4.8. Report 2 異界の人々

 Report 3 頼られる男

Record 1 『パレイオン文書』

 わしはその夜遅く、意気揚々と家に戻った。
 家では健人と大都が心配そうな顔をして帰りを待っていた。
「帰ったよ」
「ああ、デズモンドさん、良かった、ご無事で。何かあったかと心配していました」
「悪かったな。だが喜んでくれ。正式なポルトガル人デズモンド・ピアナの誕生だ」
「えっ、大使館に行かれたのですか。しかし原簿がないからパスポートもビザも無理でしょう?」
「世の中には色々あんだよ。今まで散々迷惑かけたな」
 わしがぺこりと頭を下げると健人は困惑したような表情を浮かべた。
「そんな、止めて下さいよ。まるでお別れみたいな。うちはデズモンドさんが嫌だと言うまではいつまでも居て頂いて結構なんですから」
「――ありがとよ、健人。俺もお前や大都が大好きだ。追い出されるまでは出ていかねえよ」
 大都の不安気な表情が笑顔に変わったのを確認してわしは微笑んだ。

「一週間くれえでパスポートが届くと思う。それまではまた大都とお留守番だ。あんまりちょろちょろ出歩くもんじゃねえってきつく言われたよ」
「デズモンドさん、どういう伝かは伺いませんが、その通りだと思います。この町内はいい方ばかりなので安心ですが、一歩外に出ればそうはいきません。密告を恐れ、正しい事も言えないような世の中になろうとしているんですよ」
「だったら健人こそ気をつけねえとな。教師と言えば多くの他人を預かる身だ。どんな逆恨みを受けるかもしれねえぞ」
「……それでも私は正しいと思う事は発言していくつもりです。未来を担う子供たちに誤った風潮に屈してはいけないという事を教えないと」
「ふぅ、嫌な時代だな。思った事も言えねえなんてよ」
「子供たちに罪はありませんから。彼らを守らないとこの星の未来はありません」
「この星かよ。お前も俺に似てきたんじゃねえか」
「ははは、デズモンドさんに大分影響を受けたようですね。今日も生徒に『先生は少年倶楽部の読み過ぎだ』と言われました」

 
 数日間、わしは大都と二人で時を過ごした。ある日、縁側で爪を切っていると大都が隣にやってきた。
「ねえ、デズモンド。何かお話してよ」
「ああ、そういや約束してたな。『クロニクル』の話をしてやるよ。その代わり、今日一日じゃ終わらねえからな。毎日聞くんだぞ」
「うん」
「よーし、まずは《古の世界》の話からだ――

 
 大都は飽きる素振りを見せずに延々と続く話に聞き入り、わしは三日かけて現在まで話を進めた。
「――どうだ。これが銀河の歴史だ」
「それでまだ調べる事があってデズモンドはこの星にきたの?」
「ああ、そうだ。まだデルギウスやノカーノがこの星で何をしたかわかっちゃいないんだ。大都、もしもそれが明らかになったら新しい『クロニクル』の話は真っ先にお前にしてやる」
「本当、約束だよ」
「ああ、男と男の約束だ」

 
 玄関に何かが投げ込まれた小さな音がした。すぐに向かうとそこには封書が落ちていた。
「俺の名前が書いてあるから開けるぜ――おっ、パスポートだ。仕事が早いな。後は手紙が入ってるな。『調査の件で本部まで至急来られたし』」
「デズモンド、また行っちゃうの?」
「心配すんな。すぐに帰ってくるから」

 
 ティオータに教えられていた一番近場の建物から地下に潜り込んだ。本部には有楽斎とティオータ、そしてもう一人不思議な服を着た黒眼鏡の男が待っていた。
「デズモンドさん、調査の件についてですが、この方――」と言って有楽斎が隣の黒眼鏡の男を紹介した。「名前や身分を明かす訳にはいきませんが、彼が大陸まで案内してくれるそうです」
「本当かい。戦争中だろ」
「心配するな。何事にも裏の道がある」
 黒眼鏡の男は短くそう言って、にやりと口の端を歪めて笑った。
「出発は三日後の深夜零時、第一台場まで来てくれ。それじゃあな」

