目次
1 ケミラ
デルギウスは悩んでいた。マザーの言葉に従い一刻も早く旅に出て見聞を広めたがったが、そのためには性能の良いシップを用意する事が必須だと感じていた。
現在の技術では《巨大な星》のピエニオス商会の最高級のシップであっても、銀河の端まで行って戻るには長い期間が必要だったが、そんな悠長な旅をするつもりはなかった。自分に課せられた使命を達成するには気の遠くなる時間がかかるはずだ、そのために移動時間の短縮は絶対条件と言ってもよかった。
デルギウスはため息をつきながらプラの街を散歩した。裏道に一軒の小さな工房が見えた。確かここのケミラという若者はピエニオス商会の工房で修行をした後、故郷に戻り、つい最近この工房を開いたはずだった。
『ケミラ工房』と書かれた真鍮の小さな看板の付いたドアを開けてデルギウスは工房の中に入った。
一人の若者が作業場の奥から姿を現した。
「いらっしゃ……これはデルギウス様、何かご用でしょうか?」
「別に用と言う訳じゃないんだが――いや、用があって来た。シップについて教えてほしい」
「シップですか。そりゃ私はピエニオスにいましたけど今じゃ陸上移動のバイクくらいしか作ってません――で、シップの何を知りたいんです?」
「今あるどのシップよりも速く移動できるシップというのは実現可能だろうか?」
「……そりゃあ難問ですね。ピエニオスにいた時には職人同士で飲み屋でよく議論しましたけど」
「結論は?」
「結論が出てたらとうに実現させてます。でも可能性がない訳じゃないな――デルギウス様、時間をくれませんか。色々と考えたい事があるんで」
「私は今すぐにでも出発したいんだ。そんなに時間はやれないけど、半プロードくらいなら待ってあげよう」
「かーっ、厳しいな。でも正直に言います。実はここんところ何かが頭の中で暴れまわってるんです。急がないと何もかもが手遅れになるんじゃないかって漠然とした不安っていうか」
「――これは驚いた。どうやら私の心配事は君にもうつっているようだ。その通り、一刻を争っている」
「だったらこんな所で油売ってられませんね。さあ、店閉めますんでどいて下さい」
ケミラはそう言ってデルギウスを店の外に押し出し、扉をばたんと閉めた。デルギウスは苦笑いをしながらその場を離れた。
デルギウスが王宮に戻るとアンタゴニスが声をかけた。
「どうした、デルギウス。色々と動いているようではないか」
「はい。マザーに言われた事を自分なりに考えました。その結果、まずは今までにない速さで航行可能なシップを手に入れる事が必要だという結論に達しました」
「なるほど。お主らしい。で首尾は?」
「はい。ケミラという者が私の願いに応えてくれると信じております」
「よし、試運転には私も同乗しよう」
「危険ではありませんか」
「言ったであろう。まだ会っておくべき人物がいると。その人間に会いに行く――ところでディーティウスがお主と話をしたがっていたぞ」
「ああ、最近は弟を放ったらかしにしておりました。何かありましたか?」
「あいつにはあいつの夢があるようだ。話を聞いてやれ」
デルギウスはディーティウスの部屋を訪ねた。
ディーティウスは書物を読むのが何よりも好きな、聡明だがやや内気な少年だった。突然の兄の訪問に栗色の巻き毛の下の頬を赤らめた。
「兄上、どうされました?」
「いや、お前に会えと先生が言われたのでな」
「そうでしたか――兄上、実はぼく、ものすごい発見をしたのです」
「この間の『ポロンベラ・ヤママユガの目はほとんど見えない』のようなやつかい?」
「違いますよ。『不帰の吊橋』の事なんです」
「ふーん、それは?」
デルギウスは俄然興味をそそられた。不帰の吊橋とはプラの近くの平地から天に向かって伸びる直径数キロ、距離は数百キロに及ぶガス状の帯だった。そこは《銀の星》と最接近する場所で、帯は《銀の星》にまで続いていた。
デルギウスが不思議に思っていたのは、その帯の中に通常は入れないのだが、ごく稀にその帯の中に人が入り込んでしまう事件が起こる事だった。ほとんどの場合、その人物は行方不明になるか、しばらく経ってから何も覚えておらずに《銀の星》で発見される事が多かった。
「兄上、ぼくはあの帯の中を解明しました」
「しかし……あそこは立入禁止区域だ。お前、まさか行ったのか?」
「まあ、色々と」
「そこは不問としよう。で?」
「皆が噂していた通り、あの帯は異なる次元に通じています」
「どうしてそう思ったんだ?」
「立ち寄った商人が《享楽の星》の『夜闇の回廊』の話をした事があったんですが、その回廊は異次元に通じているそうなんです。それを聞いた時に『あの帯に似てるな』と思いました。昔、チオニの都が襲撃された時にも襲撃犯人たちは回廊に逃げ込んだって言ってました」
