目次
1 苦難の始まり
眠り姫
「ヤッカーム、貴様、何を――」
《海の星》の海底に建てられた仮住まいの王宮にムルリの声が響き渡った。
「あなたに起きていられると何かと都合が悪くてね。今、腕をちくっと刺したのは『眠りの棘』です。一度眠りにつけば簡単には目が覚めないらしいですよ。良かったですな、長生きできて」
「……貴様。姫様を」
「さすがは英雄ムルリ、しぶといですね。だが安心なさい。誰も殺しはしません。目覚める事のない眠りにつくだけです」
「……」
「手間を取らせないで下さい」
ヤッカームは慌てた表情を取り繕って珊瑚の下を訪れた。
「姫。緊急事態です」
「何事じゃ」
「正体不明の者共の攻撃です。ムルリ将軍がお倒れになりました。この星への移住を快く思わない勢力かもしれません」
「何じゃと」
「私が姫をお守り致します」
「……さようか。よろしく頼むぞよ」
「つきましてはお願いがあるのですが――」
「申してみよ」
「はっ。その腰に佩いておられる『凍土の怒り』をば、このヤッカームにお貸し頂けないかと」
「無理じゃ。この剣はお主、いや、誰にも使いこなせん代物じゃ」
「姫。今は一大事ですぞ。そのような事を言っておられる場合ではございません」
「……うむ、そうじゃな」
珊瑚は腰の剣をヤッカームに手渡した。
そこにムルリがふらふらの状態で現れた。
「……姫……だまされてはなりません」
それだけ言ってムルリは倒れた。
「一足遅かったですね。凍土の怒りは、ほら、私の手元に」
ヤッカームの態度を見て珊瑚は謀られたのに気付いた。
「お主、わらわを謀りおったな」
「ははは、気付きましたか。本当なら『大陸移動の秘法』も手に入れたいのですが、それはどうやら無理なご様子。まあ、いい。この剣だけを頂いていきますよ」
「そうはさせんわ」
珊瑚が術を唱えようとする前にヤッカームは『眠りの棘』を腕にぷすりと刺した。
「――ああ」
珊瑚が倒れるのを見届けてヤッカームはふぅと息をついた。
「殺さなかっただけありがたく思いなさい――せっかくだからちゃんと埋葬してあげましょう。この《海の星》の底でいつまでも仲良く眠るがいい」
ヤッカームは残ったエビやカニの戦士を集めると、沈痛な面持ちで女王と英雄が身罷ったため埋葬が必要だと告げた。
女王に付いてきた『水に棲む者たち』は疑いも抱かず、ただただ絶望の表情を浮かべながら黙々と作業を続けた。
「お前たち」とヤッカームが声を掛けた。「新天地にやってきたばかりなのに、指導者と英雄を失った悲しみはわかる。『好きなように生きるがよい』、これが珊瑚様の今際の際の言葉だ。ここに立派な棺とそれを格納する墓廟を建てたなら、そのお言葉通り自由に生きるのだな」
二人を別々の棺に入れ、それらを墓廟に納めるとヤッカームは改めて手に入れた剣を見つめた。
「あの巨大な魚が目障りだったが、あそこまで脅しておけば行動には出るまい。ここにいる奴らは指導者を失った最早烏合の衆、放っておいても問題ない――さて、『約束の地』で待つギラゴーと共に『氷の宮殿』でこの剣の力を引き出すとするか」
同じ頃、《巨大な星》の近くの《沼の星》にブッソンは移動していた。
赤子というよりも幼生の姿をした愛息ビリンディをヤッカームから守り通した事に満足し、《古の世界》や《海の星》で一族に起こった様々な悲劇まで感じ取る事はできなかった。
たとえ感じ取っていてもブッソンは敢えて無視しただろう。
不死のヤッカームに見つからぬようにこの沼の底で千年近くかけてビリンディを育てていく、それが自分に課せられた使命なのだ。
いたずらに動いて相手を刺激するのは得策ではなかった。
世界には一切干渉せず、ただ泥の底で時を過ごす、長寿の水に棲む者は《古の世界》の歴史を石版に刻んだ後、長い沈黙についた。
分かれる翼
リーバルンとスクートが向かった先は《守りの星》だった。
大小無数の岩に囲まれた隕石地帯があり、そこを抜けた中心部に平たい岩盤が幾つも浮かんでいる不思議な場所だった。
プトラゲーニョが率いた別のシップは《鳥の星》と呼ばれるこれも岩だらけの星に移住をしていたので、『空を翔る者』は大きく二つの場所に移り住む事になった。
「しかしおれたち二人だけってのも味気ないっすね」
岩だらけの地帯を抜けた所にある巨大な岩盤に一本の大きな木が生えていて、その下で焚き火をしながらスクートが言った。
