5.5. Story 2 悪魔が囁く時

 Story 3 エテルの野望

1 夢の一時

 

積極的な男

 大都たち三人は真っ黒に日焼けして研究所に戻った。
 結局、三人は日程を調整して、すっかり打ち解けた静江や真由美たちと同じ電車で東京に帰った。
 土産の干物を舎監と賄いの老婦人に渡すと、婦人は喜んだが舎監はいつも通りの仏頂面だった。
「お気に召しませんでしたか?」
 糸瀬が気まずい空気を察して舎監に尋ねた。
「いや、そんな事はない。喜んで頂戴するよ――それにしても」
 舎監はそう言って糸瀬と源蔵の顔を正面から見据えた。
「若いというのはいいものだ」
 干物を片手に食堂を出ていく際に舎監は三人の方を振り返り、大都の顔を一瞬だけ見つめてから、にやりと笑った。

(この男、私が千葉の地回りと悶着を起こしたのを知っている?)

 
 夕食が終わると糸瀬が二人に尋ねた。
「ところでお二人さんはお嬢さんたちの連絡先を聞いたかい?」
 大都も源蔵も首を横に振った。
「そういう糸瀬はどうなんだ?」
「ん、聞いてないよ。ははは、私たちは本当にだめだなあ。こんな事では結婚などできないな」

 
 糸瀬は嘘をついた。
 海からの帰りの電車の中でようやく聞き出した真由美の電話番号に連絡して外で会う約束を取り付けていたのだった。

 休み明けの最初の休暇は糸瀬、次が大都、そして源蔵の順番だった。
 糸瀬は真由美と銀座で映画を観て、喫茶店でケーキを注文した。
「楽しい映画でしたね」
「ええ、映画を観たのなんて久しぶりですわ」
 今日も白いワンピースを着た真由美が微笑んだ。海に行ったばかりだと言うのに肌は抜けるように白かった。
「あのぉ」
「はい、何でしょう」
「真由美さん、私をどうお思いでしょうか?」
「えっ……皆様、良いお友達ですわ。須良様も文月様も。又、皆でお会いしたいですわね」
「そう、そうですね――ご存じでしたか。あの二人といったら、あなた方の誰にも連絡先を教える事も聞く事もしなかったらしいのですよ。全く気が利かないというか」
「まあ、そうですか……でしたら厚かましいお願いですが。お二人に私たちの連絡先を教えてあげて頂けませんか。今、書きますので」

 真由美はバッグから小さな手帳を取り出し、六人の女性の住所と電話番号を書いて糸瀬に手渡した。
 糸瀬はそれをちらっと見て驚きの声を上げた。
「やはり皆さん、育ちがよろしいですね。真由美さんは文京区のMと言ったら東京でも有数のお屋敷街じゃないですか。静江さんは日本橋、他の方も成城に麻布……」
「出過ぎた真似でしたかしら。でも皆様を信用していますので、他の方には言わないで下さいね」
 夢中になり、声に出して住所を読み上げていた糸瀬は真っ赤になって俯いた。
「もちろんです。二人に伝えます――ところで又、会って頂けませんか?」

 
 糸瀬は上機嫌で寮に戻った。
 食堂で得意満面になり、真由美のメモを二人の前にちらつかせた。
「ん、糸瀬、何だそれは?」と大都が尋ねた。
「ほら、海で会った六人の妙齢の女性たちの連絡先だ。テーブルの上に置いておくから好きに写せ」
 大都も源蔵も不思議そうな面持ちで糸瀬を見つめた。
「どうしてだ?」
「えっ、又会いましょうって事だろ。いいのか、写し取らなくても。後悔するなよ」
「そんなに簡単に個人の情報をやり取りするのは危険じゃないか」
「信頼されているからだろう」
 目の前でメモをひらひらさせても、大都も源蔵も興味を示さなかったので糸瀬は拍子抜けした。
「わかったよ。お前らには勝てない。もし興味があったら聞きに来てくれ」

 

鈍感な男

 三日後に源蔵の休みの順番となった。
 源蔵が朝早く研究所の敷地の外に出ようとすると郵便配達の男が途方に暮れていた。
「あっ、この建物の人ですか。ウナ電ですけど誰も出てこないんですよ」
 舎監は朝から留守かとあきれ、電報を代わりに受け取った。
 差出人は静江だった。
「ああ、これは私宛てです。どうもありがとう」
 源蔵は電報の中身を確認した。

