5.8. Story 1 英雄候補たち

 Story 2 目覚め、去りゆく者 (1)

1 天才登場

 《巨大な星》の大陸の西にダーランという町がある。海に面した穏やかな気候の暮らしやすい都会である。
 海岸線を北に向かって歩くと海から突き出た所に移民局の大きな円形の建物が建っている。
 《巨大な星》は元々連邦の中心だったが、大帝が帝国を建国した事により、その人気は益々高まった。増大する一方の移民希望者を一手に処理するため、ダーランの海辺に立派な移民局が建てられ、旅行者も含め星を訪問した人は必ずそこを通過しなければならなかった。

 
 今しがた移民局で手続きを終えたばかりの一人の青年が星に降り立った。
 青年はくしゃくしゃの鳥の巣のような黒髪を無造作に頭の後ろで縛り、いたずらっ子のように目を輝かせていた。

 専用車両で移民局からダーランの市街に着き、まずは腹ごしらえをする事にした。大きな袋を肩にかけて街をしばらく彷徨っていたが一軒のレストランに飛び込んだ。
 食べた事のない粉でできた皮に包まれた物を食べてすっかり満足した青年はその店を切り盛りする若い女性に尋ねた。

 
「モータータウンってのはここから遠いのかい?」
「市庁舎の所から専用車両が出てるわよ――お客さん、移民?モータータウンのファクトリーで働こうって口かしら?」
「いや」
「大帝が星を治めるようになってからこの星は大賑わいよ。皆、チャンスを求めてやって来るようになったからあなたもその口だと思ったわ」
「そんな風に見えるかねえ。おれはちょいと修行にね」
「っていうと張先生の道場かしら。うちの息子も行かせたいけどあそこは厳しいって評判で」
「えっ、先生を知ってるのか。やっぱり有名人だな」
「ううん、有名ってほどでもないわよ。母方のおじいちゃんがちょいと齧ってた時期があっただけ」
「そいつは奇遇だなあ。おれはね、奥義伝承者になるつもりでやって来たんだよ」
「あははは、その意気込みがあればなれるわよ――そうだ、有名になった時のために名前聞いておこうかしら。あたしの名前はホワン」
「コメッティーノだ」
「コメッティーノ、いい名前ね。又いつでも食事に来てよ」

 
 ホワンの言葉に従い、市庁舎前の広場に向かったが、人々でごったがえし、まるで祭りのような賑わいだった。
 ようやくモータータウン行の車両乗り場を見つけたがここも人だかりで、しかもコースは南のホーリィプレイス回りか、北のサディアヴィル回りしかなかった。
「何だよ、マップの上では直線でちょちょいの距離なのに迂回しやがんのかよ」
 コメッティーノは乗り場の行列に並ぶのをあきらめて東に向かって歩き出した。
 三十分ほどで、直線コースがなかった理由が理解できた。目の前には険しい山がそびえていて、マップによればモータータウンはその山、ネコンロ山を越えた所にあるようだ。
「しょうがねえなあ。空を飛んでくか」
 

 ”巨大な星” (別ウインドウが開きます)

 
 コメッティーノは袋を背中に背負い直し、ふわりと空中に浮かんだ。
 そのまま上空に舞い上がり、猛烈なスピードでモータータウンに向かって進んだ。
 やがて晴れ渡った空を行くコメッティーノの眼下に広大な工場地帯が見えた。
 コメッティーノはネコンロ山の麓に建てられたその工場群に興味を持った。地上に降りるとダーランの方面からは険しい崖を登らないとたどり着けないようになっていた。建物の外壁に沿って歩く内に「この中をまっすぐ抜ければモータータウンへの近道だ」と確信した。

 再びふわりと体を浮かせ、高い壁を乗り越え敷地内に侵入した。
 東西に太い道が伸びており、予想通り東に抜ければそのままモータータウンの町に出るようだった。
 口笛を吹きながら東に向かって歩き出した。自分から見て左手は研究所やら管理棟といった建物が立ち並び、右手には工場の製造ラインの建物がどこまで行っても果てる事がないほど長く続いていた。
「こりゃあすげえ。親父に言ったら腰抜かすな」
 広大な敷地の中ほどまで行った時に異常を知らせる警報が激しく鳴り出した。
「何だ何だ。何か起こったぞ……ん、おれか」
 コメッティーノは目にも止まらぬ速さで走り出し、あっという間に工場の東の壁を乗り越えた。
「ふぅ、あぶねえ――まあ、セキュリティとしては今一つだな。本当は研究所の内部も見てみたかったが、又の機会にしとくか」

 
 コメッティーノは多くの人が行き交う市街に足を踏み入れた。
「さてと、お目当ての場所はどっちだか」
 十分ほど歩き回ってようやく細い路地にある建て付けの悪い二階建の建物の前にたどり着いた。

