目次
1 葬送
「ナラシャナ死す」の一報はその日のうちに山鳴殿にもたらされた。午後になり、プトラゲーニョがミサゴにやってきて、プントとサフィから事情を聴いた。
「――わかった。わしはこれからレイキール王の下に向かう。ところでリーバルンはどうした?」
「それが――ナラシャナ様のお亡骸を抱えたまま、どこかに飛び立たれました」
「仕方のない奴だ。まあ、すぐに戻って来るだろう――プント、サフィ。ご苦労だったな。又、お前たちに世話になった」
プトラゲーニョは深く頭を垂れた。
「将軍、頭をお上げ下さい。わしらは人として当然の事をしたまでですじゃ」
プントが言う横でサフィは俯いたままだった。
「サフィ、一つ頼まれてはくれんか?」
プトラゲーニョが静かな声で言った。
「あ、はい。何でしょうか」
「ホーケンスにいるトイサルの下に行ってはもらえぬか。よろしく頼む」
プトラゲーニョはまたしても頭を垂れた。
「わかりました」
サフィはその場を離れた。
「サフィは元気がないようだな」
サフィが去るのを見送ったプトラゲーニョがプントに言った。
「まだ子供ですからな。己の無力さに落ち込んでおります」
「あと二千昼夜近くかかるのか。今すぐにでも出仕してほしいくらいだ」
「ルンビアの世話もありますし……」
「一方的にこちらの都合を振りかざす訳にはいかんか――では行ってくるか。気が進まんな」
リーバルンはナラシャナの亡骸を抱いたまま、『清廉の泉』の上空にいた。
「ナラシャナ、見えるかい。私たちが初めて出会った場所だよ……あの時にはこんな事になるとは思ってもいなかった。それも全て私が至らなかったせいだ。ナラシャナ、私は全てを道連れにして君の下に行こう。待ってておくれよ」
サフィは『世界の中心亭』の個室でトイサルに会った。
「……そういう事か。気の毒だな」
トイサルは立ち上がって、一枚の紙をつぶさないようにそっと親指と人差し指でつまみ、サフィに手渡した。
「読んでみろ」
紙にはナラシャナのものと思われる筆跡の走り書きで、トイサルへの礼が書かれていた。
親愛なるトイサルへ 今、ホーケンスに来ています。 私はこれから新しい人生を歩む事を決めました。 水に棲む者の王女ではなく、一人の女性として、母としてルンビアを育てていこうと思います。 トイサルには色々とお世話になりました。 落ち着いたら、ルンビアを連れて食事に行きますから、サービスして下さいね。 ナラシャナ
「こんなの、悲しすぎます」
「最後に三人で幸せな生活を送れたんだろ?」
「……」
「良かったじゃないか。あのまんまだったら二度と会うのだって叶わなかったんだ。そう考えようぜ」
「はい」
「サフィ、店は休みだ。葬儀はミサゴでやるんだろ。おれも行く」
プトラゲーニョは王宮の近くに浮かぶ小島で待たされた。しばらくするとレイキールがムルリを連れて海上に現れた。
「プトラゲーニョ将軍。本日は何のご用ですか?」
「今朝、ナラシャナ様がお亡くなりになりました。場所はミサゴです」
「……姉上が」と言って、レイキールは辛そうに顔を歪めた。「数日前より姿が見えないと騒ぎになり、そちらに身を寄せていると予想はしていたが」
「ご本人自らの足でここからミサゴまで歩かれたようです」
「……そうまでして」
「王宮で何事かありましたかな?」
「将軍、ここから先は私の独り言だ――私が王に即位したのと同時に、姉上とヤッカームの婚姻の準備も進められていた。姉上はよほどそれが嫌だったのだろう」
「……葬儀ですが」
「ミサゴで執り行うがいい。姉上にとっては思い出深い場所だ」
「ご参列頂けすか?」
「もちろんだ」
ミサゴの共同墓地でナラシャナの葬儀が執り行われた。ナラシャナの遺体は生前の花のような美しさのままだった。棺はミサゴの子供たちが裏山で摘んだ色取り取りの野の花々で埋め尽くされた。
棺の周りにはリーバルン、プトラゲーニョ、スクート、プント、ルンビアの手を引いたサフィが立っていた。
そこにずしん、ずしんと音を立てて、巨体のトイサルが山を登ってきた。
「ホーケンスの外に出るなんて何年ぶりだろう。足が痛えや」
トイサルはその場の雰囲気に気付いて、慌てて頭を下げた。
続いて正装したレイキールがムルリともう一人泣き腫らした女性を連れて現れた。レイキールは一座の人間に軽く頭を下げてから、最後にルンビアをちらっと見た。
葬儀が一通り終わり、プトラゲーニョがレイキールに言った。
「レイキール王よ。本当にミサゴに埋葬するので良いのかな?」
「うむ、その方が姉上も喜ばれる。ここで亡くなったのは『水に棲む者』の王女ではなく、ナラシャナという一人の女性だ」
「ご配慮、感謝申し上げますぞ――では最後のお別れを」
初めにレイキールがナラシャナの棺に土をかけた。
「姉上。安らかにお眠り下さい」
続いてムルリが土をかけ、泣き続ける女性に「ポワンス、お前の番だ」と言ってスコップを渡した。
「……お嬢様。辛かったでしょうねえ。ブッソン様もとても悲しまれておりました。でももう苦しまないでいいんですよ」
ポワンスは土をかけ終えると再びその場で泣き崩れ、スクートがその体を支えた。
次に『空を翔る者』が最後の別れをした。リーバルンは俯いたままで何かをぶつぶつと呟いていた。プトラゲーニョとスクートが別れを済ませ、リーバルンを両脇から支えるようにして一歩下がった。
トイサルがリーバルンを心配そうに見ながら、棺の前に立った。
「ナラシャナ、いつか皆が幸せに暮らせる日が来るように祈っててくれよ」
最後にプントとサフィが棺に近づいた。ルンビアの手を引いたサフィがレイキールをちらっと見たが、レイキールは視線をはずし、空を見上げていた。
「――さあ、ルンビア。お別れをするんだよ」
サフィはルンビアの頭を撫でた。
「はい。ナラシャナ、もっとあそびたかったよ……また、おきたら、あそぼうね」
サフィの肩が小刻みに震えた。ポワンスはスクートに体を預けたまま、号泣していた。
列席者全員が最後のお別れをし、ナラシャナの棺はすっかり土に覆われた。
そんな中、あらぬ方向を見ながらぶつぶつ言葉を呟き続けるリーバルンの姿に気付いたレイキールが大声で叫んだ。
「リーバルン殿、貴殿には失望したぞ。姉上も貴殿のような男を愛して、さぞや後悔しているでしょうな」
「おい、止せよ」
プトラゲーニョが反論する前にトイサルが口を開いた。
「こいつが一番辛いんだ。あんたも王ならそのへんの所、酌んでやれよ」
「……帰らせてもらうぞ。喪に服す期間が開ければ、斯様な生ぬるい関係ではなくなるのは必定、くれぐれも肝に命じられるがよい」
レイキールはムルリとまだ泣いているポワンスを連れて去っていった。
「ちっ、三界の融和どころじゃなくなっちまったな」
トイサルは愛用の葉巻に火を付け、吐き捨てるように呟いた。
「じゃあ、おれも帰るわ」
「わしらも行くとするか。プント、サフィ、ご苦労だったな」
プトラゲーニョが言い、スクートがリーバルンを支えるようにして飛び立った。