目次
1 カザハナ
トーグルとネネリリはマンスールに連れられて、《巨大な星》、サディアヴィルの近くの古びた教会に向かった。
すぐにヅィーンマンと名乗る紳士が駆け寄ってきて、二人の客人を礼拝堂に招き入れた。
マンスールはヅィーンマンを呼び寄せて耳元で囁いた。
「ム・バレロ様はいらっしゃるのか?」
「そ、それが」とヅィーンマンは口ごもった。「すでにお帰りになられております。その代わり、『錬金候』と名乗る方が奥にいらっしゃいます」
マンスールは二人の賓客に「ちょっと失礼」と言い残して、礼拝堂の奥の部屋に入った。
精悍な顔つきにあごひげを生やした男が座っていた。
「いい身分だな。この私を使い走り扱いとは」
マンスールは嫌味を言った。
「まあ、そう言うな。お主にも大きな見返りがあるぞ」
「ふん、ではお前を『錬金候』ジュヒョウと紹介して構わんのか?」
「それはまずいな。トーグル王はデズモンド・ピアナと懇意ゆえに私の名を聞き知っているかもしれん――ストウパ、これにしよう。《精霊のコロニー》の医術師ストウパだ」
マンスールはストウパと名を変えたジュヒョウをトーグルとネネリリに紹介した。
「コロニー……ストウパ様も精霊ですか?」とトーグルが尋ねた。
「左様。長年の研究の結果、精霊の属性のみならず、人の人格までも完全に制御できる方法を発見したのです。お聞きになりたいかな――
トーグルとネネリリは急ぎ、《鉄の星》に戻り、すぐに会議が行われた。《銀の星》のナジール王、スハネイヴァ王妃、アレクサンダー、それにマンスール司祭、ストウパことジュヒョウが一堂に会した。
トーグルが険しい表情で口を開いた。
「長らく私の中で懸案事項となっている問題がある。それは『全能の王』の再来を早急に出現させる事であったが、どうやらその目途がついたので皆に報告したいと思う――その前に紹介しよう。《巨大な星》の聖サフィ派教会司祭のマンスール殿と精霊の医術師、ストウパ殿だ」
「マンスール殿と言えば宗教対立を収めた聖人の誉れ高きお方」とアレクサンダーが言った。「私も連邦大学アンフィテアトル校で教鞭を執っておるのでよく存じ上げている。その宗教家の方が何故、斯様な問題に関わられるのか?」
「名前を存じ上げて頂いていて感激です。恐らくアレクサンダー殿はかのデルギウスの師、アンタゴニスから連なるお方。あなたであればよくおわかりでしょう。全て聖サフィのお導きですよ」
「何……で、聖サフィは何と言われたのでしょうか」
「はい。聖サフィは、今こそ『全能の王』を再来させるべき時であるとおっしゃられました。しかし悲しいかな、普通の方法では『全能の王』などこの世に出現するはずもございません。私はどうすれば『全能の王』を出現させる事ができるか尋ねました。するとサディアヴィルより南の町、ダグランドに行けとご宣託があったのです。そこで私は隣にいる精霊の医術師ストウパと出会いました。私の役目は聖サフィのお言葉を伝え、ここにストウパを連れて来る事なのです」
「ネネリリ様は既にご懐妊されておられる。来られるのが少し遅かったのではありませんかな」
「いえ、決して手遅れではございません。ご懐妊前に特殊な薬を飲むですとか、月満ちる日まで三百日間祈祷を欠かすなといった類のものではありません。お后様には出産の日まで普通に生活を過ごして頂くだけでございます」
「となると残る手段は、生まれた赤子に何かを施すしか残されていない。しかしそのような形で後天的に『全能の王』を仕立てても、それは所詮偽り。違いますかな?」
「アレクサンダー殿のおっしゃる通りです。そこまで熟慮されているのであれば、こちらが詳しい説明を致す前に、アレクサンダー殿のお考えをお聞かせ頂けませんか?歩み寄れる点があるかもしれませぬ」
「なるほど。私にも説明の機会を与え、あくまでもフェアに、という訳ですな。いいでしょう。ご説明致します――
――私の出した結論は、『全能の王』は望んだからと言ってこの世に現れるものではないという動かしようのない事実です。それは我が祖、アンタゴニスの記録にも明確に記されております。
すなわち「――人の生死を弄ぶのはあまりにも傲慢な所業である。『全能の王』が志半ばで倒れるような事があれば、その時は『死者の国』への旅立ちを邪魔してはいけない。彼に代わる人形でも押し立てて偉業に向かって邁進するしかないのだ――」
「おや、アレクサンダー殿ははなからあきらめているご様子ですな」
マンスールがおかしそうに尋ねた。
「いや、あきらめた訳ではない――私は我が祖アンタゴニスの記録を、『全能の者』は作り出すものではないと解釈した。だが作りだせないのであれば、それを補佐する何かを生み出してやればいい、それはつまり『クグツ』に他ならない、私はそう考えている」