 
 男が立ち去ると、ティオータがたまらず口を開いた。
「先生、あいつ、信用していいんですか。『アンビス』でしょ?」
「うむ、アンビスに力を貸してはいるがアンビスではない。ただ自らの思いのままに生きる男、ある意味最も危険かもしれない」
「心配すんな。俺はあいつと上手くやっていける気がするぜ。第一なかなか教養がありそうじゃねえか。学者同士、通じ合うもんがあるってやつだ」
「けっ、お前のどこが学者だよ」
「へへへ、ティオータ、おめえみたいな筋肉馬鹿にはわからねえだろうな」
「何だとぉ」
「まあまあ、デズモンドさん、これから向かうのは当時の大帝国の都があった長安、今は西安と言いますが、その町になります。危険な事態も予想されますのでくれぐれもお気をつけて」
「先生、すまねえな。世話になってばかりで」
「いやいや、礼には及びません。『クロニクル』の編纂に少しでも役立てるのであればこれほどの名誉はない」

 
 わしは家に戻る途中、地下都市の商店で大都へのお菓子を買って帰った。
 健人も少し前に帰宅していた。
「ああ、デズモンドさん。お帰りなさい」
「健人、お疲れさん。大都、ほら、おみやげだ」
 大都はもらった紙袋を開けて中から出てきた水羊羹に感嘆の声を漏らした。
「デズモンドさん、こんな上質な菓子なぞそうそう手に入りません。一体どこで?」
「いいじゃねえか。日頃世話になってるせめてものお礼だ――それより、健人、西安って知ってるか?」
「ええ、昔は長安の都と呼ばれていた町ですね」
「三日後にそこに行くんだが、色々と教えちゃくれねえかい?」
「えっ、あまりにも危険ではないですか?」
「俺はこの星の人間とは作りが違うんだ。火にも毒にも強いし、水責めだって怖くない。耐性ができてんだよ。それに空だって飛べる」
「わかりました。それ以上言うと大都が興奮しますので抑えて下さい」
「おお、悪い悪い。で、何か知恵はねえかい?」

 
「そうですね。長安の都には世界中の人が集まったと言いますから、デルギウスさんでしたっけ、その方も使節のような形で皇帝に会っていた可能性がありますね。その謁見の記録でも残っていれば、しめたものですが」
「千年前の記録を戦争中の町で探すのか?」
「うーん、厳しそうですね――ああ、そうだ。私の大学の同窓でそういったのを専門に研究していた者がこの近くの千駄木に住んでいます。明日は土曜で半ドンですから一緒に行ってみませんか?」
「そいつは助かるね。じゃあ早速、連絡――ってポータバインドはないもんな」
「ああいう物を間近に見た後では、この星の文明は未発達で腹が立ちますね」
「まあ、そう言うな。お前や大都が学者になって頑張りゃいいんだよ」
「私はもう無理ですが、大都が」
 健人がそう言って傍らの大都を見ると、水羊羹を食べ終えて満足したのかそろそろと船を漕ぎ出していた。
「早く平和な世の中になるといいですね」
「まったくだ」

 
 翌日午後、帰宅した健人とわしは連れ立って千駄木の古い大きな洋館を訪ねた。応対に出たぼさぼさ頭に度の強い眼鏡をかけた主人は健人の姿を認め、相好を崩した。
「いやあ、これは須良君じゃあないか。久しぶりだねえ」
「坂出君も元気そうで。あ、これはおみやげ」
「どうもありがとう。お手伝いさんが外出しているから何もお構いできないが上がっていかないか。ところでお隣の方は?」
「日本語は問題ないから心配しなくていい。ポルトガルの歴史学者、デズモンドさんだ。今日は君に色々と聞きたい事があるというので私が案内を買って出た訳さ」
「そ、それは光栄だな。しかし僕が研究しているのが極めて狭い範囲の歴史なのは君も知っているだろう。果たしてデズモンドさんを満足させられるかなあ」
「いや、まさしく君が研究している部分をデズモンドさんはお知りになりたがっているんだ。もしも君が今でも学生の頃と同じテーマの研究を続けているならばの話だが」
「変わっちゃいないよ。おかげで未だに芽が出やしない――愚痴っても始まらんか。さあ、上がって上がって」

