1.4. Story 3 荒ぶる魂

 Chapter 5 滅びの日

1 ホーケンス半壊

 とうとうその日が来た。
 風が強く吹き、黒い雲がちぎれるように空を滑っていく、嫌な天候だった。
 『風穴島』を警護していた『空を翔る者』からリーバルンに連絡が入った。
 リーバルンは直ちに『世界の中心亭』に主だった人々を集めた。

「また、唸り声が聞こえたようだ」
「目覚めたのがディヴァインであれば世界は平穏、だが黒龍ならば世界の破滅、そういう事ですな」
 ネボリンドが黄龍に確認するように言った。
「いかにも。黒龍であればその後に三龍が続いて目覚めるはず。ディヴァインの目覚めが遅ければどうなってしまうやら」
「人々をシップに誘導しておいた方がいいだろうか?」とレイキールが尋ねた。
「様子を見てからでも遅くはない。どれ、わしは島に行ってみるか――白龍、青龍、赤龍、それにサフィとリーバルン、スクート、一緒に行くぞ」

 
 風穴島に着くとリーバルンの部下がやってきて報告をした。
「段々に唸り声が大きくなっているようです」
「どれ……む、これはいかんなあ。リーバルン、来たばかりですまんが、お主たちでホーケンスの住人を東に避難させてくれんか?」
「黒龍でしたか?」
「うむ、わしらはここに残って奴を説得してみるわい……サフィには別にやってもらう用事がある。ここに残るがいい」

 リーバルンとスクートが飛び去ってから黄龍が残念そうに言った。
「やはりサフィの見た幻通りになるか。三界の融和により状況が変わったかと淡い期待を抱いたのだがな」
「黄龍様、私は何をすればよろしいのですか?」
「まあ、待っておれ。お主の出番はまだ先じゃ」

 
 リーバルンとスクートは世界の中心亭に取って返した。
「目覚めたのは黒龍のようだ」
 個室にいた人々の間に落胆の空気が流れた。
「トイサル、ホーケンスの人たちを直ちに東に避難させてほしい」
「わかった。この日に備えて訓練してるから混乱はねえ。おい、エクシロン、ルンビア、お前らも手伝えよ」

 
 ホーケンス西側に暮らす人々の大移動が始まった。エクシロンが人々を誘導していると、アダニア、ウシュケー、それに見慣れぬ女性が合流した。
「手伝いに来てくれたのか……って、お前、誰だ……あっ、ニライか。顔を隠してねえからわかんなかったよ」
「さあ、早いところ、やりましょう」

 素顔のニライは、短髪の青い目をした、まだ少女といってもおかしくない女性だった。
 こんな非常時だったがニライは無性に嬉しかった。アダニアもウシュケーもエクシロンもルンビアも今まで通りに接してくれている。ニライはこぼれそうになる笑みを必死になって抑えた。

 
 街の人々の避難が一段落した所で、アダニアはウシュケーに後を託して持ち場を離れた。向かった先はビリヌの家だった。家はホーケンスの中心部より東にあったので避難の必要はなかったが、アダニアには気がかりな事があった。
 ドアをノックしたが返事がなかった。鍵のかかっていないドアを開け、中に入るとビリヌは不在だった。
 やはり今朝の一件で彼女は気分を害したのだろうか――

 

 ――ビリヌの家で朝を迎えたアダニアは異様な気配で目覚めた。急いで仕度をして出かけようとすると、いつの間に起きたのか、ビリヌが扉の所で仁王立ちをしていた。
「ビリヌ、大変な事が起こりそうだ。そこをどいてくれないか」
「いえ、アダニア様を危険な目に遭わせる訳には参りません」
「わがままを言わないでおくれ。サフィ様をお助けしないといけないのだ」
「……あなたはいつでもサフィ様、サフィ様。一体、私とサフィ様のどちらが大事なのですか?」
「……頼むから私を困らせないでおくれ」
「いえ、この際、はっきりさせとうございます。サフィ様に付いて行かれるか、それとも私とこのまま家で過ごすか、どちらかを選んで下さい」
「ビリヌ。こういうのは選べないものなのだよ。約束しよう、帰ったら一緒にいるから――」
「いやです。私がこれほどまでして頼んでも、サフィ様の下に行かれると言うのでしたら、それまでです。私はもうあなたとはお会いしません。さあ、どちらを選ばれますか?」
「……すまぬ」
 アダニアはビリヌを押しのけるようにして家の外に出た――

