4.2. Report 1 歴史学者

 Report 2 古の聖女

Record 1 ソントン教授

 初めにわしがいた連邦文化の中心地、通称『サロン』とそこに出入りしていた人間の間に起こったちょっとした出会いを紹介しておく。
 後々、重大な役割を担う人物の紹介も兼ねているのでそのつもりで――

 
 授業が終わり、ソントンが前列にいた学生たちと話をしていると階段教室の上段から一人の学生が降りてきた。
 ソントンは学生たちに「ちょっと失礼」と断ってからその学生に向き合った。
「トーグル君、珍しいね。普段はポータバインドによる聴講なのにアンフィテアトルまで来るなんて」
「はい」
 トーグルと呼ばれた上品な顔立ちの青年は頬を少し紅潮させて答えた。
「《鉄の星》出身者のちょっとした会合がありまして。時間が空いたものですから尊敬するソントン先生の講義を是非、直接にお聴きしたいと思いました」
「連邦の中枢を担うセンテニア家の人間にそこまで言われると照れくさいな――で、講義はどうだったい?」
「はい。やはり先生の生の声をお聞きすると違います。まるでサフィたちと一緒に《古の世界》にいるような感覚に包まれました」
「はっはっは。そう言ってもらえると講義の甲斐がある。私の文学は史実に基づいたもの――もっともそれにはある人物からの情報提供が欠かせないんだがね」
「……情報提供ですか?」
「うむ――ちょうどいい。君はこれから空いているかい?」
「あ、はい。プラには緊急の用件もありませんし――何かあればポータバインドで知らせてもらえますし」
「なるほど。便利な世の中になったものだな。君たち連邦のお歴々が奮闘してくれたおかげで異なる星にいても瞬時に繋がれるようになった。私のような年寄りはなかなかこの仕組みを使いこなせないよ」
「そんな。先生はまだお若いじゃないですか」

 トーグルは気付かれないようにソントンを上から下まで見回した。ツイード素材のジャケットを着て上品な顔立ちをしていたが、頭には白いものが目立った。
「いやいや、これからは君たち若者の時代だ。この世界をより良きものにできるよう少しでも手伝いができれば幸せだ――では外に出ようか」
「どこか当てがあるのですか?」
「君に会わせたい人間がいる」

 
「さあ、ここさ」
 トーグルが案内されたのは大学からそう遠くないアンフィテアトルの市街にある一軒のバーだった。扉には”Le Reve”というサインが出ていた。
 扉を開けると喧騒が二人を包んだ。広い店内の席は七割方埋まっていた。
 ソントンは背伸びして店内を見回した後、「まだ来ていないな」と言いながら入口の脇の席で一心不乱に何かを書き留めている男に近付いた。

「やあ、エテル」
 声をかけられた男はうるさそうに顔を上げた。ぼさぼさの髪の毛に薄い無精ひげが生えた、痩せた若者だった。
「何だ、先生か」
「何だ、はごあいさつだな。奴を見なかったか?」
「さあ、あんな奴の事は知らないな」
 エテルはそれっきり、机の上の書き物を再開しようとした。
「ああ、そうだ。エテル。紹介しておこう。こちらは《鉄の星》の若き王、トーグル君だ」
 急に紹介されたトーグルは訳がわからずに頭を下げた。エテルは興味をそそられたらしく、自分の前の席を指差し、二人に座るよう促した。
「王って事は連邦のお偉いさんですね?」
 ぶしつけな質問をソントンは優しくたしなめた。
「君の紹介も済んでないのにそれはないだろう。トーグル君、このエテルはね、非常に才能に溢れた建築家だ。今はまだ世に出ていないが必ずやこの銀河に名を残す人物になる」
「まあ、私の建築の素晴らしさを理解できる人間がいればの話ですけどね」
 エテルは口の端を歪めて皮肉っぽく笑った。
「連邦にそんな気の利いた奴がいるとも思えん」

「エテル様」
 トーグルが明るく声をかけた。
「そこまで自信がおありでしたら近々行われる予定の連邦府ダレンの新庁舎のデザインコンペに応募しては如何でしょうか?」
「……何、それは本当か」
 エテルは慌てて机の上の紙束を目茶苦茶にかき回し、一枚の紙を取り上げた。
「これだ。ちょっと聞いてくれるか」
 それからたっぷり三十分間、エテルは自らの建築理論をトーグルとソントンに話し続けた。
「なあ、どう思う?」
「正直に申し上げます。エテル様の言われる主要な建物が有機的に結合した『環状都市』のコンセプト、必ずや審査員の胸を打つでしょう」
「本当か。いやあ、トーグル王。あなたは素晴らしい。審査員も皆、あなたのようにセンスの良い人間たちであれば良いのだがな」
「きっと大丈夫ですよ。皆様、優秀なお方ばかりです」
 トーグルがにこりと笑ってエテルの肩を一つ叩いてから席を立つと、いつの間にか一人の男性が傍らに立っていた。

