目次
1 ブッソンの語り
リン、リチャードはゼクトの指揮する軍の最前線に近い《沼の星》にいた。名前の通り、大小無数の沼が存在する自然豊かな土地で、沼に挟まれたわずかな土地にシップが停泊し、連邦軍のテント以外の人工物は見当たらなかった。ここは連邦領だったが、実際には帝国が重要視していないため放置されているだけだった。
帝国が《オアシスの星》の補給基地を奪った事により、連邦軍はこの星を足場にして対峙を続け、戦線は膠着状態に陥っていた。
「リチャード、リン。わざわざ来てくれて感謝する。君らが帝国の補給基地を叩いてくれればホルクロフト将軍も孤立無援、考え直してくれるだろう」
「そうなるといいが」
リチャードが目の前の大きな沼を見ながら言った。
「しかし見渡す限りの沼だな――そうだ、ゼクト。お前、ブッソンを見た事があるか?」
「何度か。想像をはるかに越える大きさだ」
「ブッソンって?」とリンが尋ねた。
「ブッソンは『水に棲む者』の王族で巨大な魚の姿をしている。《古の世界》の時代から生きる驚異の存在だ。今はこの星でひっそりと暮らしているらしい」
ゼクトはそう答えた後、物語の一節らしきものを口ずさんだ。
――ああ、貴方は水の中では暮らせないのですね。
それならいっそこの鰭もその翼もなく、地上で生きていけたらいいのに――
「ソントン・シャウの『リーバルンとナラシャナ』だな」
リチャードが言うとゼクトが「うむ」と頷いた。その様子を見たリンは再び尋ねた。
「創造主の話とか《古の世界》とか皆の間では通じてるけど、どうして皆、そんなに物事をよく知ってるの?」
「アレクサンダー先生も言っていたろう。『クロニクル』の受け売りだよ。そもそも《オアシスの星》に暮らす青年デズモンドが伝説の存在ブッソンからリーバルンとナラシャナの話をこの地で聞いたのが銀河の歴史書『クロニクル』を記すきっかけだったんだ」
「やっぱり僕も『クロニクル』を読んだ方がいいのかなあ」
「そうだな。初版しか刊行されていないが、時間のある時にポータバインドで目を通しておくといい」
三人が話していると、急に空が暗くなり目の前の沼が激しく波打ち出した。勢いよく水柱が上がり、水は大雨のように降り注いだ。その後には小山のような黒い物体が沼面に姿を現していた。
「……ブッソンだ」
ゼクトの声にリチャードもリンも言葉を失った。
「『持たざる者』よ、色々と騒がしいのお」
小山が喋った。まるで地の底から響くような声が空気を震わせた。
「ブッソンか?」
リチャードがようやく尋ねると「いかにも」と返事があり、黒い小山の先端がかすかに動いた。全身は一体どのくらいの大きさなのだろう。
「何故出てきた?」
「わしの住まいじゃ。出てきて悪いか――というのは冗談でお主らが面白そうなので顔を見にきただけじゃ」
「水に棲む者にも関係があるのか?」
「あのな」
小山がゆっくりと動き、そこには驚くほど澄んだ瞳が見えた。
「わしは誰が覇者になるとかそんなのに興味はない。ただ、”持たざる者”が三度、銀河を動かそうとしている――これは純粋に見物じゃろ」
「三度?」
「一度目はわしらが《古の世界》を捨てた時、サフィがいち早く持たざる者を指導した。二度目は、ほれ、そこの男の先祖デルギウスが『銀河の叡智』を生み出した。三度目は今じゃ。お主らは邪悪を打ち払い、再び叡智を発現させようと企んでおる」
「それを見たいのか?」
「簡単にはいかぬから見物。見る限り『全能の王』の子孫には欠落した部分が多すぎる。『銀河の運命を変える男』とて聖なる者か邪の使いか、とんとわからん――ついでにわしの姪っ子まで目覚めるかもしれんしのお。困った、困った」
「姪と言うと?」
「もうええじゃろう。ほれ、そこの運命を変える男が色々聞きたそうにしておる。何が聞きたい?」
「えっ、あの――水に棲む者って皆、そんなに大きいの?」
名指しされたリンは慌てて質問をした。
「いやいや、大きく分けて三種類じゃ。一つはわしのような魚だが、わしのように大きいのは稀じゃな。一つは甲殻類、そして人型じゃ。ナラシャナがわしのような魚の姿じゃったら、『空を翔る者』、リーバルンとは恋に落ちんかったかもしれん」
「僕らが連邦を復活させたらあなたも加盟するんでしょ?」
「さっきも言ったじゃろう。そういうのには興味がない。息子のビリンディもまだ子供じゃし、わしらは静かに暮らしたいだけじゃ。他の者がどうかは知らんがな」
「では中立の立場だな?」とリチャードが続けて尋ねた。
「今更、銀河の覇権を賭けて戦おうとは思わん。水も空も『地に潜る者』も持たざる者に敗れたのじゃ。それにわしのように水の中でしか暮らせん種類は持たざる者と共存できる訳ではない――つまりは、そっとしておいてくれという事じゃ」
「わかった。ブッソン。出来る限り配慮しよう」
「ありがたい。くどいようじゃが、わしの意見は水に棲む者の総意ではないぞ。陸でも暮らせる奴らや種族交流で生まれた新たな世代は違う考えかもしれんからな――さて、帰るとするかの。デズモンドに会って以来の楽しい一時じゃったわい」
そう言うと小山のような黒い巨体は沼の底に沈んでいった。
「なあ、リチャード」とゼクトが口を開いた。「《古の世界》が崩壊した時に、あの巨体でどうやってここまで移動できたのだろうな?」
「さあな、水の中にしか住めないと言っていたが空を飛ぶのか、あるいは『転移装置』のような仕組みを持っているのか、いずれにせよ謎だな」
「まだまだわからない事だらけだな――まずは《オアシスの星》を落として、ホルクロフトを降伏させるのに集中するか」