4.8. Report 1 来訪

 Report 2 異界の人々

Record 1 優しき隣人

 

善良な民の地

 《青の星》に着いた。
 ノータの言葉に従って、日本という弓形の島の近くの海にシップを沈め、賑やかな都会に足を踏み下ろした。
 事前にポータバインドで調べた限りでは連邦に加盟しておらず文明のレベルも高くなかった。星の住民をいたずらに刺激しないためには慎重な行動が必要だった。
 町の様子を観察しながら通りを歩き回った。暑い夏の昼下がりだったが人々の顔は明るく華やいでいた。
 皆、身長が二メートル近い外国人に出くわし、一瞬驚いた表情に変わるが、すぐに柔和な笑みを見せて通り過ぎていった。

「さて、いつもの通り、この星で一番偉い方に会うかな」
 道行く日傘を差した夫人を捕まえて尋ねた。すると婦人は目を大きくして首を横に振り、逃げるようにして去っていった。
「何だありゃ――だが言葉は《賢者の星》で使われている言葉に近いな。どうやらポリオーラルでそのままいけそうだ」

 さらに数人に質問をしたが、皆同じような反応だった。ようやく五人目のカンカン帽に兵児帯姿の白髪の老人が道筋を教えてくれた。
「外人さん、あんたが今いるのが銀座。ちょっと前までは尾張町と言ったもんじゃ。時計塔を左に折れて省線のガードをくぐれば日比谷。交差点をはさんで左が日比谷公園、右はお堀じゃ」
「どうもありがとう」
「あんた、日本語が上手じゃがオロシヤじゃあるまいな?」
「オロシヤ、そりゃ何だい?」
「最近は何かと物騒でな。まあ、警官に尋問されんように気を付けて行きなされよ」

 
 老人に言われた通りに歩き、日比谷の交差点にたどり着いた。右手を見やると、多くの参賀の人に混じって、ものものしい警邏体制が敷かれていた。
「こりゃ会うのは難しいな。仕方ねえ、ちょいと腰を落ち着けるか――しかし金はどうする。GCUが使えるとも思えんしな」

 わしは町をぶらついた。ようやく昼の暑さが和らぎ、空はきれいな茜色に染まっていた。急いで帰宅する人々とは別に、先ほどくぐった地上を移動する車両のガード下の煙に吸い込まれていく一団を発見した。
「……これだ」
 三十分ほど時間をつぶしてから、ガード下の煙の一つに飛び込んだ。
「あのぉ」
「ん、何だよぉ、外人さんじゃねえか。このへんの大使館の人かい?」
 ガード下の焼き鳥屋の椅子に腰かけ、いい加減酔っぱらってろれつが回らなくなり始めたネクタイ姿の男たちにわしは話しかけた。
「ここは何ですか?」
「何だよぉ、そんなのも知らねえのか……よしっ、一緒に飲め、飲め」
 わしのために席が一つ用意され、男たちと杯を交わした。話を聞くとこの近くの新聞社の社員たちらしかった。
「ところで外人さん、あんたのお国もオリンピックで盛り上がってるかい?」
「それは何だい?」
「しけてんなあ。あんた、ポルトガルとかの小さな国の人だな、ははは」

 そのうち男たちは戦争の話を始めた。戦線を拡大するべきか、早期の講和に持ち込むべきかで泡を飛ばして議論が続いた。
 話を聞きながら、この国が戦争に突入しようとしているのを理解した。町を歩いていた人々の楽しげな表情も、あのパレス前のような厳重な警邏によってかき消されてしまうのだろうか。
「おおい、あんた、飲んでるかあ」
「あ、ああ。これは何という飲み物だい?」
「ビールだよ。名前も知らねえで何杯飲んでんだよ」

 結局その夜は泥酔した若手の新聞社員のアパートに転がり込んだ。次の日も、またその次の日もガード下の飲み屋に乱入して、商社の社員や百貨店の店員たちと飲み明かし、ただで食事と宿、そして何よりも貴重な情報を手に入れる事ができた。

 

家探し

 そんな生活が三日続いた翌朝、わしは麹町と呼ばれる付近の安アパートで目を覚ました。
「さて、そろそろ落ち着ける場所を探さねえとな。ガード下でもマークされ始めてるだろうしな」

 外に出るともう日が高かった。このあたりは銀座と違って住宅街なのか、歩いている人の数もまばらだった。しかし何故か家々の中からは時折、歓声が聞こえた。

 大通りから細い路地に入った。豪華な屋敷ではなく小さなマッチ箱のような家が肩を寄せ合うように群れを成した一帯だった。路地の中央には水を汲み上げるポンプが置いてあり、どの家の軒先にもラッパのような可愛らしい紫色の草花が飾ってあった。わしは一目でこの佇まいが気に入った。
 ぶらぶらと歩くと一軒の家の張り紙が飛び込んだ。人目につかないように、そっとポータバインドでその文字を解析した――「貸間」。

