目次
1 ブッソンの助言
サフィはエクシロンを連れて『世界の中心亭』に戻った。
「おい、サフィ。どうした。ならず者なんぞ引き連れて?」
トイサルが尋ねるとエクシロンは不満そうな表情を見せた。
「客に向かってならず者はないだろ」
「どこが客だよ。お前が来る時はいつだってお前んとこの若い奴らの不始末の詫びじゃないか」
「そりゃそうだけどよ、今日は違うんだ。ねえ、サフィの兄いから言ってやってくれよ」
「エクシロン、兄いは止めてくれないか。トイサル、エクシロンは協力を申し出てくれた。で、彼の仲間も大挙して山を降りる事になった。今、ホーケンスの西のはずれで待機してる」
「……厄介事を持ち込んでくれたな。四、五十人なら空いてる一角が街の北にあるからそこに移り住みゃいい。仕事はピエニオスの工房でいいだろ。あそこはいつでも人手不足だし、それにこれから大変になる」
トイサルは従業員を呼びつけ指示を出してから、サフィに向き直った。
「次は何をするんだ?」
「サソーに行くつもりだけど、ピエニオスさんに『ドーズピン石』を渡したいので、『混沌の谷』にも行かないと」
「なあ、兄い」とエクシロンが言った。「おれもサソーに付いて行きたいが、まだ、その何だ、重力制御とやらができねえんで空を飛べない。その代わり混沌の谷に行ってくるよ」
「それは助かるが無茶はしないでくれよ。あの谷は今も緊張状態が続いているそうだ」
「心配ないぜ。ピエニオスが、その何とか石の実物持ってんだろ。ちょっくら借りて早速出発するよ」
エクシロンは足早に立ち去った。
「悪い奴ではないな」
トイサルが言うとサフィは「頼りになる男だよ」と答えた。
「サソーか。気をつけて行けよ」
その夜、サフィとルンビアはサソー居留地のある北東の半島の上空にいた。前が見えないほどの荒れ狂う吹雪が二人に吹き付けた。
「ルンビア、大丈夫か?」
サフィは制服のままで来たのを少し後悔した。
「はい。問題ありません」
「あのぼんやりと見える灯りがサソー居留地だな。さあ、行こう」
サフィとルンビアがさらに半島の突端に向かって飛んでいくと、突然声が聞こえた。
「サフィとルンビアだな。サソーに入るのならば、しばし待て」
「誰ですか?私の心に話しかけているのですか?」
「いやいや、わしならお前さんの下におるわ」
サフィは懸命に目をこらしたが、眼下には荒れる海と黒い陸地が見えるだけだった。
「島しか見えませんが」
「そこまで来るがよい」
サフィたち沖合の小島に降り立った。
「わしはブッソン。お前さんたちの来るのを待っておった」
声はサフィたちの足元から聞こえた。
「ブッソン様……とすると、この島は」
「わしの体の一部じゃ」
「驚きです。あ、失礼しました。私は――」
「知っておる。サフィ、そしてルンビア。わしはルンビアの大叔父に当たるかな」
「あ、あなたがぼくの母さんの?」
ルンビアが疑わしげな声を出した。
「お前さんの母、ナラシャナはわしの姪のようなもの、まあ、姿かたちは全然違うが――ところでお前さんたち、サソーに行くつもりだったんじゃろ?」
「はい。協力を求め、この設計図を渡すつもりです」
サフィは風に飛ばされないように設計図をしっかりと握りしめながら、ブッソンの上でひらひらさせた。
「なら正面から訪ねても無駄じゃ」
「何故ですか?」
「サソーのリーダー、トスタイはヤッカームにこびへつらうだけの小者。お前さんのお眼鏡にかないはしないわ」
「しかしサソーの人々を救わないと」
「別の人間に相談するがよい。その名はアダニア」
「どうすればアダニア様に会えますか?」
「アダニアは深夜に岬の突端で祈りを捧げるのが習慣となっておる。その時に話しかければ良かろう」
「貴重な情報をありがとうございます。深夜まで待つ事に致します」
「それまでは間がある。お前さんたち、水の中でも平気ならわしの下まで来んか。水中の方が暖かいしのお」
「は、はい」
「そこで手足を踏ん張っておれ。いくぞ」
ブッソンの一部である島が沈み出し、サフィもルンビアもあっという間に海の中へと引きずり込まれた。
「よう来たな」
声はさっきよりも近くに聞こえたがその姿の全体は掴めなかった。
「ここがブッソン様の屋敷ですね」
「そうじゃ。お前さんたち、そこにある小さな建物の中に入ってみるがいい」
サフィとルンビアは言われるままに海の底に建つ小さなお堂のような建物に入っていった。
「ここは?」
「見ての通りのお堂じゃ。ナラシャナの乳母をしておったポワンスという女性がナラシャナの死を悲しんで建てたのじゃ。だがポワンスも亡くなり、今ではわしがお参りをするだけ……そこかしこに服や装飾品が飾ってある。それらは全てナラシャナの遺品じゃ」
「……母さん」
サフィとルンビアはナラシャナの魂に祈りを捧げた。
「のお、ルンビア、せっかく母の下に来たんじゃ。思い出となる品を一つ持っていくがよい。ナラシャナも喜ぶ」