「まあまあ。噂を聞き付けて、プトラと一緒にあっちに行った人間も合流してくるだろうし、それに――」
「『それに』何ですか、リーバルン様」
「いや、何でもないよ」
「あっ、期待してますよね。『持たざる者』や他の種族も来るんじゃないかって」
「まあね」
「この場所は他の種族には住み辛いんじゃないかなあ」
「となるとこちらから出向かないといけないね」
「それなんですけどね、リーバルン様」
「何だい」
「今までとは全てが違う訳ですよ。おれたちが多数派で使役する側だったけど、きっと持たざる者の方が多数派なんです」
「それがどうしたんだい?」
「つまりおれたちはかつての持たざる者と同じに扱われるんじゃないかなって」
「……サフィに限ってそんな馬鹿な真似はしないよ」
「そりゃサフィはそうですよ。でもこの銀河にはサフィ以外の指導者もいて、どうやらそういった殆どの星では持たざる者が支配者らしいじゃないですか。きっとおれたちや《鳥の星》に行った奴らには住みにくい世の中っすよ」
「でも他の星との交流をしない訳にはいかない。私は色々な星を訪ねるつもりだよ」
「そうですね――あーあ、サフィが銀河を統一してくれりゃいいのにな」
地中の王国
同じ頃、ネボリンドは地下に大きく広がる空間を見つめて呟いた。
「ずいぶんと遠くまで来たが、この《地底の星》で再びミラナリウムを発掘する。そしてその時こそ我らの反攻の開始だ」
しかしその後の状況は芳しくなかった。
ミラナリウムは発見されず、元々資源の少ない《地底の星》では国民を養っていくのに行き詰まった。
仕方なく他所の星に働きに出る『地に潜る者』の数は増加したが、謂れのない迫害を受ける場合も多かった。
他人を信じる事のあまりなかったネボリンドはますます人間不信に陥り、持たざる者への恨みを増幅させていった。
ネボリンドにとって更に不幸だったのは跡取りとなる息子のネザノールがあまり賢明ではなかった事だった。
ネザノールが権力の中枢に着く頃には、星を出ていく民の数は飛躍的に増え、地に潜る者の勢いはすっかり失われてしまうのだった。
老いたハゲワシ
リーバルンが視察から帰ったスクートと大きな木の下で話をしていた。
「リーバルン様。大分この星で暮らす者も増えました」
「うん、そうだね。でも君の予想通り、他の種族は来なかった」
「それにおれたちも年を取りました」
「そろそろ次の世代の心配をしないとならないね」
「たまに風の噂に聞きますけど、ルンビアもサフィも立派にやってるみたいですよ。どっちかが来てくれればいいんだけどなあ」
「スクート、無い物ねだりは良くないよ。彼らをこんな狭い場所に縛り付けてはいけない。それに間もなく君には立派な跡取りができるじゃないか」
「そんな……おれの血筋から指導者になれる人間なんて出る訳ないでしょ。勘弁して下さいよ」
「そんな事はないんだけどな。でもあっちの星でも後継者問題が起こる頃かもしれないね。プトラは元気にしているかな?」
プトラゲーニョは命の灯が燃え尽きようとしているのを自覚した。
後は後進の者に未来を託し、自らの人生を潔く終わらせるだけだった。
プトラゲーニョは考える。
自らの生涯に悔いはなかったか?
アーゴ王を助け、部族統一を成し遂げ、一躍ハゲワシと恐れられるようになった。
その後も王をよく盛り立て、空を翔る者は覇権に最も近かったはずだ。
リーバルンというさらに優れた世継ぎができ……あの日、ナラシャナを助け、ルンビアを世に残す事ができたのは、確かに自分の手柄だった。だがその後の措置、ニザラとコニを犠牲にしたのは正しかっただろうか。
結局、リーバルンとスクートはこの《鳥の星》に来なかった。リーバルンとはもう一度話をしたかった。
現在、この星にいるのは自分を始めとする黒き翼の者だけだ。白き翼、リーバルンは遠く離れた《守りの星》に向かったと聞く。
リーバルン、わしは間違っていたのだろうか……
消えた龍
目が覚めると真っ暗な闇だった。
「ああ、あの時、ディヴァインに転送されて――ここは、どこだ?」
黄龍は暗闇を見回し、ゆっくりと歩き出した。
やがて明るい場所に出た。無数の星が瞬く空に向かって、いくつもの奇妙な形をした石の柱が海からにょきにょきと伸びていた。
「おそらくわしが最も早く目覚めたな――では仲間探しの旅に出るとするか」
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