3.9. Story 2 兄妹の別れ

 Story 3 《賢者の星》

1 月に戻る日

 年が明けるとすぐにローチェは子を産んだ。男の子と女の子の双子だった。
「ありがとう。ローチェ。立派な男の子と女の子だ」
 横たわるローチェの手を握りしめてノカーノが嬉しそうに言った。
「……ノカーノ様」
「名は何としよう?」
「もう考えてあります。男の子の方は明けの空に輝く明星(アカボシ)、女の子の方は暮れの空にかかる夕星(ユウヅツ)。如何でしょう?」
「……アカボシにユウヅツか。いい名だ」

 
 アカボシとユウヅツはすくすくと成長した。日に日に大きくなっていく二人を見てノカーノは幸せを実感した。自分の記憶がこのまま戻らなくてもいい、自らの存在の理由を二人の子供に見出したような気がした。

 
 アカボシとユウヅツが五歳の誕生日を迎えた。サワラビの提案で盛大な会が開かれ、空海も駆けつけた。
「しかしユウヅツはローチェに似ておるなあ。アカボシはどちらかと言えばノカーノ似じゃな」
 ほろ酔い気味のサワラビが言った。
「それを言うとアカボシの機嫌が悪くなる。どうも父親は人気がないようです」
 ノカーノが頭をかきながら答えた。
「ははは。ノカーノがすっかり親らしくなりおった」
 空海がからかうように言った。
「空海も仏に仕える身でなければこの気持ちがわかるのにな」
「ふふん、私は『宇宙の真理』と添い遂げるのだ。うらやましくはないぞ」
 空海は饒舌に語った。
「なあ、ノカーノ。ヤパラムやお前を見てわかった事がある。密教には曼荼羅という物があり、それは宇宙の真理を表している。私は長い間、その各界を一歩一歩進んでいく事が真理への道程だと考えていた。だがヤパラムやお前は違った。軽々と飛び越えてしまうのだ。そうか、次元を越える事こそが生きている間に真理にたどり着く正しい道だとな」
「まあまあ、今日の所は難しい話は抜きにして楽しく騒ごうじゃないかい」
 酔っぱらったサワラビがノカーノと空海にからんできた。

 
 会が終わり、青白い月がこうこうと照らす中、ローチェとアカボシが手をつないで歩き、その後をノカーノとユウヅツが手をつないで従った。
 庭に出てアカボシとユウヅツは二人でじゃれ合った。ローチェは庭の中央でノカーノたちに背を向けて月を見ながら口を開いた。
「本当に素敵な会でした」
「うむ」
「実はあなたたちにお伝えしなければならない事があります」
 母親のいつもとは違う口調に双子は怯え、ノカーノにすがりついた。
「何だい。言ってごらん」
 ノカーノが優しく促すとローチェの背中が小さく震えた。

「私は今日であなたたちとお別れしなければなりません」
 母の言葉の意味がよくわからない双子はノカーノと手をつないだままぽかんとしていた。
「……やはり君は『死者の国』から蘇った本物のローチェだったのか。記憶が戻ったのだな」
「はい。大分前に」
 ローチェは振り返り、二人の子供を呼び寄せた。
「けれどもこの子たちが生まれました。せめて一人で眠れるようになるまでは傍についていてあげようと思い、今日の日を迎えました」
「……しかし」
「ノカーノ様。私の魂は『死者の国』で浮かばれる事なく漂っていたのでしょう。なのですぐに復活を遂げた。考えれば酷い話です。あれだけ多くの人々が亡くなりながら、私だけがのうのうとこの世界に戻って幸せな家庭を築く。今更とお思いかもしれませんが、私は元いた場所に戻らなければなりません。そうして改めて転生の道に入ります」
「今日でなければいけないのかい?」
「明日になればまた次の日、そしてまた次の日と先延ばしにするに決まっております。この子たちが愛おしくて仕方ないんですもの――ノカーノ様、あなたにはいくら感謝しても足りません。もし転生したならもう一度あなたと出会いたいです」
「私もだよ。ローチェ」

 ノカーノは夜空を見上げて涙がこぼれそうになるのを堪えた。そうしてたっぷり時間をかけてから、座り込んで子供たちに言った。
「さあ、ユウヅツ、アカボシ、お母様とお別れをするんだよ」
「かか様、どっかに行っちゃうの?」
 ユウヅツが母親を見上げて尋ねると、ローチェも腰を下ろして答えた。
「ええ、そうよ。でもユウヅツはしっかりしたお姉さんだから淋しくないわね」
「かか様、いやだ」
 アカボシがローチェの腕に取り付いた。
「アカボシ、あなたはお父様のような強い男になるのです。母はいつでもお前たちを見守っていますからね」
 ローチェは二人の手を取ってノカーノに近付いた。
「二人をよろしく頼みます。最後に一つお願いがあります。三人で背中を向けていては頂けませんか。私はその間に行きますので」
 ノカーノは双子の手をつないだまま後ろを向いた。どのくらいの時間が経ったろう、急に月が翳った気がして三人がゆっくりと振り向けば、もうそこにローチェの姿はなかった。

 

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