 
 玄関脇の洋風の小さな応接間に通されて、わしらは向かい合った。
「改めて申し上げておきますが僕が専門としているのは『開元の治』から『安史の乱』、非常に狭い範囲ですよ。ポルトガルの方がお聞きになりたいというと、やはりビザンツやフランクとの関係でしょうか」
「坂出君、そう先を急がないでくれたまえよ。まず教えてもらいたいのは当時の大唐、長安と言えば世界の都、そこには世界中から人が集まったんだろうね?」
「その通り。日本からも遣唐使として阿倍仲麻呂や吉備真備、空海や小野篁なんかも訪れている」
「なるほど、そんな長安を訪れた西洋人の中にデルギウス、あるいはノカーノって名前があったかどうかなんだが」
 突然わしに流暢な日本語で尋ねられて坂出は目を白黒させたが、すぐに遠くを見るような目つきで答えた。

 
「ちょっと待って下さいね――実は最近、と言っても戦局が拡大する前ですが『パレイオン文書』なる日記が発見されたのです。パレイオンはビザンツの出身で、皇帝に仕え異国からの使節の通訳をしていたそうです」
「会った人間の名前とかが書いてあったのかい?」
「そうです。歴史的大発見です。残念な事に皇帝たちが長安を捨てて蜀の地に逃げ延びた時にパレイオンも行方知れずになったので、そこで日記は途切れていますが」
「ほう」
 わしは坂出の話すままに任せた方が良いだろうと考え、へたに質問をせず相槌だけを打った。
「その日記の解明は大分進んでいるのですが、その中に時折、おかしな表現があるのですよ。例えばこんな――

 

 でるぐす王とあんとん卿、船で来る

 

「――まさしくそれだよ。俺が探してるのは。でるぐすってのはデルギウス王、あんとん卿ってのは家庭教師のアンタゴニスに違いねえ」
「はあ、なるほど。しかしビザンツにもフランクにも、いえ、西のどの国にもデルギウス王、或いはそれに近い名前の人物は存在していない。しかも長安は内陸の地、船で来るなどありえませんよ」
「うーん、何て説明すりゃいいのかな」
「デズモンドさん、ありのままを伝えればいいんじゃないですか。坂出君は信頼できる人間です」

 
 健人の助け舟に頷き、坂出にわしやデルギウスの正体を告げた。聞いていた坂出は下を向き、首を大きく左右に振った。
「そんな、大発見だというのに……これでは誰も信じてくれない」
「気の毒だな。俺も学者だからよくわかる。でもあんたは真実を言い続ける必要がある。あんたの評価は未来の人がしてくれるよ」
「……仕方ありませんね。歴史とはその都度変わっていくもの。今は我慢ですね」
「そうさ。歴史は変わっても事実は変わらねえ。あんたはその事実に触れたんだよ」
「……あの、話の腰を折って申し訳ないのですが、デズモンドさんはその……時間旅行のようなもので過去に行く事もできるのですか?」
「はあ、そりゃあ無理だ。未だかつて時間を制御した者はいねえ。そいつは創造主の領分だ」
「そうですか。子供の頃に読んだ科学雑誌のような訳にはいかないんですね」
「まあな、ただ『銀河の叡智』ってのはすごいもんだけどな」
「……話を元に戻しましょう。そうなるとこれも他所の星の人間という意味でしょうか――

 

 のうばく、船で来る。此度は二百人の奉献を要求。唾棄すべき男也

 

