1.3. Story 6 漂泊

 Chapter 4 龍の目覚め

1 試作機

 ピエニオスの工房は混雑していた。朝一番でエクシロンが『モルゴ雲母』を届けていよいよ材料が揃い、すでに出来上がっていたシップの本体にモルゴ雲母のコーティングをした操縦席の設置が行われた。
 工房に駆け付けたサフィとルンビアの目の前で小型の試作機が工房の外に引き出されてきた。

「ピエニオスさん、これがシップですね」
「ああ、本物はこの何倍もでかいが、基本的な構造は一緒のはずだから、こいつを飛ばしてうまくいけば、まあ、うまくいかないなんて事はねえけどな、でっけえのに取り掛かる」
 サフィとルンビアは実物のシップを色々な方向から見て回った。全長二メートルほどの木製の流線型ボディは黒い金属で補強され、雲母でできた窓が前後左右にはめ込まれていた。
「……すごい。これがあの設計図を形にしたものか」
 サフィが感動しているとピエニオスが笑いながらサフィの肩を叩いた。
「早速、試験飛行だ。サフィ、おめえが乗るんだぜ。ほら、急いだ、急いだ」

 
「いいか、サフィ。おめえのタイミングでいいからな。そもそも『推力』ってもんがどんな力か、どうやりゃ引き出せんのか、作ったおれにもわかってねえんだし、気楽にやれ」
 ピエニオスがシップの外から声をかけた。サフィは軽く手を上げ、機内に乗り込んだ。
「飛馬車で言う御者の役割なのだろうが手綱がある訳でもないし……」

 
 サフィは前の日、まるまる一日かけて『山鳴殿』の書庫にこもった。『推力』に関する文献が存在しないか調べるためだった。
 昼前にスクートがやってきた。スクートは興味無さそうに書庫を一周してからサフィに話しかけた。
「毎日忙しそうだな」
「あ……スクート様。最近顔を出さずに申し訳ありません」
「いいって。リーバルン様がお前を『まるで水を得た魚だ』って言ってたぞ。『魚はまずいでしょ。空に放たれた鳥でしょ』って言い返したら、『サフィはそんな細かい部分にこだわる人間ではないぞ』だってさ。ちょっとずれてるよな」
「ははは、そうですね――そうだ、スクート様。『推力』という言葉、ご存じありませんか?」
「『推力』……知らないな。どんな力なんだい?」
「私にもよくわかっていないのです」
「それじゃ無理だ。君にわからないのにおれにわかるはずがない。もっと適役を呼んでくるよ」
 スクートは書庫を出ていった。

 入れ替わりに書庫に顔を出したのはプトラゲーニョだった。プトラゲーニョは書物に集中するサフィの気を引こうとしてか、わざとらしい咳払いをした。
「あ、プトラゲーニョ様」
「短期間にも関わらず目覚ましい成果を上げているようだな。『風穴島』で龍の話を聞いたと言った時にはどうなるかと思ったが、すぐに西の山賊を配下に収め、『混沌の谷』で『地に潜る者』相手に大立ち回りを演じたそうではないか。その他には何をした?」
「はい。『白花の海』でブッソン様にお会いして、サソーのアダニアという者と知り合いました。『松明洞』でネボリンド王にお会いし、ワジのリーダー、ウシュケーと懇意になりました」
「ほほぉ、一気に名が知られたな。で、聞きたい事があるのではないかな?」
「あ、はい。将軍は『推力』というものをご存知でしょうか?」
「『推力』?聞き慣れぬ言葉だな。それはどういう時に使う力だ?」
「はい。うまく説明できるかわかりませんが、例えば何か重い物を浮遊させ、更にそれを移動させるとでも言いましょうか」
「うーむ、『重力制御』ではないのだな。すまん。思い当るものがないな」

