5.5. Story 3 エテルの野望

 Chapter 6 シニスター降る日

1 瞬時移動の夢

 《巨大な星》にあるアンフィテアトルはいつも通りの陽気な夜を迎えていた。大陸全土を揺るがした宗教対立も収束し、街には元通りの平穏な雰囲気が戻っていた。
 賑やかな街の一角に古いバーがあった。扉には読めるか読めないかの文字で”Le Reve”と書いてあった。
 店内には一人の男が座って、カウンタの向こうのマスターと話していた。

「サロンの顔ぶれもすっかり変わってしまったなあ。ソントンは大学を辞めて《森の星》に移住したし、デズモンドは行方不明だそうじゃないか――それにエリザベートもいなくなった」
「エテルさんはエリザベートをお気に入りでしたからね。オーロイとの間に娘さんが生まれたようですよ」
「幸せに過ごしてくれればいいな」
「そうそう、アンを覚えてますか。デズモンドの助手の」
「もちろんだよ。女優になるためにこの街に来たのに冒険家になったお嬢さんだろ。彼女はどうしたんだい?」
「結婚するんだそうです。相手は地元の幼馴染で彼女に銃を作ってくれた人の息子さんらしいですよ」
「何をしている人だい?」
「ああいうの何て言うんでしょうね。鉱脈を探して山を渡り歩く――」
「山師か?」
「それそれ。一発当たれば大金持ちでしょう?」
「なかなかそう上手くいくものではないし、この辺の鉱山ではなあ」
「旦那さんになる人は辺境に行きたがってるんで困るって、アンはこぼしてるらしいですよ」
「辺境と言うと……《歌の星》の先かな」
「連邦がきちんと警備している場所はいいんでしょうけどね。そこから一歩はずれると海賊や追剥がうろうろしているらしいですからね」
「最近では連邦の警備範囲内でも安全ではないよ。叡智が発動しなくなって以来、連邦の箍も緩んでいる」
「千年続いたこの平和な時代も終わっちまうんですかねえ」

 
「エテル、久しぶりじゃないか」
 サロンのドアが開いて痩身のユサクリスが入ってきた。
「やあ、ユサクリスか。相変わらず良い作品を書いているみたいじゃないか」
「いやいや、啓示を与えてくれる人間が次々に去っていく。もはや出がらしさ。それより君はますます有名になっていくな。ダレンの連邦府、《七聖の座》の職員宿舎、今度はヌエヴァポルトの美術館も設計するらしいじゃないか」
「まあ、そんなのは大したものじゃない」
「ははーん、君がそう言う時は何か別の壮大な企みがある時だな。教えてくれたまえ。このユサクリスに新しい楽曲へのモティーフを与えるためにも」
「仕方ないな。実は究極の移動形態を模索中なんだ」
「究極?」
「うむ、ある地点から別の地点に移動するのには当然時間がかかる。例えば体の悪い人や高齢者にはこの移動時間というのが馬鹿にならない。もちろん普通の人間だって移動時間が惜しいという事があるだろう。もしもこの移動が一瞬にして行われたとしたらどうだ。私はこれを瞬時移動と名付け、それを行う『転移装置』なるものを建築に取り入れようと思っているのだ」
「しかし現在の科学技術では無理だろう」
「うむ、実現は非常に困難だ。だが私はここ、アンフィテアトルに転移装置の実験場を造った。このためだけに科学者であるギンモンテも雇い、日夜、実用化の実験に取り組んでいるのだ」
「ほお、で、実験はどの辺まで進んでいるのだ?」
「動物実験は成功した。人間で成功した暁には頑固な連邦とてこの技術を採用せざるをえないだろうね」
「エテル、乾杯をしよう。君の成功を心より祈っているよ」

 
 アンフィテアトルのはずれにエテルの実験場はあった。古い屋敷を改造した研究室の隣には大きな体育館のような建物が隣接していた。
 エテルは研究室に入った。
「ギンモンテ、様子はどうだ?」
「ああ、エテル様。順調にデータは集まっています。もう一月も経てば連邦へ何がしかの報告ができるでしょう。人間で実験するにはもうちょい時間がかかりますね」
「わかった。続けてくれたまえ」

 エテルは屋敷の隣の建物に向かった。そこは高い天井の文字通りの体育館だった。
「バンバ。元気か?」
 エテルが声をかけたのは体育館の脇で寝こけている三メートル近くはありそうな髭もじゃの巨人だった。巨人はエテルの呼びかけにゆっくりと目を開いた。
「ん、ああ、先生か。こっちは何も変わりないよ」
「そうだろう。お前がここにいれば、誰も技術を盗もうとは思わん」
「この装置、そんなに大事なのか」
 バンバは空間の中央に二基置かれた人一人が入れるくらいの大きさのカプセルを見て言った。
「ああ、上手くいけばな。私たちは好きな時に好きな場所に行けるようになるんだ。バンバ、どこに行ってみたい?」
「バンバはどこでもいい。先生についてくよ」
「……ありがとう。お前用の特別サイズも用意しないとな」

 エテルは実験途中の装置に手を触れた。
 これこそが私の建築家としての集大成、これが完成すれば都市における道や建物における廊下といったものが根本から見直される、建築は新たなる地平を目指すのだ。

 

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