 ダイシキュウコウトウクSキッサミヤコドリニコラレタシ シズエ

 一向に心当たりのない源蔵だったが、待ち合わせ場所に指定された江東区Sの喫茶店に行った。
 『都鳥』という名の喫茶店のドアを開けると「いらっしゃいませ」という声が響いた。静江の声だった。
 静江は源蔵を席に案内し、テーブルに水の入ったコップを二つ置くと、奥にいるマスターに「ちょっと休憩入ります」と言ってそのまま源蔵の向かいの席に腰掛けた。
 訳がわからず源蔵が黙っていると静江が静かに切り出した。

「糸瀬さんから聞かなかった?」
「えっ……あっ、連絡先の事かい?」
「そう、それよ。何で連絡してくれないの?」
「いや、まあ、それはその、私も大都もメモを取らなかったから」
「まあ、大都さんまで。本当にしょうがないわね。そっちの話は後にするとして、まずはこちらの話をしましょうか」
「ちょっと、ちょっと待って下さい。君はここで何をしてるんだい?」
「見ればわかるでしょ。待ち合わせ時間も決めないのにこうして会えたって事は、あたしは一日中ここにいる、つまり働いてる訳よ。ここはあたしの父親の経営する喫茶店、奥にいるマスターはあたしの父親の弟、つまりおじさん。わかった?」
「うん、わかった。でも君の実家は日本橋じゃなかったっけ?」
「そうよ。父は日本橋で食品の輸入会社を経営してるわ。これからはコーヒーが流行るだろうって見込んで、豆の輸入がてら、ここと新宿で喫茶店をやってるの」

「何だかS女子大のイメージと違うな」
「大学ではあたしは異分子よ。親の見栄で子供の頃からSに通ってるけど、周りは皆、生粋のお嬢様。あたしはご覧の通り商人の娘だからお嬢様ぶっても絵にならないの」
「真由美さんとはとりわけ仲がいいじゃないか?」
「真由美はね、特別……うーん、言ってもいいのかなあ。真由美のお父様はさる有名な鉄鋼会社の社長なの。でも滅多に家には来ない。『佐倉』って苗字もお母様方のもの……ここまで言えば察しの悪い源蔵さんでもわかるでしょ?」
「お妾さんって事かい?」
「真由美も別の意味で異分子。だからあたしたち、子供の頃から仲良かった。お互いの考えは顔を見ればわかるのよ」
「私たち三人と同じようだね。私たちには身寄りがないという共通点がある」
「でも源蔵さん、いつかは岩手に帰るんでしょ?」
「いや、帰っても居る場所はないさ。大都が言う『桃源郷』に行けるなら別だけど」
「何それ。でも良かったわ。東京にいらっしゃるのね。だったらこの喫茶店のマスターなんてどう?あたしがウェイトレスやるから。素敵じゃない?」
「うーん、手先があまり器用じゃないんだよなあ」
「……もう、本当に鈍いわね」
「?」
「まあいいわ。あたしたちの事はじっくり話し合いましょう。もう一人の鈍感男の話をしなくちゃ」

 
 水をごくりと一口飲んでから静江は話し出した。
「ねえ、大都さんは真由美をどう思ってるの?」
「うーん、正直、大都は何も言ってないなあ。いい奴だけどあれほどの変わり者もいないから」
「どこがそんなに変わってるの?」
「……まずあいつの生い立ちだが三人の父親に育てられたんだそうだ。一人目はもちろん実の父、この人は小学校の教師だった。二人目はポルトガル人の船乗り、三人目は極道の親分」
「確かにあまりなさそうな経歴ね」
「世界でも例を見ないと思うよ。二人目のポルトガル人に至ってはその正体が宇宙人だったんだから」
「――ちょっと、ふざけないで」
「私も同じ事を言ったよ。でも大都は大真面目だった。そもそも研究者になった動機にしても研究を完成させて宇宙に行くためなんだ。いつかその宇宙人と再会する約束を実現するために努力していると言っていた」
「……大都さん、勉強のし過ぎかしら」
「いや、付き合えばわかるが他におかしい点は見当たらない。勉強し過ぎ云々ではなく誰にも経験できないような少年時代を送った事に依るみたいだね」

「……源蔵さん、その話、どこまで信じてるの?」
「大都は三人の父親に育てられた。二人目の父親が宇宙人というのは言い過ぎだが、それに近い傑物だったのではないかな。そのポルトガル人と再会するために研究をしているのだとしたら、さすがに付いていけないがね」
「良かった。宇宙人なんて信じてなくて」
「いや、大都の話を総合するとそれなりに辻褄は合っているんだよ。すっかり引き込まれてしまう時があって、いかん、いかんと思うんだ」
「やっぱり変わり者だなあ。真由美と結婚しても『宇宙へ行く』って言い出しそう。でも糸瀬さんはどうもなあ」
「ん、糸瀬がどうしたんだい?」

