ジウランと美夜の日記 (7)

 Episode 4 歴史学者

20XX.7.28 蒲田の決意

 ようやく家を取り囲むマスコミや野次馬の数が少なくなった。
 買い出しの荷物を台所に置き、ナカナと母親の待つ客間に入っていった。シグレはゲージの中で仔犬のマクリーンの顔をぺろぺろと舐めていた。
「ジウランさん、何から何までお世話になって。でももう大丈夫。あなたにはあなたの生活があるでしょ?」
 ナカナの母親がそう言うとナカナが慌てた。
「ええ、もう少しいてもらおうよ。大丈夫でしょ、ジウラン?」
「我がままを言っちゃだめよ、ナカナ。あたしにはわかるの。以前この家に来られた時のジウランさんに比べると今のジウランさんはまるで別人。やるべき事が見つかったのね?」
 何も言わずにいると母親は更に言葉を続けた。
「よくはわからないけれど、この家がこんな事になったのは自分の責任だ、そう思ってらっしゃるんじゃないかしら?」
「ちょっと、ママ。何言い出すの――」
 母親の方を向いて謝罪の言葉を口にしようとした。
「いいのよ、ジウランさん。主人がしたのは悪い事。それ相応の制裁を受けなければいけないの」
 言いかけた償いの言葉を途中で飲み込んだ。中途半端なお詫びでは意味がないし、真実を言っても信じてもらえそうになかった。
「ナカナもジウランさんもよく聞いて。この数日間、ジウランさんがよくしてくれたのはジウランさんの責任感の表れ。でももう十分よ。あなたはこれ以上あなたを偽る必要はないし、あたしたちも強く生きていかなくちゃ。あなたはあなたの道をお行きなさい」
「ママ、いやよ、そんなの」
「ナカナ、縁がなかったの。ううん、本当に縁があれば、またこの先、再び巡り会うはず――だから今は黙ってお見送りしましょう。そうでしょ、ジウランさん?」
 笑顔を見せたナカナの母親、泣くナカナ、何が起こったのか首を伸ばしてこちらの様子を見るシグレ、すやすやと眠るマクリーンに背を向けて家を静かに出た。
 わずかに残っていた報道陣が色めき立ったが、いつも買い出しで出入りする外人だとわかって、興味なさそうに待機場所に戻っていった。

 
 駅に着いて時計を見た。蒲田さんとの待ち合わせの時間が迫っていた。急いで電車に飛び乗り、Oホテルのロビーに着いたのは約束の五分前だった。
 ロビーではすでに美夜が待っていた。
「ジウラン、菜花名さんの家の方は?」
 黙って頷くと、美夜はそれ以上何も訊かなかった。

 フロントで蒲田さんの部屋につないでもらうように伝えると、すでに連絡がついていたらしく「お部屋にどうぞ」と言われた。
 エレベータに乗り込んで何も言わず美夜を抱きしめた。
「……ちょっとジウラン――あ、そうだ。おじいさま、もうすぐ帰って来られるって」
 美夜の言葉を聞いて電気に打たれたように体を離した。
 何でまた、こんな時期に――
「言ったでしょ。世界が動き出すって――さあ、着いたわ」

