1.2. Story 3 再生の時

 Story 4 絶望の翼

1 魂の解放

 ナラシャナが王宮に戻ってから五百以上の昼と夜が過ぎた。幽閉の状態は変わらず、ブッソンの離宮でポワンスと過ごす日々が続いた。
 ナラシャナは最愛の我が子と会えない長期の幽閉生活により生きる気力を失くしつつあった。食事をあまり取らず、睡眠時間も少なかったせいで、元々白かった肌の色は血管が透けるほど薄くなり、骨が浮き出るほどに痩せた。
 ポワンスは少しでもナラシャナの気を紛らわそうと様々な娯楽の材料を用意した。ナラシャナは言われるままに詩を作り、絵を描き、彫像を造った。そのいずれもが母と子をモチーフにしたものだったので、それがポワンスの涙を誘った。

 
「お嬢様、又、お眠りにならなかったのですか?」
 ある朝、いつものように生気を感じさせないナラシャナの顔を見てポワンスが心配そうに尋ねた。
「ええ、一睡もしなかったの。でも眠れなかったからじゃなくて、あれを造っていたからよ」
 ナラシャナが指差す先のテーブルの上には高さ十センチくらいの黄金の像が乗っていた。ポワンスは許可を得てその像を手に取った。
「まあ、これは素敵」
 手にした像には、赤ん坊が手を伸ばし、布のようなものを片手に掴んで、上を見上げている姿が彫られていた。布の先には空から赤ん坊を優しく見下ろす女性の姿があった。
「うふふ、素敵でしょ。『慈母像』という名前にしたの」
「……お嬢様」
「泣かないで。とてもいい気分転換になったのよ。あなたがいなければ、私はもう今頃は――」
「お可哀そうなお嬢様。そんな事を言ってはいけません。いつか、リーバルン様に、そしてルンビア様に再会できる日が来ますから、それまではお気を強くお持ち下さい」
「ポワンス、ありがとう」

 
 そんなナラシャナの淡い希望を打ち砕く出来事が起こった。
 その日、王宮は「ワンクラール王崩御」の知らせに浮足立った。離宮にいたナラシャナにもその知らせは届いた。
「ああ、お父様。何一つ親孝行できなくてごめんなさい」
「お嬢様、こんな時こそ気を強くお持ち下さい。ここに喪の用意がございますので」
「……そうね。王女としてしっかりしないと。葬儀にはあの方もいらっしゃるのかしら?」
「……ヤッカームがミサゴで暴れた一件がありますから、来られるかどうか」
「あら、それは何の事?」
「いえ、何でもございません――さあ、お嬢様。早くお着替えにならないと」

 
 ナラシャナは葬儀に参列した。命の恩人のプトラゲーニョの姿を見かけ、軽く会釈だけを交わしたが、リーバルンの姿を発見する事はできなかった。
 葬儀の最後にはレイキールが王に即位する事が発表された。

 
 葬儀が終わり、ナラシャナは亡き父の部屋を整理するため久しぶりに王宮の中を歩いたが、廊下の途中の部屋から聞こえる話し声に思わず足を止めた。はしたないとは承知していたが「ルンビア」という言葉が聞こえたような気がしたからだった。
 一人は独特の声質から判断してヤッカームのようだった。もう一人は聞いた事のない声だった。

「――ヤッカーム様、本当にうまくいきますかな?」
「心配するな、ギラゴー。レイキールには事故か病気で死んでもらう。そうなれば私とルンビアの争いになるが、ルンビアにもすぐに死んでもらう」
「とんでもない悪人ですな。そのためだけに五百日前にわざわざミサゴに出向いて難癖をつけ、ルンビアの育ての親を二人とも亡き者にしたという訳ですか?」
「難癖と言うな。政治的決着だ。だが思わぬ発見もあった。サフィとかいう少年、今は二千五百日を越えているはずだが、あれも早めに芽を摘んでおいた方がよい。将来の脅威だ」
「調べた所、ルンビアはサフィと二人で暮らしているはずですな。あの時の脅しが効いたせいでリーバルンはルンビアを引き取れないのでしょうが――二人仲良く消えてもらいますか?」
「うむ……忙しくなるが今、最優先で行うべきはローミエをせっついて、私とナラシャナの婚姻を執り行う事だ。すべてはそこから――」

 
 ナラシャナは最後まで聞いている事ができなかった。その場で倒れ込みそうになるのを必死で堪え、走り出した。
 どこをどう走ったのか覚えていなかったが、気が付けば王宮の外にいた。
(何という事かしら。ニザラとコニが処断されたなんて。ポワンスが言いかけた『ヤッカームがミサゴで暴れた一件』とはこれだったのね)
 ナラシャナはぽろぽろと涙を流して泣いた。気分が落ち着くと、その表情は決意に満ちていた。
(こうしてはいられないわ。ルンビアを守るのは母親である私。そして恩人の忘れ形見であり、恩人でもあるサフィを守らなければ)
 ナラシャナは喪服姿のまま、陸上に上がった。

 
 王宮ではヤッカームとギラゴーが意味ありげに笑っていた。
「ナラシャナはちゃんと聞いていただろうな」
「はい。間違いなく。『ルンビア』という言葉には過剰反応するでしょう――しかしヤッカーム様。本当によろしいのですか?」
「構わん。あんな女に用はない。レイキールもルンビアもナラシャナもローミエも全員、亡き者にすると決めたのだ。ブッソンとて不意をつけばどうにかなる」
「ナラシャナはミサゴに向かうはずですから、ホーケンスの西に私の配下の者を待機させます。もっともホーケンスを無事に越えても、その先の山でイワトビオオカミに襲われて一巻の終わりですがね」
「リーバルンが助けに来る可能性はないか?」
「大丈夫なはずです。あいつは『風穴島』の調査に行ったきりですから」

 

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