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20XX.7.31 動き出す世界
美夜が珍しく緊張していた。
人形町の待ち合わせ場所の小料理屋で西浦さんと再会の挨拶を済ませ、美夜と三人で後から来る人物を待った。
最初に姿を現したのは蒲田さんだった。
蒲田さんは西浦さんの姿を認めると、少し照れたような表情を見せて挨拶を交わした。
西浦さんは葉沢さんにも連絡をしたそうだが姿を現さなかった。
店に電話があり、「色々とあるだろうから、後で顛末だけを連絡してほしい」という言伝があった。
「ではこれで全員ですな。そろそろ行きますか?」
西浦さんが腰を浮かすと、蒲田さんが驚いたような声で「どこかに行くんですか?」と尋ねた。
「あはは、君は昔のままだな。当り前じゃないか。地下組織なんだから」
人形町からタクシーで深川方面に移動した。木場を越えた辺りの薄暗い一角でタクシーを降りて西浦さんは歩き出した。
一軒の雑居ビルの前で立ち止まり、中に入った。エレベータを使うのではなく地下へと続く階段を降り、壁にあったボタンのようなものを押すと、ぽっかりと口を開けた暗闇に地下に続く階段がぼんやりと見えた。
「足を踏み外さないように、気を付けて降りて下さいね」
階段を降りた先は驚愕の世界、地下都市がどこまでも広がっていた。広い街路にはぼんやりとした街灯が灯り、街路の両脇には低層のビルが並んで建っていた。
西浦さんは酔っぱらいのようにひょこひょこと前を歩いていった。
蒲田さんは無言でその後を付いて歩いた。ぼくも無言だったが、美夜の手をしっかりと握っていた。
西浦さんは一軒の建物の前で立ち止まった。
「中に入るよ」
建物の中にもぼんやりと灯りが灯っていて、内部は驚くほど広かった。広間のような場所に案内されると、西浦さんが「ちょっと待ってて」と行って出ていった。
しばらくすると一人の老人を連れて戻った。西浦さんと男とぼくたちはテーブルを挟んで向かい合うように座った。
「天野釉斎先生だ。先生、彼らが考えを同じくする者たちです。神代君はご存知でしょうが私の隣が蒲田大吾君、かつての私の同僚です。神代君の隣がジウラン・ピアナ君、デズモンドの孫にあたります。本当はもう一人来るはずだったのですが、その者は公共機関に属しているため、今回は遠慮すると言っておりました」
「そうですか。皆様、ようこそ『パンクス』へ。名前はお聞きになっているでしょうが」
今朝、美夜から組織の名前を聞いたばかりだったので少しどきどきした。
「私どもパンクスは他所の星からこの地球にやって来た人間同士が助け合うために創設されました。現在では西浦さんや神代君のようにこの星の方も参加して下さっているが、元々はこの星で平和に生活していくための互助会のような存在です。ここまではよろしいですかな?」
全員頷いた。
「この星には同じように『アンビス』という地下組織があります。この東京の地下で言えば、東半分がパンクステリトリー、西半分がアンビステリトリーとなっています。アンビスが私たちと大きく違うのは、彼らはこの星で名を成したい、成功したい、そういった野心を持った人間の集まりなのです。実際に表舞台で成功している人の中にはアンビスの者、或いはアンビスの援助を受ける者が数えきれないほど存在しております」
全員頷いた。
「残念ながら、その中には闇社会に深く関わる者、この国の政治や経済を牛耳ろうとする者、最近では怪しげな宗教に名を借りて良からぬ事を企む者までいます――何故、このような組織と我々パンクスが千年に渡って共存できたのか、不思議には思いませんか?」
ぼくは首を傾げた。
「その理由は我々には圧倒的な抑止力があるからです。抑止力と言っても物騒な兵器の類ではありません。それは一人の人物です。それがあるからこそ、アンビスはパンクスには手出しをしないというのが不文律となったのです。そこにいる神代君はその抑止力たる人物の剣の腕に憧れてパンクスに入ったという風変わりなお嬢さんです」
ここで初めて美夜が口を開いた。
「それが父の遺言でしたから」
「そうでしたね。義理人情に厚い最後の博徒、美木村義彦さんのような方はもう現れません。美木村さんがあなたをここに寄越したのは、同じく義理人情で動く師範の下で腕を磨いてほしいと考えたからでしょう」
「ええ、その通りだと思います」
「戦前に一度、アンビスとパンクスの間で事件が持ち上がりました。その時に、その師範がアンビスの本部に乗り込んで不埒な行いをした者十名あまりの首を瞬時に刎ねたのです。それ以来、アンビスはパンクスに対してちょっかいを出さなくなりました。内心ではどう思っているかはわかりませんがね」
思わず質問を口にしていた。
パンクスはアンビスをどう思っているのですか――
「いい質問ですね。我々パンクスは平和に暮らしたいだけです。アンビスを排除するなどと考えた事はありません――ところが今、それが破られようとしている。アンビスを打倒しない事には銀河の平和が実現しないかもしれない、これは困った事態です」
全員頷いた。
「少し前にデズモンドがここに来てその話をした時には、彼を疑いました。しかも彼はその話をして間もなく自分のシップでどこかに出かけてしまった。私たちは仕方なく残されたジウラン君に期待をかけました。最初は疑っていましたが、ここにきてようやくジウラン君の決意が本物だという結論に達したので、こうして会おうという事になったのです。これまでの失礼な真似の数々についてはお詫びしたい。だがこれは我々にとっても死活問題なのだというのをご理解頂けますか?」
