦府に赴くと聞いた。それより若い《オアシスの星》のコウ、《巨大な星》のむらさきと茶々、そして《花の星》のくれないは連邦府に行くにはまだ少し間がある。
 もう一人、年齢的にはコウの下になるセキも、ここで沙耶香の農作業を手伝っている。

 
 そう言えばリンが行方不明になる少し前、サッカー大会の時に「母に会った」と話してくれた。
 彼女が健勝でいるのを知り、感無量だった。彼女がいなければリンは生まれなかったし、生まれたリンを私が育てるという事にならなければ、今のこの世界はなかったからだ。
 私は彼女にもう二度と会う事はないが――実際にそういう約束だった、リンが実の母親に会い、話をできたのは良い事だった。

 
 話が取り留めなくなってきたが、最後に地球の連邦加盟の経緯だけ話しておこう。
 1970年の『カルペディエム』の出現とそれに伴う国家の再編と混乱を経て、80年代に入ると新しい動き、すなわち『ペレストロイカ』が起こった。
 これにより民族自決の機運は一層高まり、カルペディエム運動はヨーロッパ、東南アジア諸国以外の地域では風化するかと思われたが、世界中の人間が知恵を出し合い、努力した結果、西暦2000年に連邦加盟の仮承認がなされた。
 後は三年の間に連邦加盟条件の『原始的破壊兵器の使用・保持の禁止』さえクリアすれば、晴れて正式加盟という段階まで漕ぎ付けたのだった。

 ところが事態は急転した。
 あの『ドリーム・フラワー』と呼ばれる人を滅ぼす麻薬が爆発的に流行したためだった。
 事態を重く見た連邦はわずか一年で地球の正式加盟を凍結した。

 落胆した一部の人々は自らの行いを悔いるのではなく、その怒りの矛先を個人的に銀河の叡智を享受する地球人、そして既に連邦加盟済みの《ネオ・アース》へと向けた。
 地球において人前でポータバインドを使用するとネオの人間と見なされ、襲われるという、通称『ネオ狩り』と呼ばれる事件が頻発するようになった。

 私のように農耕をし、夜は皆で集まり、歌を唄い、定期的に行うサッカー大会が最大の娯楽という原始人のような暮らしを続ける『ネオ』民から見ると、地球の荒廃は冗談では済まない程に進行している。
 もしかすると地球はもうだめなのかもしれない。
 行方不明のリンがその光景を目にしたら何と言うだろう。全ては歴史の必然で片付けられてしまうのだろうか。

 

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