1.6. Story 3 氷原の魔物

 Chapter 7 弟子たちの旅立ち

1 ファルロンドォ

 サフィたち一行は空を飛べるようになったプララトスに気を配りつつ、ファルロンドォまで空を進んだ。
「しかし世の中ってわかんないもんだ。このおれが空を飛ぶなんてな」
 荒れ狂う吹雪の中、一面の氷原に着陸した所で、プララトスが白い息を吐きながら言った。
「意外ではないよ。君には元々素質があり、それをアダニアが上手に引き出した」とサフィが言った。
「まあ、おれはショコノの漁師の中でも変わり者って言われてたけど。アダニアの兄貴には頭が上がらねえなあ」

「さてと、カゼカマは『氷の宮殿』と言っていたけど、どこにあるのかな?」
「サフィ様。良からぬ気配は南東の方から漂ってきます」とウシュケーが呟いた。
「じゃあそちらに行こう」

 
 地上に降りたサフィたちは小さな橋に差しかかった。
 先を歩くアビーが何かを言おうとして橋の途中で立ち止まったが、思い直してずんずんと橋を渡った。
 サフィも僅かに漂う懐かしい気配に気づいて「おや」という顔をしたが、やはりそのまま橋を渡った。
 橋を渡る途中で下を見ると川面は厚い氷に覆われていた。
「この氷がショコノまで続いてんだな。何が起こったんだ?」
 プララトスは唸り声を上げた。

 
 さらに進むと吹雪がぴたりと止み、宮殿が視界に飛び込んできた。その名の通り、青白い氷でできた建物がそびえ立っていた。
「――これが氷の宮殿か」
「兄い、どうすんだよ」
「決まってるじゃないか。グレイシャーに頼むんだ」
「そんなにうまくいくかよ」
「わからない。どうもカゼカマの言っていた『偉い人』というのが気になる」
 サフィは再び激しくなり出した吹雪に目を細めた。
「二手に分かれよう。エクシロン、ルンビア、ウシュケー、ニライ、君たちは宮殿の周囲を調べてくれ。残りは私と一緒に宮殿の中だ」

 
 宮殿の外を一回りしたエクシロンたちが、吹雪に辟易しながら正門の所に戻った時、ウシュケーとニライが同時に何かを感じたように体を震わせた。
「……何か来ます」
「……正門、いや、地下だ――皆、空中へ!」
 慌ててエクシロンたちは飛び上がり、地下から黒い塊が飛び出した。黒い塊の手には銀色に光る刃が握られていた。

 
「ギラゴーだな?」
 ウシュケーが空中に浮かんだまま首を傾げた。
「……誰かと思えば『持たざる者』――確か、ワジにいたな。又、ちょこまかと邪魔をするつもりか」

「てめえ、『地に潜る者』は遠くの星に行ったんじゃなかったのか。ここで何してんだよ」
 エクシロンの問いかけにギラゴーは馬鹿にしたように笑った。
「ネボリンドに付いていっても所詮は使われる身。ここにいた方が楽しいと判断した」

「訳のわからない事を言っているが、ここで何をしてるんだ?」
 ルンビアの問いかけにギラゴーは「ほぉ」という声を漏らした。
「……空と水の王子。あの時、死んでいれば良かったものを、サフィが余計なかばい立てをするものだから生き延びてしまった。お前のような者は生きていても辛いだけ。今からでも遅くはない、楽にしてあげようか」

 
 ギラゴーは再び黒い塊となり、猛烈な勢いで地中へと消えた。
「くっ、ギラゴー」
 地下に開いた穴を目がけてルンビアが突進しようとしたが、ウシュケーが止めた。
「だめだ、ルンビア。追っては向こうの思う壺だ。地下ではあいつには勝てない」
「でも――」
「悔しいのはわかるが、それが向こうの作戦だ――地上に降りてはいけない」

 
 そのまま地下と空中での我慢比べが続いたが、とうとう雷獣が叫んだ。
「こうしててもしょうがねえや。おれが奴を引きずり出してやる」

 雷獣はエクシロンの盾の中から飛び出て、吹雪の中を天に向かって駆け上がった。
 やがて辺りの白い雪が青白く光り、雷が穴の周辺に落ちた。
「――うぉお」
 苦しげな叫び声と共にギラゴーがたまらず地上に飛び出した。
「今だ!」
 ルンビアとエクシロンはギラゴーが地下に戻らないように左右からその体を押さえつけた。
 動きの取れないギラゴーに、空中からウシュケーが強烈な拳の一撃を振り下ろした。
 ギラゴーは奇妙な捩れ方をして雪の中に倒れ込み、倒れた場所の雪はたちまちにして朱に染まった。