 

 アダニアは今朝の出来事を思い起こしながら町に戻った。彼女には後で説明しよう、今はホーケンスの被害を最小限に食い止められるよう全力を尽くすのみだ。

 
 風穴島では黄龍たちが黒龍の出現を待った。サフィは少し離れた岩山の陰に身を潜めながら黄龍に言いつけられた用事を思い返した。
「お主は黒龍と三龍が出てきたらすぐに穴に飛び込むんじゃ。そして穴の一番奥に眠るディヴァインを目覚めさせる――おそらくお主にしかできない仕事じゃ」

 
 サフィが考え込んでいると黄龍たちに動きがあった。
「いよいよ出るぞ」
 穴から出てきたのは、全身黒ずくめの、この世界では見た事のない材質の鎧兜に身を包んだ戦士だった。

 戦士は地上に出て口を開いた。
「黄龍はすでに目覚めておったか。ディヴァインはまだのようだな」
「黒龍よ」と黄龍が声をかけた。「それについて頼みがあるんじゃが、ディヴァインが目覚めるまでグリュンカたちをおとなしくさせておく事はできんかのぉ」
「何と……これは笑止千万。ディヴァインがいたからこそ我らはおとなしく従っていたが、ディヴァインがいないとなれば元々破壊のために生まれた龍たち。止める手立てなどあるものか」
「どうしてもだめか」
「だめだな。ディヴァインがいつ目覚めるかはわからんがそれまでは好きにやらせてもらうぞ。この世界の一つや二つは簡単に滅亡させてしまうかもしれんぞ」

 黒龍は高らかに笑い、穴の底からは唸り声と足音が大きくなった。
「どうやら奴らも出てくるようだ。黄龍、黙って見ておるがいい」

 
 一体目の龍が地上に出た。全身に目の付いた濁った赤黒い色の龍だった。
「黒龍、何でえ、黄龍もいるじゃねえか。おれが最後か?」

 すぐに次の龍が地上に出てきた。白っぽい翼龍でまるで風船のようにぶよぶよとしていた。
「ふう、久しぶりの世界ですねえ。おや、皆様、ご機嫌如何かしら」

 最後の龍が現れた。全てサフィの見た幻の通りで三体目の龍は全身が硬そうな装甲で覆われた濃い灰色の龍だった。鼻の部分に反り返った鋭い角が付いていた。
「おれが最後のようだな……ん?」

「ディヴァインがいねえじゃねえか」
 全身に目のついた龍が体中の目をぐりぐり回しながら叫んだ。
「グリュンカ、その通りだ」と黒龍が答えた。

「という事は……」
 風船のような腹をさらに膨らませながら別の龍が言った。
「そうだ、ゾゾ・ン・ジア」と黒龍が答えた。

「やっちまってもいい訳だな」
 全身装甲の龍が一つ身震いをしてから呟いた。
「バトンデーグ、思う存分にな」
 黒龍は答えてから大声で笑った。

 
「お主たち、ちょっと待ってくれんか」
 黄龍が邪龍たちの前に一歩進み出た。その際に物陰に隠れていたサフィに合図をし、サフィは龍が出てきた穴に向かって慎重に歩を進めた。
「何だよ、黄龍」
 グリュンカが返事をした。
「暴れるのは止めてほしいのだ」
「……はあ……何言ってんだ、こいつ。何でてめえの命令を聞かなきゃなんねえんだ」
「黒龍にもさっき頼んだ」
「へっ、黒龍。あんた、黄龍と同じ意見か?」
 ゾゾ・ン・ジアが心配そうに言った。
「馬鹿を言うな。これまでディヴァインがいたから我慢をしてきたが、そのディヴァインがまだ目覚めておらんのだ。この機会を逃してなるものか」
「その通りだ。腕が鳴る」とバトンデーグが言った。