「アレクサンダー殿。『クグツ』というのはただの自動人形ですな。それはまずい。やはり生身の人間でないと」
「マンスール殿、世間が求めるのは『全能の王』というイコンだ。無理に危ない橋を渡る必要などないだろう」
「誰が危険を冒すと言いましたか。ではこちらの案を説明致しましょう」
マンスールに代わってストウパと名乗るジュヒョウが低い声で話し出した。
「『全能の王』を作りだすために『精霊触媒』の術を用います」
「精霊触媒?」
「はい、精霊を触媒として生まれる人格を完全なる善と悪に分離するのです」
「……では生まれるのは完全に善なる子か?」
「いえ、あくまでも分離でございます。生まれてくるのは、一人は完全な善なる子、すなわち『全能の王』の再来、そしてもう一人は完全な悪なる子」
一座にしばしの沈黙が流れたがアレクサンダーが沈黙を破った。
「そんな所業がまかり通るはずがなかろう!」
アレクサンダーがテーブルを叩いた。
「この世に完全なる悪の子も生み落してしまうなど悪鬼の仕業ではないか」
「実は……」とジュヒョウが続けた。「私自身、人為的にではありませんが分離した二つの人格の片割れなのです。もう一つの人格は精霊の繁殖地作りに励んでおります一方で、私は錬金研究に心血を注いでいる……このように考えると完全な善、完全な悪だからと言って一概に嫌悪するのは如何なものでしょうか。もしどうしてもお嫌でしたら、悪の子はどこかに幽閉しておけばいいではありませんか」
「……うーむ」
トーグル王が唸っているのを見てナジール王が助け舟を出した。
「でしたらその悪の子はブライトピア家が預かりましょう。当家にはすでにエスティリとノーラという立派な跡継ぎがおります。その子はおっしゃる通り、塔に住まわせ、人目に晒さないようにすれば――」
「いかん、いかんぞ!」
アレクサンダーは激怒した。
「鬼畜の所業、許されるものではないわい」
「……先生」とトーグル王が重い口を開いた。「冷静になって下さい――」
広間の外で小さな物音がした。
室内の誰もが会議に没頭していて気にも留めなかったが、物音の主はエスティリとノーラだった。
「だめよ、エスティリ。気付かれちゃうじゃない」
ノーラが声をひそめた。
「大丈夫だよ、ノーラ。皆、会議に夢中でこっちを見ようともしない――それにしても何て恐ろしい事を話してるんだ」
エスティリが更に身を乗り出して会議の様子を覗こうとすると、背後から突然に肩を掴む者がいた。
「こら、覗き見はよくないよ」
立っていたのは黒髪の美しい女性だった。
「……君は?」
「私はカザハナ、あなたたち、《銀の星》の王子様と王女様でしょう。お城を案内してくれない?」
エスティリは顔を真っ赤にして何かを言おうとした。
カザハナは優しくエスティリとノーラの手を取ると、「さ、行きましょう」と言って歩き出した。
カザハナを中心に手をつないで王宮の廊下を歩きながらエスティリはカザハナを見上げた。
「ねえ……お姉さん?」
「カザハナよ」
「ねえ、カザハナは何しに来たの?」
「どうしてそんな事聞くの?」
「今、広間にいる人たちと一緒に来たんでしょ」
「そうよ」
「何だか嫌だな。恐い事を話し合ってたみたいなんだ」
「あら、恐くなんかないわ。これは世界を救うための大切な会議なのよ。さあ、子供はそんな事考えないで、楽しく過ごしなさい――この部屋は何、入ってもいいのかしら?」
広間での会議は結論に向かおうとしていた。
「ではご出産の時に精霊触媒の術を施すという段取りでよろしいですな」
マンスールが勝ち誇ったように宣言した。
「うむ、しかし」
アレクサンダーはまだ納得がいかない様子だった。
「触媒として作用する精霊に危険はないのでしょうな?」
「その点は心配ありません」とジュヒョウが答えた。「精霊はこの世界を救うためにこの世に遣わされているのです」
「本来であれば、その精霊を皆様にご紹介しようかとも思ったのですが、やはりこういう事は秘密裏に進めないと良くありません」
マンスールが付け加えた。
「出産の日までどう過ごせばよいのでしょうか?」とトーグルが尋ねた。
「普通通りにして頂いていて結構です。出産が近付いたなら、また集まって下されば――ああ、ナジール王とスハネイヴァ王妃は生まれるもう一人の子をできるだけ目立たないようにして《銀の星》まで連れ帰って頂かないと」とマンスールが言った。
「仮面を用意しておいた方がいいかもしれません。おそらく生まれてくる二人の子の外見は瓜二つ、悪の子と善の子が同じ顔だと露見しては問題になりかねません」
「私は……どうすればいいのだ?」
アレクサンダーが不服そうな表情で尋ねた。
「それはもちろん、先生には生まれる子に王としての教育を施して頂かないと。素材を生かすも殺すも先生にかかっております」