 
 エクシロンたちは倒れてぴくりとも動かないギラゴーの周りに集まった。
「おい、ウシュケー。物凄い一撃だったな」
 エクシロンの言葉にウシュケーは静かに頷いた。
「この男に虫けらのように扱われて死んでいったワジの人たちの事を思い出したら、力が制御できなかった――修行が足りないな」
「ウシュケー、そんな事はないよ」
 ルンビアが頬を赤くして言った。
「君がやらなければ、ぼくがやってた」
「中に入っていったサフィ様が心配ね」
 ニライが白い息を吐きながら言った。
「ギラゴーがここにいたって事は――」

 
 サフィたちが入った宮殿の内部は氷の壁が迷路のように複雑に立ち塞がっていた。
「これは……迷路ですね」
 アダニアが小さな声で言った。
「うん、慎重に進もう」
 サフィたちは幾つもの氷の壁を曲がり、進んだ。徐々に感覚がマヒして、自分たちがどこに向かっているのかすらわからなくなった。
「……弱ったな。方角がわからない」
 サフィが頭をかくとアビーがにこりと笑った。
「大丈夫よ。正しい道を進んでる。あたしにはわかるから」

 アビーの言葉に従い、尚も進むと、どこかで雷が落ちたような音が聞こえた。
 そのまま、さらに進むと広い空間に出た。空間の中心には氷の台座が設えられていて、そこに一本の剣が刺さっていた。
 台座の前に立っていた人間がサフィたちの方に振り向いた。

 
「ようこそ。サフィ君とアダニア君は顔見知りだが、後のお方は初対面だな――私はヤッカーム、以後お見知りおきを」
「ヤッカーム、何故ここに?」
 アダニアが大きな声を上げた。
「アダニア君、この剣を見て気が付かんかね」
 ヤッカームは自分の背後の台座を指し示した。
「……まさか『水に棲む者』の王家に伝わると言われる『凍土の怒り』では?」
「その、まさかだよ」
「この剣の出す冷気がショコノの海を凍らせたのかい。それにしてもすげえな」
 プララトスの言葉にヤッカームは首を横に振った。
「この剣の真の力はこんなものではないらしいが、創造主の祝福とやらを受けていない私にはそれを引き出す事ができなくてね。この宮殿であれば氷の力を増幅できるのではないかと思って、ここに運び込んだ訳だよ……グレイシャーというお人好しの精霊が招待してくれたしね」
 

「ヤッカーム」
 サフィが問いかけた。
「決着を付ける前に、聞きたい事が山のようにあるんだ」
「おや、さすがの救世主でもわからない事が多いようだ。いいですよ。色々と話して差し上げましょう――

 

【ヤッカームの独白:銀河の覇権】

 ――あなた方もこうして外に飛び出して数多の星が存在し、そうした星々が銀河を形成し、銀河も又無数に存在するのをようやく理解された事と思います。
 私は以前からその銀河の覇者となりたいと考えており、この箱庭に目をつけました。

 《古の世界》、最初に到着したその星は種族が互いに諍いを起こしていました。全ては創造主の実験だったのですが、結果次第では消滅してしまう、そんな酷い状況でした。
 唯一の救いはその星は現在の人間の祖となった偉人たち、つまり空のモンリュトル、水のニワワ、地のヒル、精霊のアウロ、龍のウルトマ、持たざる者のマーが暮らした地で、優秀な彼らが遺した強大な力がその星に眠っていた事です。

 しかし『空を翔ける者』には付け込む余地がなかった。賢明なモンリュトルは遺物シャイアンを厳密な条件の下で秘匿したのです。
 地に潜る者の場合はもっと過酷です。冷徹なヒルは子孫に残すべき遺物を地底深くに隠して去りました。
 唯一、水に棲む者の祖、寛大なるニワワが遺したものだけがこの地上に顕になっていたのです。

 そこで私は水に棲む者に成りすまし、その力、凍土の怒りと『大陸移動の秘法』を手に入れようと企みました。
 彼らの団結は三界の中で最も緩く、私は易々と王族に接近する事に成功しました。
 最初はナラシャナとの政略結婚をしてから王族入りしてと考えておりましたが、すぐに考えを改めました。
 邪魔者は全て排除してしまえば良いではないか、そう、王族全員の抹殺です――

 

「今凍土の怒りと共にここにいる、という事は?」
 サフィが尋ねた。
「申し上げた通りです。王族は一人も残っておりません」
「レイキール様のみならず珊瑚様まで手にかけたのか?」
「どう取って下さっても構いません」

「ショコノじゃあ、皆が迷惑してるんだよ。このままいくとこの星が全部凍り付いちまわあ。もう止めてくれねえかな」
 プララトスがヤッカームに頼み込んだ。
「なるほど、考えないでもないが、条件がありますね」
「どうせこの星を支配させろとか言うんだろ?」とアビーが笑いながら言った。
「おや、あなたは……まあ、いいです。お察しの通り」
「でもそんなのは手始めに過ぎない。あんたの目指すのは銀河の支配だろうからね」
「ご明察です」