 
 蒲田さんは相変わらず精力的に見えた。ライティングデスクから離れ、ソファにぼくと美夜を案内してくれた。
「やあ、ジウラン君。一週間ぶりになるかな。そちらが美夜さん、お会いするのは初めてだね。ジウラン君から色々と伺っていた通りの方だ」
 美夜は少し困惑したような表情で挨拶をしてソファに座った。
「コーヒーで良かったかな。良ければケーキも頼もうか」
 蒲田さんはルームサービスを頼んでからソファに座り直した。
「さてと、早速本題に入る。ご存じの通り、僕も抜き差しならぬ一歩を踏み出してしまった。わかるね?」
「元麻布聖堂建設に関する告発ですか?」と美夜が言った。
「うん、その通り。僕が言ったように残された家族をケアしたかい?」
 ついさっきまでMにいた事、もう来ないでいいと言われた事を告げた。
「ふーん、その母親は強く賢い女性だね。ま、N建設は入口に過ぎない。すぐに父親も釈放されるだろうし、それだけしっかりしていれば家族三人で支え合って生きていけるだろう。娘さんが君をあきらめるには時間が必要だろうけどね」
 困ったような表情で黙っていると美夜が口を開いた。
「蒲田さん、そんな簡単に割り切れるものでしょうか。まだ心のケアをしてあげないと」
「おいおい、それを僕に言わせるのかい。僕は犯罪の専門家であって恋愛は専門外だが――まあいい。ジウラン君の気持ちは美夜君、君にしか向いていない。だったら菜花名君にはあきらめてもらうしかないじゃないか。中途半端な優しさをいつまでも見せれば、傷は深くなる。そうじゃないかい?」
「……」
「あははは。恋愛の専門家じゃないが、六十年近く生きていれば二つや三つの修羅場をくぐり抜けているからね。傷を癒すには時間が一番、しかも今回に関しては時間どころの騒ぎではない、もっと根本的な治癒法があるかもしれない」
「……事実の世界ですか?」
「うん。事実の世界ではジウラン君と菜花名君は付き合っていない、いや出会っていない可能性すらある――それは僕たち全員に言える事だけどね」
「あたしは――覚悟しています」
「ほぉ、ジウラン君はどうなんだい?」

 何でそんな言葉が口をついて出たのだろう。

 ぼくは、事実の世界でも美夜と巡り会っているはずだと信じています。
 そうでなかったとしても、ぼくには両方の記憶があるはずだから、美夜をきっと探し出します。

「なるほど。確かに君は今の世界と事実の世界、両方の記憶を持つ人間になる可能性が高い。だったら美夜君も見つけてもらいやすいように何か目印を決めておくのがロマンチックかもしれないね。ああ、ついでに僕も見つけて欲しいな。僕にも当然、君の冒険の顛末を知る権利があるからね。『忘れな草』でも目印にしておこうかな。いや、失礼」
 美夜は呆然とした表情のまま上手い反応ができないようだった。蒲田さんはこほんと一つ咳をしてから言葉を続けた。
「さて、今のが君たちの決意表明だったという訳だが、私も決意表明をしなくてはならない。さっきも言った通り、僕もこれからは命をつけ狙われる可能性が高くなる。それはたまらないので――」
「組織と連携を取りたいという事ですね」
「察しが早い。そうして頂けると安心して調査を行えるというものだ」
「わかりました。31日にジウランを組織に引き合わせる予定です。蒲田さんも是非、ご一緒に。西浦さんにも伝えておきますから」
「それは助かります。西浦さんかあ、久しぶりだな」

「ところで蒲田さんはこの後、どういった行動をされるおつもりなんですか?」
「うん、乗りかかった船さ。この国を裏から支配する存在を明らかにするまで戦うよ。君たちとは別の戦い方で戦おうと思っている」
「……確かに命を狙われても仕方ないですね」
「美夜君、脅かさないでくれよ。僕はこれでも小心者で、本来は勝ち目の薄い賭けには乗らないんだ」
「うふふ、安心して下さい。うちの組織が付いているとなれば、そう簡単に手出しはできないはずですから」
「それを聞いて安心したよ」
 突然ある事を思い出して、明日会う予定の人物の事を蒲田さんと美夜に告げた。
「……なるほど。僕の密告はそちらも動かしたか。だがそれを聞いてますます安心した。上手く利用できれば強力な味方となってくれるはずだ。では31日、組織のトップの方に会うのが楽しみだよ」

 蒲田さんの部屋を出て再びホテルのエレベータに乗り込んだ。
「ねえ、ジウラン……ううん、何でもない。美味しいもの食べて帰ろうか」

 

登場人物:ジウランと美夜の日記

 

 
Name

Family Name
解説
Description
貫一葉沢内閣調査室勤務。身寄りのないシゲの世話をし、ジウランたちに協力を申し出る
もえ市邨美夜が「おばさん」と呼び慕う女性
釉斎天野『パンクス』日本支部長
ケイジワンガミラの剣士

 

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