1.1. Story 5 ルンビアの誕生

 Chapter 2 暗転

1 ミサゴ

 プトラゲーニョはナラシャナを抱きかかえたまま、プントの家に向かった。
「プント、久しぶりだな」
「……これは、将軍。珍しいですな。おや、その娘さんは?」
「うむ、この娘、しばらくここで介抱してやってほしいのだが」
「命令とあらば」
「信頼の置ける者はいるか?」
「リーバルン王子が長期で出かけられており、ニザラとコニがおりますが」
「おお、うってつけだ。早速、呼んでくれんか――いや、わしが運ぼう。ニザラの家に案内してくれ」

 ニザラの家ではニザラ、コニ、そして息子のサフィが在宅中だった。
 プントが口を開いた。
「ニザラ、寛ぎの所をすまんが、将軍の命令じゃ。この娘さんを預かってはもらえぬか?」
「は、はい。承知しました。コニ、急いで集会所から来賓用の最上の布団を持ってきてくれ」
 コニとサフィはすぐに出ていき、ミサゴには不釣り合いなふかふかの布団を一式手にして戻り、家の客間に敷いた。
 プトラゲーニャがゆっくりとナラシャナを布団に寝かし付けると再びプントが尋ねた。
「将軍、この娘さんは……かなり、高貴な家柄のようですが」
「……わしは知らん。倒れておったので助けたまでだ」
「ほお――」

 プトラゲーニョとプントの会話は、サフィの「あっ」という声に遮られた。
「どうした、サフィ」
 プントはナラシャナの様子を見ていたサフィが青ざめた顔をしているのに気付いた。
「は、はい。この方、赤ちゃんがお腹の中にいます」
 プトラゲーニョは疑わしげな表情をした。
「いい加減な事を言うものではないぞ」
 ニザラとコニが慌てて口を塞ごうとしたが、サフィはそれを振り払った。
「本当です。もうすぐ赤ちゃんが生まれます」
「何だと?」
 プトラゲーニョが少し憤慨したような表情を浮かべるのを見て、プントが説明した。
「将軍、この子、サフィはまだ七千五百昼夜の式典も終えておりませんが、神童と呼ばれております。医術の本も片っ端から読みあさっておりますので、間違いはありません」
「……神童サフィか。聞いた事があるな――サフィ、それは真実だな?嘘であればお前の首が飛ぶぞ」
「嘘はついていません。赤ちゃんを取り上げないと、この方が危険です」
「わかった。では後は女性に任せよう。コニ、立派な子を取り上げてくれよ。我々男性はプントの家で待機だ。サフィ、お前は母を手伝え」

 
 男性たちが移動してからしばらくして、サフィが息を切らしてプントの家に走り込んできた。
「生まれました。男の子です」
「でかした!」
 プトラゲーニョは興奮して立ち上がったが、すぐに我に返り腰を下ろした。
「……サフィ、お前の機転で母子共に救われた。あのまま倒れておったらと思うと寒気がするわい」

 プトラゲーニョたちは再びニザラの家に入った。中ではコニが白い布に包まれた赤ん坊を抱いていた。
「コニ、ご苦労であった。母親の容態は?」
「はい。先ほどまでは意識があったのですが、今はまた眠られております」
「意識が戻った時に、何か言っておったか?」
「はい。『ごめんなさい』と言われておりました」
「わかった。わしはしばらくここにいる。何かあったら呼んでくれ――おお、そうだ。その子を見せてはくれんか?」

 プトラゲーニョはコニから赤ん坊を受け取り、さりげなく背中の感触を確かめた。そこには疑う事なく、将来生えてくるであろう翼骨があった。
(やはり、この子は『空を翔る者』)
「……英雄に抱かれれば、その子は勇ましく育つと言う。ははは」
 プトラゲーニョは自分で聞いて恥ずかしくなるような冗談を言った後、一人で家の外に出た。
(リーバルン、今頃は『未開の森』か。一旦、呼び戻した方が良さそうだな)

 
 男たちはプントの家に戻り、コニとサフィがナラシャナと赤ん坊の面倒を見た。
「サフィ、ちょっとこの子の様子を見ていてくれないかい。ばたばたしていて将軍にお茶をお出しするのも忘れていたわ」
 コニはお茶の道具を持って慌ただしくプントの家に行った。サフィは普段からミサゴの子供たちの子守をしているので、手慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げた。
「うらやましいな。英雄に抱っこされて、お前は何て幸せ者なんだ――」
「――あの」
 サフィはナラシャナが目を覚ましたのに気付いて黙り込んだ。

 
「……あの、ここはどこでしょうか?」
 ナラシャナが弱々しい声で尋ねた。
「ここはミサゴ居留地です」
「そうですか」と言ったナラシャナはサフィの腕に抱かれた赤ん坊に気が付いた。「……ああ、良かった。無事に生まれてきてくれたんですね」
「はい、男の子です」
 サフィはそう言って、赤ん坊をナラシャナに近づけた。
「……私が母さんですよ……皆さんにはご迷惑をおかけしたのでしょうね」
「いえ、そんなことはありません」
 サフィは寝息を立てる赤ん坊をナラシャナの隣に寝かし付けた。
「あなた……もしかすると、サフィというお名前じゃなくて?」
「えっ、どうしてわかるんですか?」
「この子の父親がいつもあなたの話をするの。だから初対面とは思えなくて」
 ナラシャナにようやく笑顔が戻った。
「……もしかすると、この子の父さんは……?」
「驚きました?」
「いえ――こうしてはいられません。急いでお知らせしてこちらに来ていただかないと」
「……お忙しいらしいから無理は言えない。せめてトイサルさんにでも言伝ができれば」
「えっ、『世界の中心亭』のトイサルさんですか?」
「ご存じなの?」
「はい。一度、リーバルン様に……あっ、すみません」
「いいのよ。別に隠す訳ではないから」
「今からホーケンスまで行ってきます」
「……無理だわ。ここからはずいぶんと距離がある。もう夜みたいですし、どんな危険があるかわからないわ」
「でも。リーバルン様に早くお会いしたくないですか?」
「……ありがとう。その気持ちだけで十分よ」

 コニがお茶を入れ終わって家に戻った。プントの家で何かを話し合ったのだろうか、険しい表情をしていたが、ナラシャナが目を覚ましたのを見て表情が明るくなった。
「あら、目が覚めたのね。お食事の準備をしますからね」
「……ありがとう。私を助けて下さった方にお会いしたいわ」
「今はゆっくりお休み下さい。お乳の出が良くなるように栄養をつけないと……お口に合うかわかりませんけど」
「そうね。ものすごく疲れているわ」
「それはそうです。お隣ですやすや眠ってらっしゃる立派な赤ちゃんをお生みになったんですから」
 ナラシャナは傍らの赤ん坊を見て、微笑み、静かに目を閉じた。

 

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