 
「ずいぶんと白熱されていたようですがお邪魔でしたか?」
 鼻の下にひげをたくわえた紳士はちらりとトーグルを見てから視線をソントンに移した。
「おや、ソントン教授ではありませんか。こちらのお方はご友人でしたか?」
「やあ、ユサクリス。この方は《鉄の星》の若き王、トーグル君だ」
「ほほぉ、デルギウス王の末裔、銀河の発展の最大の功労者の一族のお方でしたか。私はユサクリス、どうぞお見知りおきを」
「ユサクリスと言うと、あの音楽家のユサクリス様ですか?」
「どのユサクリスか知りませんが、音楽家のユサクリスです」
 ユサクリスは細い指で椅子を引き、静かにエテルの隣に腰をかけた。

「ユサクリス様」
 トーグルが興奮した面持ちで話しかけた。
「私は先生の作品が好きで、特に『ピアノ協奏曲第六番、熱情』は毎日のように聴いております」
「それは、それは。嬉しい事です。あなたのような方にそう言っていただけると感慨もひとしおですよ」
「トーグル君。彼は私の『リーバルンとナラシャナ』の曲も書き上げてくれたんだ。もしも時間があるなら劇場で聴くといいよ」
 ソントンは少し照れたように言った。
「えっ、本当ですか。これは何としても劇場に行かないといけませんね」
「うむ、そうだな。ところで奴を見かけなかったかい?」
 尋ねられたユサクリスは店の奥を覗き込んだ。
「見ていませんね。いつもの奥の席で待っていればその内に来られるのではないでしょうか」
「ああ、そうだな。そうするとしよう。ユサクリス、君も一緒にどうだい?」
「いや、私は――若き天才エテルとここで話をしていますよ。トーグル君、このサロンを楽しんでいって下さい」

 
 ソントンとトーグルは店の奥にある円形のテーブルに向かった。どうやらそこは常連の席のようで今は誰も座っていなかった。
「先生、ユサクリス様がサロンと言われましたが、何の事ですか?」
「いやね、この店には私やユサクリスやエテルのような芸術家、それに劇場の役者たちが集まる事から、いつからかサロンと呼ばれるようになったんだ。まあ、貧乏人の憂さ晴らしの場だね」
「先生、それは素晴らしいです。一瞬でもそのメンバーに加われたのは光栄です――実はもう一つ質問があるのですが、先生は誰を待ってらっしゃるのですか?」
「言ったじゃないか。君に会わせたい人物だ、と――お、来たかな」

 バーの扉を開けて、一人の小柄な青年が店の奥に向かってきた。
「やあ、ノータ」
 ノータと呼ばれた黒縁の眼鏡をかけた少し小太りで金髪の青年は人の良い笑顔を見せた。
「ソントン先生。ちょうど良かった。先生を探していたんです」
「何かあったのかい?」
「驚かないで下さいよ。とうとうパトロンが見つかったんです。で、大将が挨拶に行かなきゃならんって言い出して――先生、明日は暇ですか?」
「おいおい、突然で話が見えないぞ。まずは座ってくれんか――ああ、そうだ。この青年は《鉄の星》の若き王、トーグル・センテニアだ。トーグル君、彼はノータ・プニョリという」
「初めまして。トーグルです――先生、お忙しいようでしたら席をはずしますが」
「いや、君に関係のない話という訳でもないんだ。なあ、ノータ?」
「ええ、もちろんです。先生もそのおつもりでトーグル王をここにお連れしたのでしょう?」
 ノータはいつも座っているらしい自分の席にちょこんと腰をかけた。
「そのつもりだったんだが一足違いか。すでにパトロンが決まったのではな」
「そんな事はありません。連邦の要、センテニア家が後ろ盾になってくれるならこれほど心強い事はありませんよ」
「……パトロンは誰なんだい?」
「詳しくは知らないんですが……宗教団体らしいです」
「宗教団体――面倒くさい注文をつけてきそうだね」
「詳しい話は大将に聞いて下さい。トーグル王、全く理解できないとは思いますが、大将が来れば全部話してくれますので、もうしばらくご辛抱を」
「は、はい」

 

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