「びっくりだな。ノームバックっていう奴はこの星の人間を奴隷として《歌の星》に売り飛ばしていた奴らしいんだが、まさか皇帝と繋がっていたとはな」
「となると皇帝は自らの地位を安泰なものにするために、地球の人を捧げていたという訳ですか?」
「辻褄が合うじゃねえか。デルギウスが《歌の星》に乗り込んでノームバックを追放した。その結果、後ろ盾を失った皇帝は逃亡せざるをえなかった」
 それを聞いた坂出は頭をかきむしりながら叫んだ。
「ああ、何たる事だ。『開元の治』の安定も『安史の乱』の混乱も他の星の人間に依存していたなんて」
「その手の話は多いと思うぜ。何しろこの星に他所の星から来てる奴は何千人――おっと、言い過ぎたな。話を続けようや」
「……はい。大学に行ってもう一度文書に目を通してみます。新たな発見があるかもしれません。ところでもう一つ名前を言われていたようでしたが?」

「ああ、ノカーノな。そっちはもっと謎だ。デルギウスの訪問から二十年近く経ってこの星にやって来たようなんだが、目的も何もわからない。心当たりあるかい?」
「ノカーノ、聞いた事ありませんねえ」
「まあ、そんな急に何もかもわかっちまっても面白くねえ。一つじっくりと調べるよ」
「二十年と言うと、すでに楊貴妃、皇帝も亡くなり、日本は平安時代、ちょうど空海が留学していた頃でしょうか?」
「昨日も博物館の親父が言ってたが、その楊貴妃ってのは有名なのか?」
「それはもう、世界三大美人の一人と言われてます」
「この国に来たって言い伝えもあるんだろ?」
「デズモンドさんの話を聞いていると、あながち夢物語でもないかもしれませんね。デルギウス王の船に乗り、日本に逃げてきたとか――いい加減な事を言ってはいけませんが」
「ふーん、さっき大学でもう一度調べるって言ってたが、勝手言って申し訳ねえが明日中にできねえかな。明後日には出発しなきゃならねえんだよ」
「はい。それはもちろん――いいなあ、宇宙船で一っ飛びですね」
「まあ、そんな所だな。よろしく頼むぜ。坂出さん」

 
 翌日、大都と家で話し込んでいると有楽斎からヴィジョンが入った。
「デズモンドさん、今は”Out of Service”ではないですよね?」
「ああ、何の問題もねえ。周りに人もいねえしな」
 空間に浮かび上がるヴィジョンの映像に目を輝かせる大都に目配せをしてからわしは会話に戻った。
「この間のノカーノの件、私も考えてみました。その結果、ある推察に至ったのです。アカボシと言う名は『明けの星』、つまり対になるユウヅツ、『宵の星』もいたのではないかと」
「ほお、そいつは面白いね。じゃあアカボシだけでなくユウヅツって名前も探した方がいいな。大陸から戻ったらそっちの調査も始めるよ」
「いよいよ出発は明日ですな。くれぐれもお気を付けて」
「ありがとよ」

 空間に浮かんだ有楽斎の姿が消え、部屋の隅を見ると、大都はぽぉっとしたような顔をしていた。
「どうした、大都?」
「だって夢見てるみたいなんだもん」
 わしは「わはは」と笑い、再び大都と話を始めた。

 
 夕方、外出していた健人も帰宅し、夕食の準備をしていると坂出が家に駆け込んできた。
「はあ、はあ、いや、須良君に住所を聞いておいて良かったよ」
「どうした、坂出君。まあ、上がりたまえよ」
 坂出は家に上がり込み、出された冷たい水を一気に飲み干してから話し始めた。
「デズモンドさん、『パレイオン文書』が発見された場所がわかりました。街のはずれにあるヤパラム邸と呼ばれていた屋敷で現在は廃屋だそうです。これが屋敷までの地図です」
「坂出さん、でかした。これで都をうろうろしねえで済む」
「いえいえ、そんな大した事では――それはそうと、昨夜あれから考えたのです。僕の名前はこの星の歴史には刻まれないだろうけれども銀河の歴史には残りますよね?」
「ああ、新しい『クロニクル』にはあんたの名前を書いておく。この星の何十億の人間はあんたを知らないだろうが、銀河の何十兆という人間はあんたの名前を知ってるっていう寸法だ」
「ありがとう、デズモンドさん。帰って来たら話を聞かせて下さいね」
 最後は泣いていたのだろうか、坂出は来た時と同じように走って家を出ていった。

 

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