ぼくは頷いた。
「アンビスは我々に比べてはるかに強大な組織です。裏社会、政治、経済、司法、警察、あらゆる場所に彼らの息のかかった者がいます」
ここで蒲田さんが質問をした。
「その抑止力とやらを持ってすれば、排除は簡単では?」
「その通りですが、そのためにどれだけの血を流さないといけないのでしょうか。我々もアンビスの末端までを把握している訳ではありません。下手をすれば何百人、いや何千人という人間の殺戮が行われます。我々もそうですが、相手も全世界に広がる組織なのですよ」
全員頷いた。
「ですがようやく道筋が見えました。これは神代君のお手柄です。まずは事実の世界を取り戻すのが先決、その上で脅威となるアンビスの特定のメンバーだけを排除する、こういう手順です」
また質問をした。
それは具体的に誰ですか――
「ジウラン君、まあ慌てないで。それよりも皆さん、早くその抑止力たる人物に会いたいのではないでしょうか。実はその人物は先ほどから、いえ、最初からここにいるのですよ――ケイジ、姿を現して下さい」
天野さんの隣の席に突然に一人の人物が出現した。白の着物を着ていたが、その顔色は緑がかっていて、トカゲそのものだった。
思わず叫んでいた。
あの《起源の星》の――
「ほぉ、ずいぶんと古い話を知っているな。『クロニクル』はどこまで読み進んだ?」
じいちゃんの冒険譚の内容を美夜から聞きました――
「なるほど、私のその後を知るのはまだ先だ。であれば最後に戦うべき相手の名を言っても理解できまい。何、デズモンドに聞けばいい。明日あたりには帰ってくる」
えっ、当てにならないからなあ――
「お前はデズモンドの気遣いがわからないのか。お前をこの異常な状況に徐々に慣らすために、これだけ回りくどい真似をしているのだぞ。いきなり全てを聞いても到底理解できないだろうが、今はこのように私を見ても驚かなくなっているではないか」
確かに、蒲田さんはまるで凍り付いたように動きを止めていた。これは『クロニクル』を読み、様々な出来事を経験してきたおかげだからなのだろうか。
ケイジは口を開けたままの蒲田さんに向かって言葉をかけた。
「私がパンクスの最終兵器でいる限りは、皆の身の上は安全だ。安心しているがよい」
ようやく蒲田さんが我に返って、うんうんと大きく頷く中、突然に美夜が悲痛な声を上げた。
「でも師匠。事実の世界が戻ったら、師匠は――」
「美夜、心配するな。必ずしもそうなる訳ではない。それにリンやセキが戻る可能性がある方が良いのではないかな?」
「……でも」
「誰もわからない事を一喜一憂しても始まらない。美夜、お前はジウランを助け、事実の世界を一刻も早く取り戻せ。大吾、それに今日はいない葉沢は奴ら、特にバルジ教が活動しにくくなるように動いてくれ」
「えっ、もしかしてケイジさんは僕と会っているんですか。しかも内閣調査室の葉沢さんまで」
「ああ、お前も葉沢も気付かなかっただけだ」
「……ケイジさんは完全に事実の世界の記憶があるんですね。それなのに今の世界を捨てようとするとは恐ろしい精神力だ」
「大吾。私は長く生き過ぎている。どうやって自分の人生に幕を降ろすか、それが今の世界であろうと、事実の世界であろうと、変わりはない」
「えー」と天野さんが気まずそうに口を開いた。「話が込み入ってきましたが、よろしいですね。我々パンクスは表立っては動けません。ですが皆様の身に危害が及びそうな場合は、ケイジの抑止力が役に立つ事と存じます。それでは皆様、事実の世界を取り戻し、この銀河に平和をもたらすべく頑張りましょう」
最後の質問をした。
そもそも何でこんな事になったのでしょうか――
「それはな、ジウラン」とケイジが静かに答えた。「お前もある程度はわかっているはずだ。これは新しい創造主、リンとかつての創造主、Arhatsの間のゲームだという事を。デズモンドは選ばれたプレイヤーだったのだ。奴は悩んだと思う――このままでもいいのではないかとな。だがデズモンドは恐ろしい企みに気付いた、いや、デズモンドだけが気付くように仕組まれていたのだ。その企みとは何か――このまま放置しておけばゲームはリンの負け、勝利したArhatsは十中八九、この『天の川銀河』を消滅させる。つまり、まずは事実の世界を取り戻す事によってArhatsとの勝負に勝利しなければならない、それが今伝えられるからくりの全てだ」
えっ、まだ続きがあるの――
「今はそこまで考える必要はない。だがお前に与えられた使命はとてつもなく大きい。何しろ銀河を消滅から救う事だからな」
ケイジの姿が突然に視界から消えた。
こうして運命の一夜は終わりを告げた。
登場人物:ジウランと美夜の日記
名 Name | 姓 Family Name | 解説 Description |
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貫一 | 葉沢 | 内閣調査室勤務。身寄りのないシゲの世話をし、ジウランたちに協力を申し出る | |
もえ | 市邨 | 美夜が「おばさん」と呼び慕う女性 | |
釉斎 | 天野 | 『パンクス』日本支部長 | |
ケイジ | ワンガミラの剣士 |