3.9. Story 1 山の人

 Story 2 兄妹の別れ

1 平安の島

 シップが弓なりの形の島の上空に差し掛かった。
「空海、どこに着陸すればいいかな?」
「本来であれば都に向かいたいが」
「地上に見えるきれいに区画分けされた……二つあるが大きな方か」
「ああ。南に見えるのはかつての都、北が現在の都、平安京だ」
「平安か。いい名前だね。ところで都に行くと不都合でもあるのかい?」
「私は元々二十年の予定で大帝国に渡航したが、まだ一年しか経っていない」
「ははーん。都にいるのがばれるとまずい訳だね」
「うむ」
「でも君の力なら好きな時に空を飛んで行けるだろ?」
「……まあ」
「そうやって好きな時にそっちとこっちを往復すればいいじゃないか」
「なるほど――ひとまず私の知っている安全な場所に着陸しよう。もっとずっと北だ」

 
 空海が案内したのは山に囲まれた緑の濃い場所だった。
「ここは?」
「最近までこの辺りは地方の有力者が治めていたが、朝廷がやってきて激しい戦いの末、ほとんどが滅ぼされた。これから向かうのは、争いを逃れ、山に隠れ住んだ人々の所さ」
「……さて、シップを降りよう。何しろ異国人、感情を失った麗人、化け物のように大きな犬とオウムの道行だ。目立つなと言われても無理だけど」
 ノカーノはローチェをシップから降ろし、空海はヌエと共にシップを降りた。するとノカーノの肩に留まっていたオウムは突然空に飛び立ち、大きな輪を描いてどこかに飛んでいった。
「あいつも自由になりたいんだね」
「ワシにでも襲われなければいいが――達者でな」

 
 オウムは爽やかな秋の空を飛んだ。その背中にはかろうじて残ったヤパラムの細胞の欠片がこびりついていた。
(おのれ、ノカーノめ。覚えていろよ。貴様の記憶が完全に戻らなかったのが幸いだったが、いずれこの星で貴様か、貴様の子孫と決着をつけてやる。この状態では復活に千年はかかるが待っておれよ)

 
 ノカーノはローチェを背負いながら山を登った。ヌエを連れて先を行く空海が振り返った。
「ノカーノ、代わろうか?」
「いや、大丈夫だよ」
「しかしまるで赤ん坊だな。歩き方まで忘れるとは」
「ヤパラムが怪しい術をかけていたのかもしれないね。何、これから一つ一つ教えていけばいいんだよ。私だって記憶を失っているし、同じようなものだ」

 
 山道は途中で二手に分かれていた。
「空海、どちらを進めばいいんだ?」
「ほぉ、さすがはノカーノ。異次元に通じる道が見えるとは」
「この星の人間には見えないのか?」
「見えるはずないだろう――だが良い事をひらめいた。私も将来、山を開く時には異次元に寺を建てる事にしたよ」

 
「もうすぐ着く――ほら、砦が見えた」
 麓から見たのではわからないように巧みに森と同化した砦とその奥の集落を見てノカーノが感心したように呟いた。
「ふーん、上手く作ってあるし、しかも結界が張り巡らされている。これでは普通の人間には見えないね」
「そもそもここまで辿りつけないさ。今、結界を一部解くように頼むから」

 空海は砦の前に立ち、静かに言った。
「サワラビよ、私だ。中に入れてもらえぬか」
 しばらくすると低い声が返ってきた。
「真魚ではないか。久しぶりじゃな」
「今は真魚ではなく空海だ。中には入れてくれぬか」
「ぬぅ。お主、わかっておるか。お主が連れておるのはどれもこれも物騒な物ばかり。まるで化け物の行列じゃ」
「わかっている。だが場合が場合なのだ」
「お主は大唐に経典を求めに行ったのではなかったか」
「ああ、だが経典よりも物凄いこの世界の真理の一端を垣間見た。化け物などと言うが、これこそが未だ誰も知り得ない宇宙の姿だぞ」
「空海。言い過ぎだ」
 ノカーノが口を挟むと砦の声が尋ねた。

