目次
1 ニナ
ニナはオフィスの外に出た。
市長はすっかり用心深くなり、ほとんどの公式行事をキャンセルして、アドミ・エリアの市庁舎に籠ったままだった。数日後に連邦議長の表敬訪問があるというのにどうするつもりなのだろうか。
大丈夫……一体何が大丈夫なの?――連邦が私と同じ考えである保証などどこにもなかった。最悪の場合、クアレスマは連邦と結託し、その地位をますます磐石のものにするかもしれなかった。
でも私はアミューズ・エリアで出会ったリン文月に賭けてみる。彼はこれまでもいくつもの奇跡を起こしてきた。この都に現れたのも私を助けるため。
出会う数日前に見た夢、マザーという女性が現れて、リンを信じろと語った。マザーとはあのマザー・アバーグロンビーだろう。あの夢を信じてみたかった。
パパ、ママ。きっと上手くいくわよね――ニナはレジデンス・エリアの自宅に向かった。大通りから一本はずれた通りにある自宅のドアを開錠しようとした時、背後から声をかけられた。
「ここならゆっくり話を聞ける」
ニナは慌てて振り返った。待ち焦がれたその人が立っていた。
「……リン、文月?……とにかく家の中へ」
「ジャンクに行かなきゃだし、そんなに時間はないんだ」
ニナはリンを家に招き入れ、すぐに話し出した。
「コメッティーノ議長が来られるみたいだけど目的は?」
「都の表敬訪問というのは表向きで、本当はクアレスマの打倒」
「……市長の秘書である私にそれを伝えるなんてどういうつもり?」
「ううん、君は味方だよ。そうじゃなきゃアミューズで僕らを逃がしてくれなかった」
「銀河の英雄はとんだお人よしね。いいわ、理由を話すから」
「父の名はオーロイ・コンスタンツェ。母はセクル、またの名をエリザベート・フォルスト。聞いた事あるかしら。《巨大な星》、アンフィテアトルの『サロンの華』と呼ばれた舞台女優だったの」
「……」
「知らなければいいわ。母は《賢者の星》の生まれなの。そう、あなたが浮かばれぬ魂を解放した星よ。母は《巨大な星》に出て花形女優になり、舞台演出家だった父と結婚し、私が生まれたの。母はいつも故郷を気にかけていた。故郷の星でハルナータ王の弟アスタータ公と実力者ボイセコ卿が不毛な争いを続けていたから。でも母の願いも虚しく星は滅びたわ。母は浮かばれない魂を救うために《祈りの星》への巡礼に父と幼かった私を連れて参加したのよ」
「《祈りの星》?」
「聖ウシュケーが興したバルジ教の総本山がある星。あなたの星からもここからもそんなに遠くないけれど、銀河の下半分、つまり連邦の管轄外にあるの。知らないと思うけれど連邦や帝国に属さない星に行くのはものすごく危険なの。海賊や盗賊が虎視眈々と獲物を狙っている状態なのよ。でもその危険を冒してもバルジ教の本山に詣でるのは母にとって大切な事だった」
「それでお父さんとお母さんは?」
「殺されたわ。海賊団に。海賊団の船長の名はクアレスマ、副船長はニッカス」
「え……」
「父母含めてほとんどの乗客は殺されたわ。でも巡礼団のシップの乗組員のホットマンという人が命がけで幼かった私を守ってくれた。それ以来、私はホットマンの娘としてダレンで育ったの。何となく恐ろしかった記憶だけは残っていたけど、そんな事件に巻き込まれていたとは思いもしなかった」
「……君はクアレスマの秘書を」
「ええ、私は連邦大学を首席で卒業してクアレスマに近付いた。でも私一人の力ではどうしても復讐が果たせないのがわかったから、銀河の英雄、母の故郷を解放した男、リンが来るのを待ってたの」
「ちょっと待ってよ。海賊だった人間がどうして市長になんかなれたの?」
「帝国が台頭し、王国が設立され、いよいよ世間が乱れて《祈りの星》への巡礼団も数えるほどになり、クアレスマの海賊団も立ち行かなくなったのね。それで海賊稼業から足を洗おうと考えた最後の餌食が両親の搭乗したシップだったの。クアレスマはその時の戦利品を部下たちと山分けし、連邦の手の届かない場所、《古城の星》でほとぼりが冷めるのを待ったの」
「銀河は広いから逃げ込む気になればどうにでもなるんだね」
「そう、世界は広いわ。でも悪事を重ねた人間が改心する事もなしにまっとうな人生を歩めるなんて間違ってる」
「その通りだよ」
「あの男は堅気になったのはいいけど教養がある訳じゃないし、金もすぐに使い果たして、ニッカスと一緒に《エテルの都》の建設作業員として従事したらしいの。奴らは最上層のコントロールの担当だったようなんだけど、そこでエテル本人と何かあったみたい」
「……まさかエテルを殺した?」
「ううん、そうではないはずだけど、きっとそれに近い重要な何か」
「エテルは生死不明なんでしょ?」
「ええ。死んだという人もいれば、生きているという人もいるわ――ねえ、リン。お願いがあるんだけど」
「何?」
「あなたたちはファームの解放に向かうんでしょ。そこにエテルの使用人だったバンバっていう巨人がいるはずなの。バンバに会ったらエテルの安否を尋ねてほしいのよ」
「お安いご用だよ――ところでニナはこれからどうするの?」
「コメッティーノ議長が来るまではクアレスマの近くにいるわ。あの卑怯者が逃げ出さないように見張っていないと」
「危険じゃないかな?」
「心配してくれてるの?ありがとう。でも大丈夫よ。パパとママが守ってくれるから」
「わかった……じゃあ行くよ。最後に一つだけ聞きたいんだけど」
「どうしてあなたを待っていたかっていう事かしら。それは……後で言うわ」