 
 勢いよく扉を開けると、薄暗がりの中で何十人もの若者が思い思いに修行に励んでいて、誰も訪問者に対して注意を払おうとしなかった。
 くすくす笑いながら修行風景を見ているとようやく一人の若者がそれに気付いて瞑想を中断した。
「おい、お前。何がおかしいんだ?」
「いや、ごめんごめん。張先生の道場ってのはここかい?」
「弟子になりたくて来たのか?」
「まあな」
 コメッティーノの自信たっぷりの態度に他の若者たちも稽古を中断して集まった。
「よく来るんだよ。お前みたいに鼻っ柱の強いのが」
「そんな奴に限って二、三日で尻尾を巻いて逃げ帰っちまう」
「お前もその口だろ。鳥の巣みたいな頭しやがって」
 コメッティーノは若者たちに囲まれて挑発されたが取り合おうとせず、涼しい顔をしていた。
「何だ、口だけか。かかってこないのか」
「――おれの強さを感じられないような奴らに手は出さねえよ」
「こいつ。どうやら本当に痛い目に遭いたいらしいな。いいか――」

 
「――ずいぶんと賑やかじゃの」
 構えを取ろうとしていた若者たちの動きが止まり、一斉に声の方を振り返った。
 コメッティーノも声の方を見た。天井から猿が一匹ぶら下がっているように見えたが、猿は器用に天井から床に着地してすたすたと歩いてきた。
「先生」
 若者たちが声を上げてコメッティーノは初めて小柄な老人だった事に気付いた。
「よぉ、あんたが張先生かい。おれはまたお猿さんかと思ったよ」
 小柄な老人は皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、失礼な言葉を浴びせたコメッティーノに飛びかかろうとする若者たちを制止した。
「止めておけ。お主らの敵う相手ではない」
「さすが、わかってんじゃねえかよ」
「しかし猿とはな。大分長い間生きておるからのぉ」

「どうでもいいや。それよりもおれは今日からここで修行したいんだ」
「ほっほっほ、これだけ周りの人間を不愉快にさせておいて、面白い男だな、お主は」
「早いとこ、奥義とやらを会得したいんだ。ここの奴らと遊んでる暇はないんだよ」
 またもやコメッティーノに殴りかかろうといきり立つ若者たちを制止して張が言った。
「『無触』をか。それがお主の目指す道なのかのぉ――お主、少し前にファクトリーで騒ぎを起こしたじゃろ?」
「いや、別に。ダーランからここに来るのに工場を抜けるのが一番近道だったから歩いただけさ」
「そうかの。目撃者によれば目にも止まらぬ速さで駆け抜けたそうじゃが、それだけの速さがありながら、何故、今更『極指拳』を学ぼうとする?」
「おれはよ、指先の一撃で相手の急所を打ち抜きたいんだよ。そのためには『極指』はうってつけだと思うんだけどな」
「――そこまで言うのならわしがお前と立ち合おう。お主、名は?」
「コメッティーノだ」

 
 張先生とコメッティーノは向かい合った。互いに全く構えを取らず、一見すると立ち合っているようには見えなかったが、コメッティーノは目にも止まらぬ速さで高速の突きを繰り出していた。
 張先生はにこにこ笑いながら突きを躱していった。
「ほほぉ、これは予想していたよりもずっと速いな。いつまでも躱し続けられるもんでもないわい」
「あんた、やっぱり強いな。これだけ打ってんのに当たりゃしねえ」
「どれ、その強さに敬意を表して本気の拳を見せてやろうかの」
「ありがてえ、そうこなくっちゃ――」
 そう言った次の瞬間、コメッティーノの体は大きく弾け飛び、道場の壁に背中から勢いよく激突した。

「あいててて」
「どうじゃな?」
「参った――三、四日で奥義をマスターできると思ってたが大間違いだった。半年は必要だな」
「どこまでも口の減らない男じゃ」
 張先生は笑いながら道場の若者たちに向かって尋ねた。
「今のわしとコメッティーノの立ち合いを見切れた者はおるか?」
 問われた若者たちは誰も手を上げず、気まずそうにした。
「そうじゃろうな。この男、口は悪いが悪気はない。気に障る事も多々あろうが聞き流せば良いだけ。今の立ち合いを見れば逆に学ぶ事も多いはずじゃ。わかったな」
 若者たちは全員大きく頷き、壁に背をつけたまま座り込んでいるコメッティーノの下に駆け寄り、「よろしくな」、「すごかったな」と声をかけた。
 コメッティーノは顔を赤らめ「うるせえな」と答えたが、まんざらでもない表情だった。

 
 こうしてコメッティーノの道場通いが始まった。
 もちろん元から強かったのもあるが、コメッティーノは覚えも早かった。
 そして何よりも他の生徒たちに教えるのが抜群に上手だった。コメッティーノにアドバイスを受けた者は例外なく飛躍的に腕を上げるのだった。

 二月ほど経ったある日、張先生がコメッティーノに言った。
「お主がこの先、奥義を極められるかどうかは知らん。どのみち拳法家になる訳ではなかろうしな。だがお主の教え方を見えているとお主は人の上に立つ者だというのがよくわかる。さすがは連邦議長の息子と言うべきかな」
「何だよ、知ってたのかよ。人が悪いな。まあ、奥義については心配してねえよ。ある程度イメージが湧いてんだ」
「勝手な男じゃ。誰も極めておらんのだから、それで良いのかもしれん――全く、お主には驚くやら、あきれるやらで飽きんわい」
「おお、そう言えばよ、来月になったら大学のダチが三人ばかり遊びに来るんだよ。先生、そいつらに会ったらびっくりするどころの騒ぎじゃなくなるぜ」

 

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