目次
20XX.7.29 葉沢の後悔
久しぶりにのんびりとした一日だった。
ネットをチェックしていたらナカナの父親が保釈されたというニュースが飛び込んできた。
これで一つ心配事が片付いた。後は蒲田さんが言うように事実の世界でうまいことリセットされれば問題はないはずだった。
今の世界でこれ以上あの家族に接触するのは止めよう。
美夜はエピソード4を読んでいると言った。
そこにはじいちゃんの冒険譚が書いてあるらしかった。
どうせじいちゃんの自慢話だろうから、内容については後で美夜からざっくりと話してもらえればいいだろう。
ミーシュカが膝に乗ってきた。食事の時間をとうに過ぎていたのをすっかり忘れていた。
ミーシュカに「ごめん」と謝ってから、キャットフードとミルクを用意した。
なあ、ミーシュカ。事実の世界が戻ってもお前はぼくを覚えていてくれよ。そうすれば美夜もぼくを思い出すかもしれないから。
ミーシュカは小さく「みやぁ」と鳴いてミルクをぺろぺろと舐めた。
部屋に差し込む陽射しが茜色に変わっていた。ぼくは慌てて外に出た。急がないと待ち合わせに遅れてしまう。
新宿の花園神社に着いてしばらく待っていると美夜が現れた。
「今日は早いわね。ミーシュカは元気にしてた?」
ぼくが頷くと、美夜は手にしていた鞄をくるくると回しながら、暗くなった空の下で楽しそうに歩き回った。
美夜に今考えている事を当ててみようか、と提案した。
「だったら同時に発表しましょうよ。いち、にい、さん」
忘れな草――
ぼくらは同時に笑い合った。いつまでも笑っていると突然に美夜がぼくの腕を引っ張った。
「しっ、どうやらおいでになったようよ」
大鳥居の陰から例の男が姿を現した。男は黙って「付いて来い」と合図をして先に神社の中に入っていった。
しばらく進むと右手に小さな鳥居が幾重にも連なった社が見えた。男はそこで歩みを止め、おもむろに切り出した。
「ご足労感謝します。ではお話下さい」
男が引っ込んで、神社の奥から一人の男が歩いてきた。男は幾重にも重なった鳥居の前で立ち止まったため、顔がよく見えなかった。
「ジウラン・ピアナ君に神代、いや、美木村君といった方がよいのかな。すでに君たちは名前を知っているだろうが、私は葉沢貫一だ。極めて特殊な仕事柄、このような形で話を続けるのをご容赦願いたい」
「今日は何のご用ですか?」と美夜が事務的な口調で話の先を促した。
「まずは礼を言わないといけないと思ってね。今回のバルジ教の件、ずいぶんと思い切った事をしてくれたものだ」
「それはお礼ですか、それとも嫌味ですか?」
「どちらと取って頂いても結構。そちらの組織が本気で取り組むのであれば協力させてもらう。私たちの目的も同じ所にある」
「何をどこまでご存じかは知りませんが、それは非常に助かります」
「おや、まるで違う目的があるような物言いをされる。危険なバルジ教の打倒、そしてその裏で暗躍する“アンビス”と呼ばれる組織の壊滅以外に何があるのかね」
「申し上げても理解して頂けないと思います。ですが葉沢さん、あなたは記憶があるんじゃないですか?」
「記憶……それは何だ?前もうちの人間にその件を切り出したようだが」
「今の世界とは異なる世界で生きた記憶、という意味です」
「それは、つまり……夢という事かな」
「そういう形で記憶が残っているかもしれません。よく見る夢、妙に現実味を帯びている夢、そういった類のものです」
「こんな時に深層心理の話か。下らんな」
「わかりました。もう少し具体的に申し上げます。その夢には文月何某という名の人間が登場しているはずです」
「……何故、その名を?」
「図星ですね。それこそがもう一つの世界、事実の世界です」
「事実だと……夢の中で、私は文月のせいで大失敗をしでかすのだぞ。その思い出したくない夢を事実だと言うのか」
「はい。もちろんアンビスを打倒するのが目的ですが、そのためには葉沢さんの忌み嫌う事実の世界を取り戻さないといけないのです」
「不可能だ。どうやって夢を事実にする?」
「それは、このジウランのおじい様の――」
「デズモンド・ピアナか。戦前から変わらぬ外見で生き永らえるもう一人の怪物がそれを行うというのか」
「おそらく。最後は嫌な夢と一緒、怪物同士の戦いとなるでしょうね」
「ちょっと待ってくれ。君は何故そのような事を言い出すんだ。何も言わないでいれば、問題なく私の協力を得られたものを」
フェアプレイですよ――
突然のぼくの言葉に葉沢は一瞬黙り込んだ。
「ジウランが言った通りです。後で何か言われたらかなわないですから、今のうちに正直に手の内をさらしているのです。それに『大失敗をした』とおっしゃいましたけど、結末はおわかりになっていないのでしょう」
「……うむ、確かにその通りだ。へまをやらかしたが、だからと言って落ちぶれたかどうかはわかっていない。つまり文月リンやセキのような化け物がいる世界でも成功者になれる可能性が残っている、そういう訳だな」
「そうなりますね」
「しかし一つ教えて欲しい。何故そんなに君たちは冷静でいられるんだ。君たちも今より不幸になるかもしれないんだぞ」
「それは――そちらが事実だからです、としか言いようがありません」
「わかったぞ。君たちだけは上手くいくようなからくりがあるんだろう?」
「そんなものがあるのでしたらお話しませんよ。私たちにも、デズモンド・ピアナにも、いえ、私たちが最終的に倒さなければならないあの男にもわからないはずです」
「なるほど。やはり君たちと話をして良かったよ。で、これからどうするつもりだ?」
「アンビスを倒すためには事実の世界を取り戻す必要があります。まずはそちらが先です」
「ふむ、デズモンド・ピアナ、それに一向に尻尾を出さない君の組織のボスが活躍する訳だな――わかった。こちらはバルジ教打倒のため、彼らの弱体化活動を続けよう」
「そうして頂けると嬉しいです。連絡は定期的に取り合いましょう」
「では。後は部下とやってくれ」
葉沢は神社の奥に消え、入れ替わりに例の男がどこからか現れた。
「いかがでした?」
「後はあなたと連絡を取り合うようにって事よ。これからは味方なんだから、もう尾行とかしないでちょうだいね」
「わかりました」
男が去って、神社の境内にはぼくと美夜だけが残った。
葉沢が言った美木村という美夜の苗字、じいちゃんが戦前から生きる怪物だって事、色々と聞きたい事があったけどもうすぐわかるはずだ。
ぼくは美夜の手を取って夜の町に向けて駆け出した。
登場人物:ジウランと美夜の日記
名 Name | 姓 Family Name | 解説 Description |
|
---|---|---|---|
貫一 | 葉沢 | 内閣調査室勤務。身寄りのないシゲの世話をし、ジウランたちに協力を申し出る | |
もえ | 市邨 | 美夜が「おばさん」と呼び慕う女性 | |
釉斎 | 天野 | 『パンクス』日本支部長 | |
ケイジ | ワンガミラの剣士 |