 
 張り紙の張ってある家の引き戸をがらりと開けて声をかけた。
「すみません。外の張り紙を見たんだが」
 返事はなかったが、中からは声が聞こえた。
 もう一度声をかけて反応がないのを確認してから三和土に入って編み上げのブーツを脱いだ。三日前に靴を脱がずに部屋に入って新聞社の社員にこっぴどく怒られたのだ。
 わしは障子をそっと開けて部屋の様子を覗いた。そこには、こちらに背を向けてタンスの前に正座する二人の、親子だろうか、ランニングシャツ姿の男たちがいた。タンスの上の黒っぽい箱からは大きな音で何かの実況放送が流れていた。

 
「あの、表の張り紙――」
「ああ、後にしてもらえますか。今は忙しいので」
 大きい方の男が背を向けたままで答えた。
「仕方ねえ、じゃあここで待つか」
 わしが「よいしょ」と言って障子に背をもたれて座ると、小さなランニングシャツの方がそっと振り返った。
 少年はわしを見ると目を丸くして、傍らの父親らしき男の腕をしきりに引っ張った。
「こら、大都。少しは落ち着かないか。今から前畑選手が泳ぐんだから」
「と、父さん、父さん、外人さんが」
「何?」

 
 父親らしき男が慌てて振り向いた。立ち上がる拍子によろけてタンスにぶつかり、タンスから黒っぽい箱が落ち、ぷつりと音が途絶えた。
「……ああ、ラジオが壊れた」
「父さん、電器屋さんを呼んできます」
「前畑選手の出番はもうすぐだ。間に合いっこない」

 わしは静かに立ち上がり、音の出ないラジオを前にして放心状態の親子の傍らに立った。
「この黒い箱からさっきの放送が聞こえりゃいいんだな?」
 わしは唖然としている親子からラジオを引ったくり、部屋の隅に移動した。
「ポータバインドの機能で何だっけなあ――確か、『ウェイブ』、『チューン』、『ボリューム』だったかな」
 わしはラジオを両手で抱いたままで二人の下に戻った。ラジオからは元通り放送が聞こえている風だったが、実際にはわしの腕のポータバインドが電波を拾っていた。
「直ったぜ。だがこうやって俺が持ってないと調子が悪いみてえだ。さあ、聞きな」

 わしが部屋の中央でラジオを抱えてあぐらをかき、その周りに親子が正座するという奇妙な光景だった。
 レースが始まり、放送はしきりに「がんばれ、がんばれ」を連呼していたが、やがて歓喜の瞬間が訪れたようだった。
「やった、やりましたよ。前畑選手が金メダルです」
 手を取り合って大喜びする親子を見て、理由のわからないわしも嬉しくなった。
「さあ、もういいかな。こいつはちゃんと修理してもらった方がいいぜ」
 ラジオを元のタンスの上に置くと男はようやく我に返ったようだった。

 
 男は改めて正座をして、息子に座布団を持ってこさせ、三人分の麦茶を持ってくるように言った。
「本当に助かりました。ご無礼、お許し下さい」
「いいってことよ。驚かしたのはこっちだ。それにスポーツに熱くなるのは誰でも一緒さ」
「ありがとうございます。申し遅れましたが私は須良健人、尋常小学校の教師をしております。そして、これが」
 髪の毛を短く刈り込み、眼鏡をかけた好青年の須良健人は、麦茶を用意して父親の隣にちょこんと正座した坊ちゃん刈りの少年を紹介した。
「息子の大都、四歳です」
「こんにちは」
「四つなのに偉いな。俺の名前はデズモンド・ピアナ。歴史学者さ」
 歴史学者と聞いて大都少年の目はきらきらと輝いた。父親の健人はそんな息子を見て満足そうに微笑んだ。

「失礼ですがデズモンドさんは日本人ではありませんよね。どちらのご出身でしょうか?」
「ああ、まあ、そのポルトガルだ」
「ほお、ポルトガルですか。『エスタード・ノヴォ』ですね」
「部屋を借りたいんだが、外人が部屋を借りちゃいけねえのかい?」
「いえ、もちろんそんな事はありません。デズモンドさんは日本語も達者ですし、大都も一目で気に入ったようです」
「じゃあ貸してくれるかい?」
「ええ、隣の部屋なんですが、元々この家は亡くなった父の家作でして、父が亡くなった後は私の書斎として使用しておりました。一年前に妻に先立たれてからは夫婦の部屋も必要ありませんし、部屋が余ってしまったのです。ただデズモンドさんは大きいのでサイズが合うかどうか」
「気にすんなよ。俺もあんたたちの事が気に入ったから、どうしたってここに住むぜ」

