1.8. Story 2 ナヒィーン

 Chapter 9 全てを知ること

1 名前を失くした剣士

 チオニの東のはずれで、「失せ物か」と声をかけた相手を見たサフィは息を呑んだ。
 その男は黒い合わせのような服を着て、下半身も黒い袴のような不思議な服装で、腰には片刃の剣を佩いていたが、その顔は《幻惑の星》で出会ったワンガミラに似て、もう少し緑がかったトカゲのものだった。

「……ワンガミラ?」
 サフィが思わず口にした。
「はて、それは?」
 男は「ワンガミラ」と言われても訳がわからないようだった。
「いや、失礼致しました――今、『失せ物』とおっしゃいましたが、何故、それを?」
「特に理由など。あなたから湧き上がる気配がそう教えた。あなたの大事な何かを奪い取った者を探しているのだと」
「それはすごい。人の思念が読めるのですか?」
「今回は特別だ。普段は相手の殺気を読むくらいしかできぬが――おそらくあなた自身が特別な力の持ち主だからだろう」
「相手の殺気を読む事ができ、その佩いている剣、さぞや名の有る剣士でしょう。失礼ですがお名前は?」

 
「……それが……わからんのだ。自分の名前も、どこで生まれ、どうやってこの星に来たのかも。何も覚えていない」
「《幻惑の星》という所であなたによく似た方々にお会いしたばかりですが」
「その名に聞き覚えはない」
「大変ですね。私はサフィ・ニンゴラント。知識を求めて旅をしております。どうでしょう、あなたもご自分を探していらっしゃるのなら一緒に旅をしませんか?」
「ありがたい誘いだが……失せ物探しはいいのか?」
「ええ、私の旅にはあまり関係のない物です。ただ非常に珍しいお方から頂戴した物だったので、その方に申し訳ないと思い、探していただけです」
「ほぉ、それは?」
「火の精霊フレイムの鍛えた『焔の剣』と呼ばれる剣です」
「剣と聞いたら黙ってはいられない。もう一度探してみよう。まずは剣の置いてあった場所に案内してもらえぬか?」

「しかしここで何かをなさっていたのではありませんか?」
「大した用事ではない。町を一通り歩けばわかるが、この東の端にだけこのような仰々しい城壁や櫓がある理由、それは対サンドチューブ用なのだそうだ」
「サンドチューブですか?」
「砂の中に住む巨大な生物らしい。あそこの石版に絵が彫ってある。それが現れはしないかと時間を潰していただけだ」
「わかりました。では一緒に参りましょう」

 
 サフィと名を失くしたワンガミラはシップに戻った。シップの中を見聞したワンガミラは口を開いた。
「どうやら貴殿に対して強い恨みを持つ者がここにはいたようだ。うっすらと殺気が残っている所から見て、その気配を辿れば失せ物を発見できるかもしれぬが」
「なるほど。私に強い恨みを持つ者――心当たりがあります。おそらくあの男でしょうが、《巨大な星》から付いてきていたとは。不死身だと言っていたが本当だったんだ」
「ふむ、そういう事か。大分弱っているがゆえ、現在は人の形を取れないでいる。通常の人の気とは違うもののように感じられる」
「恐ろしい奴だ。で、見つけられそうですか?」
「さあ、それだけの力を持つ相手では難しいかもしれないな」
 ワンガミラの男はすっと姿を消した。驚くサフィの目の前で男はすぐに姿を現した。
「自分の気配を消す事もできるのだ。さあ、行こう」

 
 サフィはワンガミラに付いて三度、チオニの町に向かった。ワンガミラは町の中心に来るとサフィが行っていない北の道を進んだ。
 北に向かうにつれて、露店や道行く人の数は徐々に少なくなった。はるか先の道の端の方に、ぽつんと小さな黒い点のようなものが見えた。
 サフィの足取りが重くなったのに気付いてワンガミラが声をかけた。

「どうされた?」
「あの向こうに見える黒い点ですが、嫌な記憶が蘇ってきました」
「不思議な空間のようだ」
「どこか別の場所に繋がっているのでしょう」
「ほぉ、以前にも同じような経験をされたか?」
「ええ、その時と同じ雰囲気がします」
「気配はあちらへと続いているようだが」
「……止めましょう。あの空間に入ったとしたら今の自分では正気を保てる自信がありません」
「貴殿の旅にとってそれほど重要な物なのでないとしたら、そこまでの危険を冒す必要もない。ではあきらめて戻ろう」

 
 サフィとワンガミラは今来た道を町の中心部に戻った。途中の露店で北の道のはずれにあるものについて尋ねると、『夜闇の回廊』だという答えが返ってきた。
「夜闇……貴殿の予想通り、不吉な名前だ」
「仕方ありません。あの男、ヤッカームを取り逃がすのは未来に禍根を残す事となるが完全な回復までには時間が必要です。ヤッカームの相手は未来の担い手に任せます」
「ヤッカーム……剣を盗んだ男の名か?」
「はい――ワンガミラは長命と聞いております。もしかするとあなたがその相手になるかもしれませんね」
「その前に自分の名を取り戻さないといけないが」
 大真面目な顔をしてワンガミラが言うので、サフィは思わず吹き出しそうになった。

「ところでこの星にしばらく留まられるつもりか?」
「いえ、この星には私の求めているものはなさそうです」
「これからどこに?」
「特に考えもありません。気の向くままと言った所でしょうか」

 
 サフィは町の中心部で立ち止まり、懐をごそごそと探した。
「どうされた?」
 ワンガミラが不思議そうに尋ねた。
「良かった。種は無事だ」
 サフィは町の中心部に麻袋の中の種を植え、そして祈った。
(うん、この種は素晴らしい。アダニアの星、ルンビアの星、そしてこの星、いずれも銀河の中でもっとも繁栄した星となるだろう)

「この星に邪悪なものが生まれるとしたら、それは私にも責任があります。せめて生まれてくるであろう邪悪に一片の良心が芽生えるよう、我が祖マーに願いを込めました」

 

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