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20XX.7.7 人探し
一昨日から中野でシゲさん探しを始めた。
ここ二日ばかりは、朝起きて『クロニクル』を読み、昼過ぎに中野に出てシゲさんの消息を尋ね歩くという規則正しい生活を送った。
今夜からは美夜が新宿で捜索を始めるので、そっちにも同行する事にした。美夜は大丈夫だと言ったが、やはり夜の繁華街に一人で行かせたくはなかった。
昔の新宿はずいぶん殺伐とした雰囲気だったが、世界中のギャングがのさばるその町をたった一人の男が建て直したんだ、ってじいちゃんが言ってた。名前は美木だか何とか言う伝説の男らしかった。
肝心のシゲさん探しの成果は芳しいものではなかった。どこから手をつけていいかわからないくらい中野は広かったが、おそらく新宿に直通で行ける中央線沿線か西武新宿線沿線、あるいは地下鉄沿線じゃないかと踏んで、最初の二日で中野と東中野を、そして今日は新井薬師から沼袋までを歩き回った。
どうも西武線沿線ではないような気がした。地下鉄の中野坂上や中野新橋にはまだ行っていなかったがこれも違うと思った。やっぱりシゲさんは中野に住んでいたんだろう。西武線や地下鉄沿線の住宅街にシゲさんがいたならばきっと目立つから皆が覚えてるはずだが、中野の繁華街や木造アパートであればシゲさんはすっかり景色に溶け込んでしまう。それで誰も覚えてないんだ。
地下鉄の東新宿駅のそばのファーストフード店で待っていると美夜がやってきた。
「本当に一人で大丈夫なのに」と言って、美夜は自分の鞄を椅子にどさっと置き、ぼくの前の席に腰掛け、ぼくのアイスコーヒーを勝手に飲み出した。
「うわ、甘い。ガムシロップ何個入れてるの」
で、どうやって探すのと尋ねると、美夜はふふんと鼻を鳴らした。
「正攻法よ。シゲさんは花園神社近くでジャズ喫茶をやってたんでしょ。そこに行ってみるしかないじゃない?」
花園神社の周囲の飲食店をしらみつぶしに当たったが目ぼしい成果はなかった。
「今日はもうお終いにしようか。明日も仕事があるし」
美夜はそう言って歩きかけたが、突然に足を止めた。
「ねえ、ジウラン。この三日間、何も気がつかなかった?」
突然何を言い出したのかわからずに黙っていると、美夜はぼくの耳元で囁いた。
「監視されてるわ――素人じゃなさそうだからジウランにはわからないか」
美夜はきょとんとするぼくの腕を取ってずんずんと歩き出し、人通りのない暗い通りのビルの裏手で立ち止まった。
「何か用なの?こそこそつけ回して」
暗闇から一人のスーツ姿の男が姿を現した。ごく普通のグレーのスーツを着たごく普通のサラリーマン風の三十代後半から四十代前半くらいの男だった。
「さすがは神代さんだ。もっとも私もあなたに見つけてもらうように動きました」
男の声や顔の表情からは敵か味方か、何を考えているのかさえ読みとれなかった。美夜も得体の知れないこの男に少し緊張しているようだった。
「用件を言いなさいよ」
「わかりました。あなた方の探している男の情報を差し上げようと思いまして――」
「ちょっと。何でそんな事を?」
「頭を働かせればすぐにわかります。そこのジウラン君が昼間、中野を嗅ぎまわり、そして夜になったらお二人で新宿……と来れば重森二郎の消息に決まっている」
「ずっと監視していた訳ね。あなた、もしかすると――」
「ご心配なく。敵対する組織の者ではありません。むしろあなたの味方ですよ。ここから先は非常にセンシティブな内容になりますので詳しくは言えませんが、私たちはある男をずっと追っています。その捜査線上で、あなたとジウラン君がある組織と接触を持ったのを知って、あなた方をマークしていた」
「軽井沢の一件ね?」
「その通りです」
「いいわ。信じる事にする。でもあたしたちが探す重森さんはあなたたちには関係ないんじゃなくて?」
「それもその通りです。私の上司が重森さんと浅からぬ因縁があり、彼の消息を知っている。上司が言うにはせっかくだから教えてやれと、そういう訳です」
「見返りは?」
「見返りなんてありません。上司も理由を言いませんし。まあ、お近づきの印とでも考えておいて頂ければいいのではないでしょうか」
「妙な話ね。あなたの上司は事実の記憶があるのかもしれないわね」
「……事実の記憶。それは何ですか?」
男は初めて狼狽したような声になった。
「わからなければいいのよ。上司の方か――ねえ、ジウラン。シゲさんの関係者で尾行とかさせそうな人って誰かしら?」
美夜にいきなり話を振られたぼくは必死に考えた末、一つの名前に思い当たった。葉沢だ――
「グッドジョブ。その葉沢さんに記憶の件を尋ねるといいわ」
「……あなた方、やりますね」
「あなたも食えない人よ」
「これはどうも。ここで腹の探り合いしても埒が開かないので、用件だけお伝えしましょう。いいですか、重森二郎は伊豆の療養所にいます。詳しい住所は――」
こうして思いもかけない形でシゲさんの居場所を突き止めた。週末に二人で伊豆を訪ねる約束をしてその夜は解散した。