「……何だか初対面の感じがしないですね。ではここに住んで頂きましょう。まずは事務作業を先に片付けましょうか。外国の方ですからパスポートとビザを見せて頂けますか?」
「何だい、そりゃ?」
「えっ……デズモンドさん、あなた、まさか『エスタード・ノヴォ』に反対して国を逃れてきたのではないでしょうね?」
「いや、違う。そもそも、あんたの言う、その『新しい国』ってのが理解できねえ」
「……こんな事は言いたくありませんが、ご自分が誰かを証明できないのでは部屋をお貸しする事はできません」
「自分が誰かなら証明できるぜ。できるんだが――」
「ではお願いします。息子もあなたと一緒に住めればきっと喜ぶでしょう」
「できるんだが、あんたたちを驚かせたくないんだよ」
「大丈夫です。滅多な事では驚きません」
「――どうやらあんたには本当の事を話しておいた方がいいな。あんたみたいにいい人にはなかなか巡り会えねえだろうし」
「どうぞ」
「じゃあ言うぜ。俺はこの星の住人じゃねえんだよ」
「……はっ、またまた」
「冗談じゃねえんだよ。今から証拠を見せる」

 
 わしは静かに立ち上がり、右腕を前に出し、「マップ、ギャラクシー」と続けて言った。
 するとさほど広くない須良家の居間に立体的な円盤状の空間が浮かび上がった。空間の中には無数の点がきらきらと明滅していて、中心部はもやもやとした球体になっている。
「いいか。これは俺たちが住む銀河系だ。今俺たちがいるのがここ」
 《青の星》と言うと、そこだけが赤く光り出した。
「そして、ここが俺の住んでいた《巨大な星》」
 続いて《巨大な星》の辺りが青く光った。
「俺は銀河連邦民、その証拠に連邦ネットワークに繋がったポータバインドを持っている。連邦民IDは――ん、どうした?」
 わしは居間の畳にぺたりと座り込んだままで口を開けて銀河のマップを見上げる須良親子に気付いた。
「……デ、デズモンドさん、これは一体」
「言ったろう。俺はこの星の人間じゃねえ。銀河の歴史を調べている歴史学者だ」

 
 「オフ」の言葉と共に立体空間は消えうせた。目をぱちくりさせる大都少年にわしはウインクした。
「さあ、俺は自分が誰であるかを伝えたぜ。後は健人さん、あんた次第だ」
「……何分にもこういう経験は初めてなので。どうすればいいでしょう」
 その時、大都少年が立ち上がった。
「父さん、ぼくはデズモンドさんと住みたい。だってラジオを直してくれた時、ぼくにはラジオじゃなくてデズモンドさんから放送が聞こえてきたのがわかっていたもの。デズモンドさんはすごいなって思ったんだ」
「大都。デズモンドさんは手品師じゃないんだよ。その、うーん、私たちの理解では推し量れない方なんだ」
「やれやれ、健人さん、あんた学校では何を習っていたんだい?」
「え、大学では物理学専攻でしたが」
「だったら色々と知りたい事だらけだろう。俺が何故、遠い星からやってこられたのかとか、腕のポータバインドはどういう仕組みなのかとか」

「うーん、確かに知的好奇心は抑えられません――わかりました。部屋をお貸ししましょう。ただ単なる好奇心ではありませんよ」
「ん、どういう意味だい?」
「デズモンドさんはパスポートをお持ちでない。恐らくお金もないはずだ。この先、この星で暮らすのは非常に困難なはずです。私は地球の代表としてあなたをお助けしたい。たとえ別の星の方であっても、この星の人と同じように接し、あなたにこの星を好きになって頂きたい」
「――俺の見込んだ通りだ。健人さん、あんたは立派な人だ。って、助けてもらう立場で偉そうな事は言えねえな」
「デズモンドさん、状況が状況です。家賃は要りません。食事も私たちと一緒にしましょう。ただ一つだけ約束して下さい。慎重に行動する事です。さっきのような真似は二度としないで下さいね」
「ああ、わかったよ。心配しているのは戦争の事か?」
「ええ、この国は今、間違った方向に進もうとしています」
「俺みてえな外人は真っ先に排斥されるのかな」
「それもそうですが――とにかく慎重な行動をお願いします」
「わかったよ。それじゃあ早速シャワーでも浴びさせてもらおうかな」
「シャワー……ですか。外国の雑誌で見た事がありますが、この家には小さな風呂場しかありません」
「それでいいよ。大都、案内してくれよ」
 わしと一緒に大都少年が立ち上がると健人が言った。
「大都。お前は賢いからわかっているな。迂闊な真似はするなよ――さあ、風呂の後はデズモンドさんの歓迎会だ。私は買い物に行ってこよう」
 大都少年は大きく頷いてわしを風呂場に案内してくれた。

 

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