「そんな事を創造主が許す訳ないだろう。《古の世界》の崩壊は自分たちで作った星を壊しただけであって、他人に好き勝手されてそのままでいられるはずがない」
「おや、サフィ君、まだそのような青臭い事を。散々創造主の身勝手に振り回されたと言うのに」
「創造主が身勝手だったとしてもそういった無秩序を防止する仕組みが存在するはずだ」
「ほぉ、さすがは救世主。そこまで考えが回っていたとは。ですがこんな前例があるのですよ――

 

【ヤッカームの独白:銀河の簒奪】

 ――かつて別の創造主たちが造った『真・レースロトル銀河』と呼ばれる箱庭宇宙がありましたが、ある時、外の宇宙から来た、『征服王』ユンカーという人間によって征服されたのです。創造主たちは熟考の末、『真・レースロトル銀河』をあきらめ、その男に差し出しました。他にこんなケースもございます。『ガモ界』と呼ばれる銀河で同様の事案が発生した際には、創造主が全力を挙げて侵入者を排除しました。『ファリータ・フィノード・デグラビアサ・ザリ』という長ったらしい名の銀河の場合、創造主と侵入者の戦いの末、その銀河は消滅しました――

 

「――という具合に銀河の簒奪の事例は数多くあるのです」
「それでも私はこの世界の創造主を信じたい」
「どうぞお好きに」

「ヤッカーム、この星が氷の星になるのは阻止する。力づくでその剣を抜かせてもらうよ」
「サフィ君とは色々縁があるので決着を付けるいい機会ですね。今頃は宮殿の外にも君の仲間の死体が転がっているはずだ。すぐに後を追わせてあげましょう」

 
 ヤッカームは台座に刺さった凍土の怒りを抜き、構えた。凍土の怒りは剣身から凄まじい冷気を放った。
「弱き者たち。まとめてかかってくるがいい」
 サフィとアダニアとプ ララトスがヤッカームを取り囲んだ。アビーは少し離れた場所に下がり、十八弦を手に取った。
 サフィが『焔の剣』を鞘から抜くと、刀身からは炎の塊が零れ落ちた。
「ふっふっふっ、こしゃくな。炎で氷を制するつもりか」

 
 サフィとヤッカームの剣が激突した。ヤッカームが押しまくり、サフィはあふれ出る冷気をやっとの思いで防いだ。
「救世主とは言っても剣技は人並み。レイキールと同じように楽にしてあげましょう」
「……くっ」

 
 サフィたちの背後にいたアビーの十八弦の調べが大きく響き渡った。優しいメロディーが辺りを包むと、サフィの剣の炎がヤッカームの冷気を押し返し始めた。
「うぬ、どうした事だ――おのれ、『神速足枷』、これが効かんとは」
 とうとうサフィの剣から吹き出す炎の勢いが勝り、炎の壁がヤッカームを取り囲んだ。

「ヤッカーム、年貢の納め時だ」
 サフィが剣を構えたままで言った。
「凍土の怒りを手放すなら命だけは助けてやる」
「バカを言いなさい」

 ヤッカームは空中に飛び上がり、逃げようとした。その足にプララトスが必死でしがみつき、ヤッカームは地上に引きずりおろされた。
 アダニアが懐に飛び込み、すれ違いざまにヤッカームを仕込み杖で斬り捨てた。

 
 手から凍土の怒りが滑り落ち、ヤッカームは真っ白な氷の床の上に倒れた。
「……これで勝った気になるなよ」
 ヤッカームは血を吐きながら言った。
「何?」
「私は不死身だ。何度でも蘇り、いずれはこの銀河の覇者となる」
 それだけ言うとヤッカームは地面に吸い込まれるようにその姿を消した。
「しまった」
 アダニアが叫んだが、凍土の怒りを残してヤッカームの気配も消えていた。
「アダニア、もういい。きっとあいつの言う通り、私たちでは止めは刺せないんだ」
 サフィが剣を背中にしまいながら静かに言った。

「よくやってくれた、皆」
 サフィが全員に声をかけた。
「何だったんだい、今のは?」
 プララトスは驚きが収まらないようだった。
「あいつは水に棲む者の大臣だった。私やルンビア、ううん、皆の仇だと言ってもいい」
「サフィ、凍土の怒りはどうする?」とアビーが尋ねた。
「とても私たちに使いこなせる代物ではないから、このまま封印したいと思うが、どうだろう?」
「それにはこの宮殿の主、グレイシャーを探さなきゃね」
 アビーが頷いて言った。

 

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