2.3. Story 1 開明王ドノス

 Chapter 4 鼎談

1 矯正者ヘウドゥオス

「おお、ドノス様、こんな所におられましたか?」
「イソムボか。聖樹の声を聞こうと思っていたのだよ」
 ドノスと呼ばれた男は軽くウェーブした金髪を無造作に掻き上げた。白いローブをまとった利発そうな細身の青年だった。
「そうでございましたか。近頃はこのチオニでも物騒な事件が起こっております。被害に遭われた方々は剣で斬られた上に炎で焼かれるという惨たらしい有様のようです」
 イソムボは司空の家臣なのだろう、白髪の誠実そうな初老の男だった。
「――その話には私も心を痛めているよ。何の目的でそのような所業を行うのだろうね」
「さあ、たまたま現場を目撃した人間の証言によれば、犯人と思しき人物は『間もなくだ。間もなく復活できる』と言いながら笑っていたとの事です。大方狂人でしょう」
「この平和な都で残虐な事件が起こるのは悲しいな」
「また他人事のように。もしも『開明大司空』、ドノス様の身に大事でもあれば都の発展どころではございません。やはり護衛だけでも付けた方がいいのではないでしょうか」
「ははは、私なら大丈夫だよ。それに軍事は最後の手段さ。私は人の良心を信じたいんだ」
「気高いお心、私も使用人冥利に尽きます」

「それよりも君こそ少し休んだ方がいい」
「ありがたきお言葉。私でしたらご心配なく――ところでドノス様はどこかに行かれる途中だったのでしょうか?」
「ああ、最近は都に来る人が多過ぎて西の都と南の都の間の未整備地区に無断で住みついているらしい。そこに視察に行こうと思うのだが」
「それは危険でございます。頼りになる護衛もおりませんし」
「言ったろう。力で押さえつけても人は委縮するだけだ。心配しなくていい」
「わかりました。ではあまり遅くならないうちに城にお戻り下さい」

 
 聖樹の下を離れ、南の都の大路を下った。道行く人々の顔は活気に溢れ、笑顔が弾けていた。ドノスは満足そうに微笑みながら一人思った。
「この樹の加護のおかげで星は発展を続けている。私も少しでも発展に寄与しないといけないな」
 だがそんな気持ちは南の大路から西に入ってしばらくするとどこかに吹き飛んだ。区画整理のされていない原っぱのような場所に、人々があり合わせの木の板で家とは呼び難い小屋を建てて暮らしていた。下水が整備されていないせいか、あちらこちらにある水たまりの水が腐り、饐えた臭いが至る所から漂ってきた。

 一人の薄汚れた裸同然の少年が近寄ってきた。
「なあ、金くれよ」
 少年は笑顔一つ見せずに言った。
「すまない。持ち合わせがないんだ」
「なら、食い物ねえかよ。食い物だよ」
「すまない。それもない」
「ちぇっ、しけてやんな」
 少年はぺっと唾を吐き、ドノスを睨み付けながら去った。

 どのくらいの時間そこにいただろうか、悲惨な光景にショックを受け、疲れ果てて南の大路に戻った時にはもう日が暮れようとしていた。空には三つの月が出ていた。
 月明かりの中、ドノスは聖樹の下に戻った。
「聖なる樹よ。私が今日見た光景、お会いした人たち、どうすればお救いする事ができるだろうか?」
 樹はいつも通り何も答えない、そう思った瞬間に声が聞こえた。
「ドノスよ。物事には常に光と闇がある」
「……誰です。そこにいるのは?」

 
 聖樹の背後から一人の男が現れた。黒いローブに黒いフードを頭からかぶっていて顔の表情はわからなかった。
「あ、あなたは?」
「お前を造りし者」
「……私の父、いや、それとは少し違う。あなたはこの世界の住人ではないような」
「お前はこの創造主ジュカの手で直接この世界に生み出されたのだ」
「おお、何という栄誉でしょうか。私はこの世に光をもたらすべく創造主より生を受けたのですね」
「――やはり失敗作であったか」
「は、何と言われましたか?」

「……」
 突然ジュカと名乗った男の右腕がドノスの首を掴み、ドノスはそのまま大樹にぐいと押し付けられた。
「わしの不手際を帳消しにするには、今、この場でお前を消滅させ、新しい者を造り出せば済む、極めて容易い事だ。だが他の創造主たちはこの状況を面白がり、その原因を知りたがっている。そこでわしはお前を生かし、矯正する」
 ジュカは締め上げていた手を離し、ドノスは跪いた。
「こうなった原因もすぐに解明される。ではまた来るぞ」
 ドノスが声も出せずに見上げていると、ジュカの姿はかき消すようになくなった。