「……そうなると、ここで力づくでも止めにゃあならんな」
 黄龍はちらっとサフィを見た。サフィはもう少しで穴にたどり着きそうだった。
「おいおい、黄龍。馬鹿も休み休み言え。ここで我ら八体の龍が激突すれば、それこそ、こんな世界など一瞬で滅びるわ。言ってる事が支離滅裂だぞ」
「……しかしお主らを止めんとなあ」
「――黄龍、貴様、何か企んどるな」
 黒龍は素早く辺りを見回した。サフィは間一髪、一瞬早く穴に飛び込んだようだった。

「グリュンカ、ゾゾ・ン・ジア、バトンデーグ。もう黄龍に構うな。ここから東に街があるようだ。お前らはそこに向かえ。俺はここで黄龍と遊んでいよう」
 黒龍が命令を出し、三体の龍は嬉しそうな唸り声を上げながら東に向かって移動を開始した。
「くっ……赤龍、青龍、白龍、お前たちもホーケンスに急げ。逃げ遅れた人がいたら助けるのだ。決して戦ってはいかんぞ」
 赤龍たちもグリュンカたちの後を追うようにホーケンスに向けて出発した。
「さて、黄龍。やるか」
「仕方ないのぉ」
 黄龍は黄金の龍に姿を変え、黒龍も漆黒の鱗の恐ろしい龍に姿を変え、互いににらみ合った。

 
 ホーケンスでは誰もいなくなった市街地の西端でリーバルン、レイキール、ネボリンド、トイサル、スクート、エクシロン、ルンビア、アダニア、ウシュケー、ニライがその時を待った。
「サフィは大丈夫でしょうか?」
 スクートが一緒に空を浮かぶルンビアに心配そうに尋ねた。
「うん、黄龍様が『用事がある』って言ってたけど心配だね」
 スクートは空を急ぐ雲を目で追いながら言った。
「あ、あれ、あそこ。来るんじゃないですか?」
「本当だ。空を来るのが一体、海を泳いで来るのが二体。サフィの言った通り、三体の龍だ」
 スクートは急いで地上に降りて報告をした 。

 
 三体の龍はホーケンスの西に上陸した。
「へっへっへ。これが街だな。早く破壊しようぜ」
「そんなに急がなくてもいいでしょう。ディヴァインはまだ目覚めないんですから」
「そうだな。『死者の国』の奥で眠っているのではここでどんなに騒いでも気付くまい」

 
 三体の龍は無人の街を破壊し始めた。
「何だよ、人がいねえじゃねえか」
「大方、避難したんでしょうよ」
「じわじわと追い込んでやればいい。より大きな恐怖を与えてやるんだ」

 
「あ、また来ます。今度は赤龍たちです」
 ルンビアが空中で叫んだ。
 赤龍は地上に降りてリーバルンたちに向かって大声で警告した。
「こんな所にいては危険だ。すぐにあなたたちも避難するんだ」
「しかしホーケンスを守らないと」
 リーバルンの返答に人間の姿の赤龍は首を横に振った。
「無理だ。見つめただけで呪いをかけるグリュンカ、体から疫病の素をばらまく翼竜ゾゾ・ン・ジア、その角で全てを破壊するバトンデーグ、敵うはずがない」
「ではどうすれば?」
「ディヴァインの復活を信じるんだ。今、サフィが呼びに行っている」
「何で兄いが?」
「救世主に与えられた試練――黄龍様がそう言っていた。サフィを信じて待つんだ。私たちは逃げ遅れた人がいないか探しに行く」
 赤龍は空中で青龍、白龍と合流してグリュンカたちを遠巻きにした。

 

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