「本当に鈍いのねえ。糸瀬さんは真由美を気に入ってるけど、真由美は大都さんを気に入ってる。大都さんは変わり者で何考えてるかわからない。これじゃ困るでしょ」
「糸瀬じゃあだめかい?」
「うーん、他人を悪く言いたくはないけど、あたしは苦手――まあ、周りでやいのやいの言ってても仕方ないわね。当人同士がどう思っているかが大事だわ。源蔵さん、大都さんの次のお休みはいつ?」
「ええと、明後日だったと思う」
「じゃあその日に真由美と二人で会ってもらいましょう。午後4時にここに来るように大都さんに伝えてくれない。糸瀬さんには内緒ね」
「あ、ああ、わかった。でもいつまでも糸瀬に秘密にしておく事もできないよ」
「最初の一回だけでいいのよ。二人でじっくり話す機会さえ設けてあげれば、後は当人同士の問題。子供じゃないんだし――ね」

 結局、源蔵は『都鳥』で夕飯までご馳走になって寮に戻った。
 夜中に大都の部屋に行き静江の要望を手短に伝えると、大都は表情を変えずに「わかった」とだけ答えた。

 

別次元の男

 大都の休みになった。
 神田の古書店街をぶらつき、洋書を二冊購入した。購入した本の一冊は糸瀬の研究に関係のある都市工学についてのもの、もう一冊は源蔵の研究に関係ある植物学についてのものだった。研究を手伝っている内に興味が湧いたためだった。
 近くの喫茶店でカレーを食べてから門前仲町に向かった。

 
 大都は勝手知ったる市邨家の門をくぐった。応対に出たのはまだ若い可愛らしいお嬢さんだった。古風だったお千代さんとは違って現代的な明るい感じの女性だった。
「この人がお千代さんの後の奥さんだな」
 大都は心の中で思いながら名前を告げた。
 家の中に通され、主の伝右衛門が現れた。
「おお、大都じゃねえか。どうしたんだ?」
「江東区のSで待ち合わせがあって、そのついでに。ついでなんで手ぶらでごめん」
「心遣いは無用だ。家族じゃねえか――それにしても、しっかりとやってるみてえだな」
「ぼちぼちとね。そう言えばこの間、ジェイクに会ったよ」
「ああ、連絡があった。お前を怒らせて潰されるんじゃないかって本気で心配してたぞ」
「まさか――」

 
 応対に出た女性がお茶を持って現れた。
「ああ、大都に紹介がまだだったな。女房のひさだ」
「ひさでございます」
「須良大都です。この屋敷と伝右衛門さんにはお世話になりっぱなしです」
「まあ、それはこちらの科白ですわ。どうぞ、ごゆっくり」

 ひさが下がると大都が嬉しそうに言った。
「ようやく再婚する気になったんだね」
「おう、まあな。そろそろ跡目の事も考えなきゃなんねえ。別にてめえの血を分けた子じゃなくてもいいと思ってたが、お前を見ちまった後じゃあ、誰もお眼鏡にゃかなわねえ。困ったもんだぜ」
「ははは、じゃあ身内に継がせるんだね。うん、それがいいよ」
「ゆっくりしてってくれんだろ――ああ、Sに行くんだったな。何だってあんな場所に行くんだ?何もねえ場所だぞ」
「人に会うんだよ」
「これか」と言って伝右衛門は右手の小指を立てた。
「うん」
「いい女じゃなきゃ承知しねえぞ。どんな女だ?」
「うーん、どことなく雰囲気がお千代さんに似てる」
「何て言ったらいいか、わかんねえな。だがよ、大都、おめえは男所帯で育ってきたからお千代以外の女性と接した事がねえだろう。くれぐれもしくじるなよ」
「お千代さんに似てれば安心でしょ?」
「ん、いい趣味だ――ひさには黙っとけよ。焼きもち妬きやがるかんな」
 伝右衛門は大笑いをした。

 
 大都は午後3時過ぎに伝右衛門の屋敷を後にした。ここからなら歩いても三十分はかかるまい、商船大学を右手に見て、豊洲を抜けると江東区Sだった。
 お目当ての喫茶店『都鳥』はすぐに見つかり、大都は店の中に入った。
「いらっしゃいませ」
 女性の従業員の声が聞こえたが、それが静江だとわかり、大都は入口で立ち尽くした。
「あれ、静江さん。ここで何を?」
「お客様、お待ち合わせですね。どうぞこちらへ」
 静江は大都の質問を無視して奥の席へと大都を案内した。そこにいたのはクリーム色のワンピースを着た真由美だった。