「……あまりにも単純だな。ただ似ているだけでそう結論付けるとは」
「兄上の事だからそう言うと思ってました。ちゃんと実証しましたよ」
「無茶をするなあ」
「仕組みを解明した上で入ったんですから無茶ではないでしょう」
「お前って奴は」
「兄上、その目で見ないと発見の凄さがわからないと思いますよ。行ってみましょうよ」
デルギウス兄弟は王宮をそっと抜け出し、不帰の吊橋に向かった。驚く警備の兵士たちはその場を離れ、遠巻きにして二人の方をちらちらと覗った。
「兄上、異なる次元と付き合うには目に見えない物を制御する必要があるんです」
「目に見えない物……暗黒物質か」
「その通りです。暗黒物質を思いのままに操れれば、ぼくたちの生活は一変します。帯の中は驚くべき世界ですよ」
「で、どうやって中から出るんだ?」
デルギウスは目の前の空に向かって伸びるガス状の帯を見ながら言った。帯は複雑な色合いを見せながらゆらゆらと揺れていた。
「それが……出られたのは偶然なんです。でも大丈夫。ぼくができたんだから兄上なら問題ないですよ」
「戻って来る方法は解明していない訳か」
「そう。大切なのは帯の中です。さあ、行きましょう」
デルギウスはディーティウスに背中を押されるようにして帯に近寄った。
差し出した手はすっと帯の中に吸い込まれた。何の抵抗もなく、体がすっぽりと帯の中に入ったのを見届け、ディーティウスも中に入った。
「兄上、ぼくの後を歩いて下さいね。変な場所に行くと次元の狭間に落ちて、それこそ行方不明になりますから」
「……いや、私には道が見える。ここを歩けばいいのだろう?」
「さすが兄上。やっぱり適性があるんですよ。この道が見えさえすればちゃんと帰れます」
二人はしばらくの間、霧のようなガスの中を歩いた。
「兄上、この先は川です。止まって下さい」
「川?」
「そう呼んでいるだけですけど、ほら、流れが見えるでしょう」
指差す先では確かにガスのようなものがゆるゆると流れているように見えた。
「もうすぐ島が流れて来ますからそれに飛び乗りますよ」
ディーティウスは何か言いたげなデルギウスを無視して、流れて来た五メートル四方の道と同じ色合いの島に飛び乗った。
デルギウスも慌ててその島に飛び乗ると、島は流れに沿って向こう岸へと流れ出した。
「他にも流れがあるんで、上手くやればここは王宮の宝物殿とか秘密の部屋として使えますよ」
「異次元に宝物殿か。お前の考えそうな事だな」
「さあ、岸が見えました。これを降りてそのまま歩けば《銀の星》に着きます」
「ディーティウス、この霧のようなものが暗黒物質か?」
「どうなんでしょうね。異次元だと見えるのかな」
「さっき聞きそびれたが《享楽の星》の襲撃犯、結局彼らはどうなった?」
「なんとも凄い話ですよ。異次元の暗黒物質の影響を受けたせいなのか『夜叉王』となってまだ生きているらしいです」
「……想像を絶するエネルギーだな。ディーティウス、《銀の星》には又の機会にしよう。すぐにプラに戻って私と一緒にある場所に向かってもらいたい」
「どうしたんですか。急に」
「本当はお前こそ『全能の王』にふさわしいのかもしれないと思うよ」
「違いますよ。兄上がああいう形で『全能の王』になってくれたから、ぼくは好き放題やれるんです。第一、ぼくには兄上ほど腕力がないし」
「ディーティウス、お前が弟で良かった」
「兄上、ぼくには兄上のこれから進む道が辛く、険しいのがわかります。ぼくが精一杯兄上を助けますから」
「ありがとう」
デルギウスたちはケミラの工房に駆け込んだ。中ではケミラが難しい顔をして図面とにらめっこをしていた。
「誰かと思えばデルギウス様、それにディーティウス様まで。どうされたんですか?」
「ケミラ、君の悩みを解決できそうだ。ここにいる暗黒物質の大家、ディーティウス先生と話をしてみてくれたまえ」
「兄上、大家だなんて」
「ディーティウス、これは重要な事だ。私はケミラに今までよりも速いシップを発注した。それには暗黒物質が必要なんだ――さっきの不帰の吊橋で聞いた《享楽の星》の話、そのエネルギーだけを取り出せれば、すごいとは思わないか?」
「突然過ぎてよくわからないけど何だか面白そうだ。ケミラ――だっけか。ちょっと図面を見せておくれよ」
ディーティウスはケミラの正面に座り、二人は図面を見ながら話を始めた。デルギウスはそれを見ながら満足そうに微笑み、そっと外に出た。二人のために夕食を買って持っていってやろう。
しばらくして『王立ケミラ工房』の設立が発表され、宇宙空間の移動は新しい時代へと突入する事となる。