 
「とりあえず精神を集中させよう」
 サフィはシップ内部を見回しながら呼吸を整えた。
「自分の重力を制御するのと同じように、まずはシップの重力を解放すれば浮き上がるのは問題ないはずだ」
 サフィは自分の体とシップが一体になっているイメージを頭に描き、重力を解放しようと試みた。
 シップが静かに浮き上がり、外の騒がしさが一瞬止んだが、すぐに別の騒がしさへと変わった。
「おい、サフィ。すげえな、浮いてるぞ」
 ピエニオスの声が足元の方で聞こえ、シップがぐんぐん空へと上がっていくのがわかった。

「ここまでは予想の範囲。ここからがいよいよ『推力』の出番だ」
 空中に浮かぶシップの中でサフィは改めて機内を見回した。手綱もなく、方向や速さを制御しそうなものもなく、ただの閉鎖された空間だった。唯一、何層ものモルゴ雲母で補強された人一人立てそうな円形の空間だけが不自然に盛り上がっていた。
 サフィはマックスウェルが見せた幻を思い出した。最後の幻はシップの機内だった。あの時、シップはものすごい速さで進んでいた。爆発する《古の世界》がみるみる遠ざかっていったような気がする。
 自分の『推力』があの速さをもたらしたのだとしたら、一体何を行ったのだろう。
 何もしてはいなかった。ただあのモルゴ雲母で円形に補強された場所と同じ場所に立っただけだった。サフィは機内の中心よりやや前方にある円形の場所に足を乗せた。

 体が上下に引っ張られるような感覚があり、それに続いて何かのスイッチが入ったように体の奥が熱くなった。
「……これが『推力』!……」

 
 トイサルは『世界の中心亭』の二階の個室の窓から南の空を見上げた。階下では従業員や客が「変なもんが空に浮かんでるぞ」と大騒ぎをしていた。
「とうとうやりやがったな」
 次の瞬間、シップが音も立てずに前に進んだ。初めはゆっくりとだったが、段々とスピードを上げて、ついには目で追い切れないほどの速さとなり、雲の向こうへと消えた。
「おいおい」
 トイサルが心配して空を見上げているとおよそ一分後にゆっくりとシップが降りてきた。

 
 ピエニオスの工房でもルンビア、エクシロンを始め、全員が呆気に取られたまま空を見つめていた。再びシップの姿が見えた時には一同から安堵の溜息が漏れた。
 シップは工房の前の空き地に無事着地したが、サフィは中から出てこなかった。心配したピエニオスが機内を覗き込むと、サフィは船内の壁に手を着いて立っているのがやっとという有様だった。

 
「おい、サフィ。大丈夫かよ」
「はい。どうにか」
 サフィはエクシロンに肩を借りてようやく地上に降り立った。どうにか気力を奮い起こし、工房にいた全員に笑顔を見せ、ぺこりとお辞儀した。
 皆、我に返り、拍手をする中、ピエニオスが尋ねた。

「あれが『推力』か?」
「……どうやらそのようですね」
「あの中心部の丸っこい部分か?」
「……はい。そこに乗っただけです」
「どこまで行った?」
「空の色が変わりました。どんどん暗くなって――」
 ピエニオスは工房の助手たちにシップの状態を調べるように命令してからサフィの下に戻った。
「何でそんなに疲れてんだ?」
「わかりません。あの円形の部分に乗って進む内に体中の力が奪われて」
「……まあ、何にせよ試験飛行は大成功だ。ゆっくり休めよ」
「……はい」
「最初から満点は取れねえよ。おい、おめえら、シップが無傷なら続けて試験飛行だ。次はエクシロンが乗るからな」
 名指しされたエクシロンは泣き笑いのような顔になった。

 結局、その後エクシロン、ルンビアが飛行して試験飛行初日は終わった。エクシロンはサフィほどのスピードは出せなかったが、地上に降りた時にはやはりぐったりとしていた。
 唯一、ルンビアだけが自由自在にシップを乗りこなした。帰還しても疲労した様子は全く見せなかった。調子に乗り過ぎたのか、シップの一部が焼け焦げたため、その日の試験飛行は終了となった。

 

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