「あ、こんにちは」
「こんにちは」
 二人がぎこちない挨拶を交わし大都が席に着いたのを見届けて、静江は満足そうにその場を離れた。
「あの、須良様」と真由美が先に口を開いた。
「大都でいいです」
「はい、大都さん。今日は申し訳ありません。ご無理を言ってわざわざ来て頂いて」
「いえ、神田で本屋を冷やかしてどこかの喫茶店で買った本を読むくらいの予定しかありませんから。気になさらないで下さい」
「それならいいんですけど……」

 
「真由美さんのお住まいは文京区のMだそうですね?」
「ええ」
「私は麹町区のFで生まれ育ったんですよ。小石川は目と鼻の先でしたから雑司ヶ谷あたりまで足を伸ばして遊びに行きましたよ」
「本当ですか。何もない所でしょう」
「いえ、冒険するには最適のお屋敷と森のある場所でした。あの辺りは空襲を免れたんですよね?」
「ええ、大都さんのお住まいは?」
「家は無事だったのですが、ちょうどあの晩、深川に行っていましてね。大空襲に巻き込まれました」
「まあ、大変でしたわね」
「父はすでに戦死していましたから育ての親が散々探し回ってくれたのですが。私は意識を失って門前仲町のあるお屋敷で介抱されたんです」
「それでどうなりましたか?」
「戦後、二、三年して私が上野で愚連隊の真似事をしていた時に育ての親と再会する事ができました」
「良かったですわね。それでその育ての親の方と暮らされたのですね?」
「そうではありません。育ての親は根っからの旅人でしたから、一緒に岩手に行ってすぐに別れました。それきり会っていませんが――私が研究者になった理由もその人間と再会するためなんですよ」
「色々とおありですのね」
「すみません。私の事ばかり話して。退屈でしょう?」
「いえ、面白いですわ。普通とは違う人生を歩んでいらっしゃる大都さんのお話、もっとお聞きしたいです」
「ははは、普通ではないか。確かにそうですね。その育ての親の素性を言えばもっとびっくりしますよ」
「えっ、どういった方ですか?」

「表向きはポルトガル人と名乗っていましたが、その正体は《オアシスの星》からやって来た宇宙人なんです」
「えっ……」
「いいんです。信じて頂かなくても。むしろ信じろというのが無理な話です」
「――私の正直な気持ちを申し上げますわ。大都さんは嘘をつくような方ではないでしょうから本当なのだと思います」
「それはありがとうございます。ですから私の夢を叶えるとは、つまりこの星を離れる事なのですよ」
「きっとそうなりますわね。大丈夫です。大都さんならきっとその夢を叶えられます」
「真由美さんは不思議な方ですね。私がここまで話をしたのは源蔵だけですが、源蔵ですら話半分にしか受け取っていなかった。なのにあなたは全面的に信じてくれるなんて」
「大都さんがおっしゃった事だからですわ。私も陰ながら応援させて頂きます」
「真由美さん――ありがとう」

 
「私、子供の頃から病弱で、あまり表で遊ぶ事もできなかったので部屋で空想ばかりしていました。空想の中では私はたくましい夫のいる強い母親でした。二人の間には娘がいて、その娘は成人してこの宇宙の危機を救うんですの――きっと乱歩や海野十三の読み過ぎですわね」
「いや、夢物語などではありませんよ。真由美さんのその夢が現実になる日がやってきます」
「それを実現するのが大都さんの研究という事ですね?」
「その通りです。文明のレベルが低いと思われているこの星でもここまでやれるのだという所を見せれば、世界は変わるはずです」
「えっ、地球は文明のレベルが低いのですか?知りませんでした」
「残念ながら――私は育ての親が見せてくれた輝かしい文明の成果に幾度となく打ちのめされました。例えば私たちは未だ月にさえ行けていないのに、彼らはほんの数分で月まで行って戻ってくる事ができるのです」
「……大都さん、私、お願いがあります。大都さんの傍にいてもよろしいですか?」
「うーむ。真由美さんのように私の話を信じて下さる方が傍にいて下さるのはありがたいですが、今申し上げたように私は宇宙に旅立ってしまう人間ですよ。それでもいいのですか?」
「構いません。お傍に居られるだけでいいんですの」
「うーむ」

