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Record 1 飛んで火に入る
わしが長旅の準備を終えサロンで一服していると、一人の若い女性が扉を開けて入ってくるのが見えた。
女性は真っ赤な髪を三つ編みにして、可愛らしい顔立ちにはそばかすの跡があった。都会に出てきたばかりの十代の田舎娘のようだった。
「あのぉ」
「……」
「あの、すみません」
「……ん、マスターはいねえのか。お嬢ちゃん、わりいな、店の者は今、出払ってる」
「そうですか……困ったな」
「まあ、そのへんの席に座って待ってりゃ、おっつけ戻る」
わしがマザーから手渡された『万国誌』に視線を戻すと、その少女は何を勘違いしたのか、わしの隣の席に座った。
「……ん、何だよ……しょうがねえな。お嬢ちゃん、喉乾いてるだろ。何か飲むかい?」
「はい、じゃあシードル下さい」
「ちょっと待ってろ」
わしはカウンターの中に入り、勝手に冷蔵庫を開けてシードルをグラスに注ぎ、テーブルに戻った。
「ほらよ、俺のおごりでいい」
「ありがとう……あの、お名前は?」
「名乗るほどの者じゃねえ。デズモンドって言う、ぱっとしねえ歴史学者さ」
「へえ、歴史ですか?」
「お嬢ちゃんこそ、こんな所に何しにきたんだい。遠くから来たんじゃねえのか」
「えっ、わかりますか。南のゲルズタンです。アン・ハザウィーです。父がここのマスターと遠い知り合いらしくて、ここに来ました」
「ゲルズタン、そりゃずいぶん遠いな。観光かい?」
「違います。あたし、エリザベートさんに弟子入りするんです」
「あん、エリザベートってエリザベート・フォルストか?」
「他に誰がいるんですか。あたし、女優になるんです」
「お嬢ちゃんは女優かあ。演劇か音楽か習ってたかい?」
「いえ、特に。特技は銃の早撃ちです」
「何だと。俺の聞き間違いかな」
「知り合いのおじさんがガンスミスで、小さい頃からおもちゃと言えば銃だったんです」
「ふぅん、お嬢ちゃん、アンって名前だったっけ。そりゃあ進むべき道を間違えてるぜ。あんたには女優なんかよりずっと向いてる仕事があるよ」
「えっ、あたし、女優には向いてませんか?」
「いや、そこそこ美人だし、いい線いくとは思うよ。でもな、エリザベートに会えば本物の女優の凄さがわかる」
「あたしは一番にはなれないって意味ですか。じゃあ他に向いてる仕事って何ですか?」
「そうふくれるなよ。まずはエリザベートに会うこった――で、あんたに向いてる仕事ってやつだがな。俺のシップの乗員だ」
「えっ、デズモンドは歴史学者でしょ。シップってどういう意味?」
「実はな、俺は歴史学者っていうよりも冒険家なんだ。ちょうど今も史上初の大冒険の準備をしていたんだが、腕の立つ乗員がいなくて困ってたんだよ」
「ちょっと待って。そりゃあ冒険と名の付くものは好きだけど――」
「よし、だったら決まりだ。アンは今から俺のシップの乗員だ」
「何言ってるのよ。レディが一人でそんな危険な場所に行けないわ」
「安心しろ。俺もソントンもノータも分別ある大人だ。レディの扱いにかけちゃ誰にも引けを取らん」
「そういう事なの?」
「そういうこった――じゃあ、早速出かけるぞ」
「出かけるってどこへ?」
「エリザベートに挨拶に決まってるだろう」
「何だ、デズモンド。やっぱり冗談だったのね」
「エリザベートに会ったら『デズモンドのシップのクルーになりました。帰ったら女優になります』とちゃんと挨拶するんだぞ」
「……しまいには怒るわよ」
「まあまあ、冒険が終われば女優として舞台に立てるように根回ししておくって事だ。悪い話じゃないだろう?」
「まあね。短期間なら付き合ってもいっか」
「よし。今ならオーロイもいるはずだ。劇場に行こう――
「それで、アンがここにいる訳か」
シップの中でソントンがあきれたような声を出すとアンが甘えた声で答えた。
「そうなんですよ、ソントンさん。すっかりデズモンドに騙されちゃいました」
「そう言うなよ。連邦の外にはどんな危険が待ち受けてるかわからねえんだ。腕の立つ人間が俺だけじゃあ心細いんだ」とわしは操縦席で言った。
「しかしこんな可愛らしいお嬢さんが銃の名手とはな」
ソントンの紳士的な態度に気を良くしたのか、アンはここぞとばかりに乗員席から立ち上がった。
「この銃、手作りなんですけど、”火の鳥”って言うんです」
「おいおい、船内でぶっ放さないでくれよ」
「わかってます」
「デズモンド」とソントンが操縦席のわしに呼びかけた。「君はアンの腕前を見ているんだろう。どうだったんだ?」
「それがなあ、出発前の準備でばたばたしてたから見てねえんだよ――だが大丈夫だ。俺の目に狂いはない」
「全く君らしいな」
「コースの方は任せといてくれよ。もうちょいで最初の目的地、《武の星》に着く」