 
 翌日、王宮の広間でイソムボが声をかけた。
「ドノス様、どうされました。顔色がよろしくないようですが」
「ああ、イソムボ。実は――」
 ドノスは昨夜の出来事を言いかけて止めた。創造主に会ったなどと言った所で誰が信じようか。ましてやイソムボにそれを話せば、またぞろ護衛を付ける話になるのは明白だった。
 愛と対話があれば力は必要ないはずだ、自分の信条を曲げる提案だけは受け入れられなかった。
「いや、少し寝不足かな」
「はあ、左様でございますか。くれぐれもご自愛のほどを。ドノス様あってのチオニであり、《享楽の星》なのですから」

 
 その日も積極的に町の視察を終え、ドノスが王宮に戻ったのは夜更け近くだった。普段は三つから四つは空に浮かぶ月も一つとして出ていない暗い夜だった。
 聖樹の脇を通り過ぎようとした時に声をかける者がいた。
「ドノス様、お帰りなさい」
 立っていたのはチオニの伝統衣装のふわりとしたスカートを身に付けた若い女性だった。
「ハンナじゃないか?」
 ドノスは心臓の高鳴りを押さえながら答えた。
「何してるんだい?」
「父から言伝を頼まれてお待ちしておりました」
「ずっとかい?」
「はい。ここでなら必ずお会いできると思い、樹の下で読書をしながら――で、用件は明朝の会議に少し遅れるとの事です」
「そんな用事のために君を寄越さずとも」
「本当ですよね。父ったら」
 そう言ってハンナは明るく笑った。くりくりとよく動く目、カモシカのような肢体、ドノスにとっては全てが愛おしかった。
「わざわざ来てくれてありがとう。もう夜も更けた。家まで送っていこうか?」
「いえ、そんな事をさせてしまったら父に怒られます。それにチオニで怖い思いをする事はございません。これもドノス様のおかげです」
「私の力ではないさ――じゃあ気を付けて。明るい道を歩くんだよ」

 
 翌朝、大分遅れてイソムボがドノスの下に参じた。
「やあ、イソムボ。用事は済んだのかい?」
「……それが。ドノス様、娘にはお会いになられましたか?」
「もちろんだよ。君が遅れる事をわざわざ教えてくれた」
「そうですか。となるとその後か……」
「ん、どうしたんだい?」
「……娘が帰ってこないのです」
「えっ?」
「所用を取りやめて、朝から娘の行方を探しておりました」
「……その、ハンナは今までも外泊する事はあったのかい?」
「滅相もございません。母がいない事もあり、厳しく育てております。一度たりとも無断で家を空けた事など」
「うん、悪かった。友達の家でつい時間を忘れて話し込んだ可能性は?」
「数人仲の良い女友達がおりますが、彼女たちにはすでに確認致しました」
「そうではなかったんだね」
「はい」
「こういう時こそ落ち着こう。私も今日は視察を止めてハンナを探す。二人で探せばきっと見つかるさ」
「おお、ドノス様。ありがたいお心遣い、感謝致します」
「君の大切な娘という事は私にとっても大事な人だよ。感謝には及ばない」

 
 イソムボと手分けして東西南北に広がるチオニを歩き回り、王宮に戻る頃にはとっぷりと夜も更けていた。
 ドノスが険しい表情のまま、聖樹の脇を通り過ぎようとしたその時、目の前に一人の男が現れた。
「……あなたは、確か先日お会いした」
「そうだ。創造主ジュカ。お前を造りし者だ」
「もし貴方が創造主であればご存じではありませんか。実は――」
「大切な人間を探しているのであろう」
「何故それを?」
「愚かなる被創造物の事を知らぬはずがなかろう。もちろん居場所も知っている」
「ではハンナは、ハンナはどこにいるのですか?」
「まあ待て。先日も言ったろう。お前には矯正が必要だと。それが成し遂げられぬ内は娘の行方を伝える訳にはいかん」
「そんな酷い。それが創造主のやる事ですか?」
「勘違いをするな。創造主は被創造物を救済する存在ではない。所詮お前たちは実験材料に過ぎんのだ」

「……私を、その、『矯正』できたなら、居場所を教えて頂けるのですね」
「約束しよう」
「わかりました。で、今この場で矯正をなさるおつもりですか?」
「それも芸がないな。あのサフィとやらいう生意気な小僧の呪縛がどれほどのものか、知っておきたい」
「……サフィ?それは聖サフィの事ですか?」
「気にせんでもよい。しばらくお前と生活を共にし、じっくりと光と闇について教え込んでやろう」
「王宮にですか。イソムボにはどのように紹介すれば?」
「お前の学問の師、神秘学者ヘウドゥオスだと伝えればよい」
「神秘学者?」
「『物事の光と闇』、特に闇を明らかにする学問だ――では参ろうか。お前なりの方法での人々の救済がようやくスタートするぞ」

 

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