 
 いつの間にか傍に立っていた静江が真由美の隣の席に腰掛けた。
「ちょっと、大都さん。女性にここまで言わせて平気なの?」
「ううん、静江。大都さんを責めないで」と真由美が言った。「大都さんはやがて宇宙へ行ってしまうお方、そうなったら私が淋しいだろうとお思いになって躊躇われているの。そうですわよね?」
「ええ、真由美さんの言われる通りです。私は真由美さんを思っているからこそ踏み切れないでいるのです」
「あんたたち……あきれたわ。そんなどうなるかもわからない素っ頓狂な未来の話で悩んでるなんて」
 静江が怒ったような声を上げた。
「確かにその通りです。私は自分の研究に自信を持っていますが、この世に100%確実なものなど存在しません」
「ああ、もうそういう事じゃなくて――二人とも今のお互いの気持ちはどうなのよ?」
「だから言ったように真由美さんを憎からず思っています」
「私も大都さんのお傍にいたいと思っていますわ」
「つまり、それが一番確かなものなんじゃないの?」
「確かに。静江さんのおっしゃる通りですね」
「だったら付き合いなさいよ。訳のわからない未来が心配で付き合わないなんてナンセンスよ」

 
 こうして静江の取り計らいにより大都と真由美は交際を始めたが、すぐに大都は真由美の優しさに魅かれ、真由美は大都の心の広さに魅かれるようになった。
 交際がスタートして二か月あまり経ったある日、大都は『都鳥』で真由美に打ち明けた。
「真由美さん、私の研究はいよいよ最終段階に入った。このまま順調にいけば今から一年後くらいには私は遠い宇宙に旅立っている」
「装置は二基必要なのでしょう。この地球上でしか移動できないんじゃなくて?」
「ああ、説明を端折ってごめん。転移装置が完成したならその装置を携えて宇宙に出かけるつもりなんだ。ある人に頼んで宇宙船を手配してもらう」
「デズモンドさん?」
「いや、デズモンドは行方不明だから、その知り合いの釉斎先生という方に頼もうと思っている」
「その方も他所の星から来られた方なのですの?」
「そうだよ。《牧童の星》の人だ」
「素敵ですわ。いよいよ夢が叶うんですね」
「……そうなんだ。本当はもっと喜ぶべきなのに華やいだ気持ちになれないんだ。どうしてだかわかるかい?」
「さあ」
「このまま君を残して宇宙に旅立っていいのか、悩んでいる自分がいるんだ。」
「でもすぐに戻って来られるのでしょう?」
「さあ、一旦宇宙に出てしまえば何が起こるかわからない。デズモンドみたいに行方知れずになる可能性だってある。何しろ誰も見た事のない世界だからね」

「せっかくのチャンスなのに……」
「真由美さん、君が嫌だと言えば考え直す。君がいるこの世界で生きていてもデズモンドに再会する機会はあるかもしれない」
「大都さん、それはだめです。『天使に後ろ髪はない』と言いますわ。あなたの信じる道を進んで下さい――でも一つだけわがまま言ってもいいでしょうか?」
「何でしょう」

「私――あなたの子供が欲しいのです。あなたが遠くに行って二度と会えなくなってもあなたとの証があればきっと私は生きていける……ただのわがままでしょうか?」
「それはどうなんだろう。私に万が一があったなら君は一人で我が子を育てていかなければならない。それは君にとっても苦しい人生だし、君の家、佐倉の家名に泥を塗る事にもなる。君は私のような天涯孤独の身の上とは違うんだ」
「私、今まで一度も親に逆らった事がありませんでしたけれども、これについては自分の意志で行動したいんです。大都さん、あなたのお邪魔はいたしませんからあなたと一緒の人生を歩ませて下さい」
「真由美さん、気持ちは有難く受け止めるよ。時間はあまり残されていないけど一緒に考えよう」

 
 二人の仲は急速に発展した。真由美の家の中原という執事が大都を気に入り、色々と無理な注文も聞いてくれた。
 ある日、文京区Mの佐倉の屋敷に大都が遊びに行った時に中原はこう言った。
「こんな事を申し上げるのは生意気ですが、やはりお嬢様は人を見る目が確かです。大都さん、お嬢様をよろしく頼みます」
「こちらこそ、中原さんには便宜を図って頂き、感謝しています」
「ですがあちらにどうやってお断りをすればいいのでしょう」
「あちらというのは?」
「いえ、何でもありません」
「ははあん。やはり真由美さんのように素敵な女性だとそういう話も多いんでしょうね」
「ええ、まあ。あちらはなかなか気の利くお方のようで奥様は気に入っておられます。しかし大事なのはお嬢様のお気持ち。困りましたな」
「中原さんはどうなって欲しいんですか?」
「私はもちろんお嬢様のお気持ちを優先するべきだと思っております。どうもあの――ああ、どうやら少ししゃべり過ぎたようで執事失格です。今のはお忘れ下さい」

 

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