ルンビアはじっくりと時間をかけて、遺品を見て回った。一つ一つの品から、一緒に暮らす事が叶わなかった母の声と姿が蘇ってくるような気がした。
ルンビアは一つの品の前で足を止めた。
「これは?」
「それか。それはナラシャナがお前さんを産んだ後、幽閉されていた時に造った『慈母像』と言う黄金像じゃ」
二十センチほどの黄金像は、空に向かって手を伸ばす赤子と、空から優しく手を差し伸べる母親の姿を模った彫像だった。母親の表情は優しく、慈愛に満ちていた。
「これにします」
「うむ、それが一番かもしれん」
「ブッソン様、ありがとうございます」
ルンビアは『慈母像』を大事そうに腰の袋にしまい込んだ。
「何の。お前さんたちの親に対して何もできなかった事の償いはこれくらいでは晴れはせん」
ブッソンはそう言いながら、あの運命の日、ヤッカームが訪れた時の事を回想した――
【ブッソンの回想:尽きせぬ後悔】
――ブッソン殿、水に棲む者存亡の危機にございますぞ」
「その手には乗らん。また良からぬ企みであろう」
ヤッカームはナラシャナの一件を話した。
「……わしとした事がうかつだった。だがそれのどこが存亡の危機だ。むしろ三界融和に向けての吉兆ではないか」
「果たしてそうでしょうかな。レイキール様始めとする強硬派にそんな主張が通りますか」
「むぅ、それもそうだ。どれ、わしが内密に誰かを迎えに行かせよう」
「そんな事をされては困ると言ったら?」
「悪党の考えには付き合いきれん。わしを止めたければ以前の続きで一戦交えるか?」
「ブッソン殿」
ヤッカームの声の調子が変った。普段以上に人を不安にさせる響きがあった。
「自然界の生命の頂点にある生物の子供の数は弱い者に比べて極端に少ないと聞きます。それは天敵がいないため。多くの子が生存すればそれだけで自然界のバランスが崩れてしまいます。ブッソン殿であれば、さしずめお子は一人あるかどうかでしょうな」
「……ヤッカーム、何が言いたい?」
「ここよりはるか北の氷に囲まれた海。そこで無邪気に育つビリンディ様はまだ赤子のようですな。甲殻類のゾエアやメガローパ幼体のように骨すら透けて見えるほどの脆弱な存在ですから、成長するにはまだ数千、いや、数万昼夜が必要かと判断致します」
「貴様、何故それを」
「レイキール様はおろかワンクラール王ですら知らない事実。ですが私は存じております。ようやく生まれたお世継ぎ。これを失うなどとは考えたくもないでしょう」
「……ビリンディに手をかけようというのか」
「申し上げましたように私は不死身。ブッソン殿との戦いに敗れてもビリンディ様にお会いするチャンスは何度でも訪れます」
「貴様」
「至って平和的な提案だと思いますが。ここはブッソン殿が事態を静観して下さりさえすれば丸く収まります」
「ナラシャナを見捨てよと言うのか」
「レイキール様とリーバルンが友好的な関係を築いては困るのです」
「――残念だったな、ヤッカーム。貴様の筋書き通りにはいかん。わしは貴様を倒したそのすぐ後でビリンディをどこか安全な場所に瞬間移動させる」
「ほぉ」
「いくぞ。不死身とはいえ粉々になれば復活までに時間がかかるはず。復活した時には貴様の望まぬ世界のありようになっているわ――
「ブッソン様」
サフィが母親の思いに触れているルンビアをちらっと見てから声をかけた。
「……ん、何じゃ?」
「すみません。考え事をされていましたか」
「いや、構わん――のぉ、サフィ。親というものはいつでも子の事を気にかけている。世界と我が子、どちらかを選べと言われたなら、わしは子を選ぶ。こんな体たらくだから世界が平和にならんのかもしれんな」
「……当然ではないでしょうか。私の両親も死ぬまで私を第一に考えてくれました」
「サフィ、お前は偉いな。ところで質問があったのではないか」
「あなたはこの世界の良心だと常々お伺いしております。『水に棲む者』の救済を託してよろしいでしょうか?」
サフィが思い切って尋ねると意外な答えが返ってきた。
「だめじゃ。水に棲む者の王はレイキール。頼み事ならレイキールにするのじゃな」
「この世界は間もなく滅びます。そうなる前にどうにかしないと」
「ほお、やはりお前さんにはわかっておったか。さすがに救世主と呼ばれるだけはあるわい」
「レイキール様が私やルンビアの話に耳を傾けてくれますでしょうか?」
「それをするのが救世主の役目」
「交渉が決裂したなら――」
「その時はその時じゃ。まあ、レイキールも娘の珊瑚が生まれてから多少は他人の話を聞くようにはなった」
「それにしてもブッソン様を乗せるシップとなれば、今から作り始めても間に合うかどうか」
「何じゃ。お前さん、わしを心配しておったのか。わしなら心配要らん。瞬時に空間を移動する能力がある」
「それを聞いて安心しました」
「お前さんは優しいな。さあ、そろそろアダニアの祈りの時間じゃ。海の上に戻るぞ」