「そこな青年、名は何と申す?」
「ノカーノ」
「ふむ、ノカーノ。おんし、どこから来た?」
「それが、記憶がないのです」
「おや、それは気の毒な――して、その隣の女子は?」
「それについては私から。彼女はローチェだ」と空海が答えた。
「……ちょいとお待ち。その女子はどう見たって尋常じゃない。真魚、あんた、とんでもない事に関わってるんじゃなかろうね」
「とんでもないと言えばとんでもない事だ。彼女は先の皇妃、楊玉環の侍女だ」
「何を企んでおる?貴妃は何年も前に死んでおるが、その女子はまだ若いではないか」
「その訳を言っても信じてはもらえぬ」
「……深い理由がありそうだね。そして最後、その化け物は?」
「これは異世界の獣、ヌエだ。あちらに残してきてもまた悪さをすると思い、連れてきた。どうやらノカーノと私の言う事は聞くようなのでな」

「ふぅ、とんでもない客人だ。真魚、あんたもこの山の掟は知ってるだろう」
「もちろんだ。私が高野に山を開くまでの間だけ置いてはくれまいか」
「……そっちのお嬢ちゃんは色々と大変なようだし、化け物も懐いてるんじゃ仕方ないかね。でも特別だよ」
「おお、サワラビ。感謝するぞ――もっともお前にも考えがあるのではないか?」
「足元を見るんじゃないよ――その通りさ。歴史を変える手駒がこんなに大挙して現れるなんで、そうざらにある事じゃない」
「物騒な事を言うな。私は朝廷からの国費で渡航している身分だぞ」
「朝廷を利用する、の間違いだろ」
「いい加減にしてくれ。中に入るぞ」

 
 ようやくノカーノたちは砦の中に入る事ができた。木でできた祭祀場のような場所が敷地の中央にあり、護摩壇の前に小さな老女がちょこんと座っていた。
「よく来たの、真魚」
 わしっ鼻の女性はしわがれた声で言った。
「サワラビも元気そうで何よりだ」
「おんしがうっかりここに迷い込んだのは九つの時じゃったから十年以上経つか。その間に色々あったわ」
「ああ、京に都が遷り、征夷大将軍がエミシを滅ぼした。そしてアテルイも……だが大唐でも大変な事が起こった。先の帝は政敵に追いつめられ、后を失い、失意のうちに亡くなられた」
「うむ。その理由、おんしは知っておるのか?」
「ノカーノと話をしてわかった。先の帝は他所の星の強大な力を盾に権力を保っていたらしい。その後ろ盾がはずれたせいで追われたのだ」

「ふぅ、わしのように狭い世界に生きておる者には想像がつかん。で、ノカーノは何をしておる身じゃ?」
「はい、私は銀河連邦の者です」
「銀河じゃと?」
「サワラビ、秋の夜空に天の川が見えるだろう。あれが銀河だと思えばいい」
「ほお、そんな場所からわざわざ来おったか。おんしがその女子を見初め、大方『死人返し』でも行ったか。天の川から来ただけあって何とも趣深いの」
「サワラビ、茶化すのはやめてくれ」
 空海が言い、ノカーノは微笑んだ。
「いえ、ローチェの身を案じていたのは、私ではなく銀河連邦の『全能の王』デルギウスです」
「ほっほっほ、どうにもこじれた話になりそうだのお」
「三年、いや一年あればローチェを立派な女性に仕立てる自信はあります」
「……まあよい。おんしは特別に女子の養育係としてこの山に留まれ。本来、この山は男子禁制じゃが、これだけの逸材をおめおめと追い出すほど、このサワラビの目は曇っちゃおらん」
「おお、サワラビ。受けてくれるか。それは助かる」
 空海が安堵のため息を漏らした。
「その代わり、そのヌエとかいう怪物はわしに預けておくれ」
「……サワラビ、都を襲わせるのではないだろうな」
「そんな事しやしないさ。ただこの子の腹中のお宝も気になるしねえ」
「おお、そうだった。ヤパラムという悪人が持っていた剣で、刀身から炎を噴き出すまっこと奇怪な剣であった」
「邪剣って訳でもなさそうじゃ。元は由緒ある物だったのが悪人の手に渡ったのじゃな。さて、ヌエから取り出した方がいいのか悪いのか――後で『鎮山の剣』に聞いてみるわい」
「わかった。では私は大唐に戻る。次にここに立ち寄るのは一年後になるかな――ノカーノ、達者でな。ローチェを元通りにしてやってくれ」

 

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