5.6. Story 2 赤いドレスの女

 ジウランと美夜の日記 (14)

1 相談事

 ホテルの喫茶室に向かっていた男は、「先生」という声に立ち止まり、声の主の方を振り返った。
 目の前に立っていたのは真っ赤なワンピースを着た情熱的な顔立ちの美しい女性だった。
「――君か。よくここにいるのがわかったね」
「君か、とはずいぶんね。きっとこの星にいると思ったの」
「ははは、いい勘をしている。私はね、この星で何かが生まれ、そして全ての決着を見る、そう星が告げたから来ただけだが、君は?」
「先生に会いに来たのよ。他に理由はないわ――どうして先生がここに執着するかも大体わかってるのよ。聞きたい?」
「ああ」

「先生はエニクが考えた『飴とムチ作戦』にずいぶんと感心していたでしょ。特にあのインチキくさい『銀河の叡智』を絶賛した――」
「おいおい、インチキはひどいな」
「あたしは思ったの。先生ほどの人があんな子供だましに感動するはずがない。もっと違う部分に心打たれたんだろうってね。そうやって考えていくと、残るのは謎が多すぎて、あの時に皆が首を傾げた一人の人物の存在、違うかしら?」
「なるほど、さすがはチエラドンナだ。教え子の中で最も優秀なだけはある」
「一番の気分屋でもあるけどね。まあ、いいわ――だから先生はその人物、ノカーノに興味を持ってこの星を訪れたんでしょ?」
「先ほども言った通り、本当に星のお告げに従っただけなのだけどね。ところで君は私に会って何をしたいんだね?」
「あたしは最後の仕上げをしに降りてきたの。でもそれをするにあたって先生に相談したい事があって」
「ほぉ」
「ここまで来るのに案外と時間がかかったわ。最初はジュカたちがこの銀河に善と悪の二極を作ろうとしたけれどもうまく機能しなかった。次にエニクたちが『飴』を与えた。そしてグモとウムナイ、ウムノイが『ムチ』の準備をして、あ、もちろん先生もだけど――そしてあたしが最後の刺激を与えるの」

「ふむ、で、相談事とは?」
「そうだったわ。今あたしの手元には『シニスターの滴』と呼ばれるものがあるの。やっとの思いで四人分だけ精製できたのよ。これを使えばその人間は邪悪な意志に染まり、この銀河を混沌に陥れるはず。先生に相談というのは、これをどこの誰に与えればいいか、それを伺いたかったのよ」
「最も効果が現れる人物が良いという事だね?」
「それはそうよ。ジュカみたいにへたな小者に悪の精神を植え付けたって何も起こらないでしょ」
「まあ、あれはあれでいいのではないかと思うがね」
「あたしはジュカみたいに粘り強くないから失敗作を改良するなんて真似はできない。だからこの四滴は本当にこの銀河を破壊しかねない大物だけに与えたいのよ」
「確実などというものが存在しないのは君もこれまでの経験でわかっているだろう。四人の大物か、難しい相談だね」
「先生、意地悪しないで。候補くらいすぐに思い浮かぶでしょ」
「そうだねえ。お茶でも飲みながらゆっくりと考えるのではだめかい?」
「先生、あたしはこんな下の世界に一秒たりともいたくないのよ。アビーや先生みたいにあまねく愛で接するなんてまっぴらだわ。とっとと仕事を片づけて上に戻りたいの」
「ははは、それでは仕方ないね。ここで話を続けよう」

 
 男はチエラドンナをロビーにエスコートし、ソファに腰掛けておもむろに話し始めた。
「私も注意して見ている訳ではないが、これはと思う人間が数人いる。ところでやはり今の世界に強い不満や恨みを持つ者の方がいいだろうね?」
「やっぱりそうなるかしら」
「だとするとあの男は除外だな。まあ、いずれにしても行方知れずらしいが」
「それは誰?」
「この銀河の歴史を調査している学者だが、学者というよりは冒険家だね。なかなか豪快な男だったが行方不明ではね」
「デズモンド何とかね――先生が行方不明って言う事は、あの面倒くさい場所にいるんでしょ。あんな所にわざわざ行くなんてまっぴらだわ。他にめぼしいのは?」

「興味深い人物が一人いる。この星で奸計に落ち、異次元に迷い込んだが《巨大な星》で復活した。頭脳、体力、そして世界に対する怒り、君が求める素養を全て備えているのではないかな」
「うん、それいいわ。まさか行方不明じゃないでしょうね」
「いや、《巨大な星》にいるはずだ」

「できればその近辺であと三人」
「難しい注文だ。いくら人材の宝庫とはいえ――いや、いない訳ではないな。少しスケールはダウンするが、一人は『全能の王』の再現を目指して挫折し、ストレスを溜め込んでいる。もう一人は天才建築家としての輝かしいキャリアが終わりを告げようとしている。彼らも又、世界に対して不満を持っているだろうな」
「あと一人は?」
「さすがに思い当たらない――そうだ、こんなのはどうかね。ジュカの失敗作の所の家臣だが、邪法を使う野心家がいるにはいる」
「うーん、失敗作の子分ってのが気になるけど、それで我慢するわ。皆、近くにいるんでしょ」
「急いだ方がいいかもしれないね。今すぐ行動すれば《巨大な星》だけで済むと思うが」
「こうしちゃいられないわ――先生、ありがとうね。又、いずれゆっくり。まだしばらくこっちにいるんでしょ?」
「ああ、君たちのフォローもしておくよ。もっとも――」
「もっとも何?」
「私が興味あるのはもっと後だけれどね。シニスターがこの銀河を覆うのか、それを打ち破る者が現れるのか、どちらにせよ強大なエネルギーと情熱が動くはずだ」
「それがナインライブズ?」
「おそらく」
「いよいよね」
「上の者から見れば相変わらず一瞬だが、下の世界では数十年――そう遠くない未来さ」
「ふーん、先生がここにいるのはこの星にその何かを感じ取ったためなのね」
「さすがだね。だがこの星にはまだそのきっかけすら生まれていない。きっとこれから君のやる事が必要なのだろう」
「ふふふ、だったら急がなきゃ。じゃあ、あたし行くから」
 チエラドンナは真っ赤なワンピースをひるがえすと、かき消すようにホテルのロビーからいなくなった。
 一人残された男はロビーのソファに体を深く沈めた。
「忙しい娘だ。だがここから数十年、私も忙しくなるのかな」

 

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