6.4. Story 1 遠征前夜

 Story 2 《オアシスの星》

1 見えない敵

「リン様。一つお聞きしてもよろしいですか?」
 『都鳥』の二階で洗濯物を畳みながら沙耶香がリンに尋ねた。
「キング以外にシニスターがいるというお話でしたが……大帝もやはりシニスターでしょうか?」
「わかんないよ。もしかしたら僕だってシニスターかもしれないし」
「リン様がシニスターだなんて想像できませんわ」
「ははは、そうだよね――でも自分の力が恐くなる時があるんだ。もし僕がシニスターで力を悪用したら、銀河はどうなっちゃうんだろうってね」
「そのような事態になればジュネ様と二人で止めますから心配なさらないで下さい」

「悪い事はできないね――それにしても時間がかかるよ。来年中くらいにようやく大帝のいる《虚栄の星》に行けるんじゃないかって」
「ジュネ様にシップに乗せて頂きましたけれど、《花の星》まではほんの数日で着きましたわ。あの技術をもってすれば、《虚栄の星》に行くにもそれほど時間はかからないのではありませんか?」
「僕もよくわかんないけど、この間の神火みたいに大軍でいきなり攻めるのは、普通ありえないんだって。そんな事するとロジスティクス、つまり補給や要員交代のラインが確立されていないから、結局は目印のない宇宙空間で迷子にならざるをえない。なのでロジスティクスを確立させながら《巨大な星》を奪還する。そして又そこからロジスティクスを構築させつつ《虚栄の星》を目指す。そうすると最短でも来年の末、再来年になるかもしれない――以上、リチャードの受け売りだけどね」
「銀河は広いですね」
「うん、それでもやっと銀河の上半分の四分の三くらい、銀河全体で言えば半分の範囲にもなってないんだって」
 下の店に誰か来たようだった。階下から静江の声がした。
「リンちゃん。シゲが来たわよ」

 
「あ、シゲさん、久しぶり。お店に行く時間がなくって」
「『ジャンゴ』と地球のどっちが大事なの、って話よ。いやあねえ……ってそんなの言いにきたんじゃないの。ママに聞いたら今日は家にいるって言うから、あんたと話がしたくって――で、隣の娘とはいよいよ一緒に暮らす事になったの?」
「はい、ふつつか者ですがよろしくお願い致します」
「でもあんた、《花の星》の皇女さまとも噂になってなかった?――いいか、面倒くさくなりそうだし……って、だから、そんな事言いにきたんじゃないの」

「わかってるよ、シゲさん。話って?」
「この間の続きよ。あたしの部屋の写真の事、話してあげるって約束したじゃない」
「え、いいの?」
「あたしも前に進まなきゃってようやく思えるようになったの」

 
 そう言ってシゲは写真立てから抜き取った写真をテーブルの上に置いた。
「誰かに雰囲気似てるって言ってたじゃない。そりゃそうよ。この人は静江ママの弟さん、充信だから」
「えっ、おばさんの。でもおばさんの弟さんは……」
「そう、亡くなったわ」
 いつの間にかシゲ、リン、沙耶香の座るテーブルに静江が来て言った。
「コーヒー豆を買い付けに行った南米で銃撃戦に巻き込まれたの」
 静江はシゲの隣の席に腰かけた。

 
「あたしの一番大事だった人……」とシゲが言った。
「おばさんとの縁はそれだったんだね?」
「充信はあたしの大学の後輩だった。あたしが空手部の主将で彼はアメフト部の新入生。あたしは一目見てわかったわ。彼とはウマが合うって。それで先輩の特権を活用して彼とお付き合いを始めたの。あたしは警察に就職して、充信は家業の貿易会社で働き始めた。あたしが調査室に出向になってしばらくしてかな。あの事故が起こったのよ」
「……」
「リンちゃんにあたしの気持ち、わかるかしら。葬儀の日、あたしは葬儀場に入っていかなかった。平静でいられる自信がなかったし、ただでさえ悲しんでいるご親族が、あたしみたいな恋人の存在を知ったらどんなにがっかりするか。だから、あたしは外で冥福を祈ろうと思ったの。その時、あたしの手を掴んで強引に中に引っ張っていってくれたのが静江ママだったのよ。多分、充信はママにだけは打ち明けてたんでしょうね。あたしは葬儀の間中、ずっと静江ママの肩を借りて泣き続けてた」
「……」
「それ以来、よくしてもらったわ。当時住んでたアパートまで来て色々と世話を焼いてくれた。そんなある日、ママが面白い話をしてくれたの――ね、ママ。あの時の話、もう一度、リンちゃんたちにしてくれない?」

 
 シゲに促され、静江が昔を懐かしむように語り出した。
「充信の葬儀も終わって、ようやく人心地ついたある日だったわ。今と同じようにこの場所でシゲと話をしていたの――

 

【静江の回想:見知らぬ会葬者】

 ――時間が悲しみを風化させるって言うけど本当。シゲちゃんはそうじゃないだろうけど」
「僕はまだ全てを受け止める事ができません」
「いつかはあなたも新しい一歩を踏み出さなきゃだめよ。仕事も大変なんでしょ?」
「いえ、僕は命を懸けていますから」
「無理しないでね――そうそう、妙な話があるんだけど聞いてくれる。あたし、葬儀の時の出納を管理してたのよ。花輪を頂いた方、お香典を包んで下さった方、記録をまとめてたら、心当たりのない名前が幾つか出てきたの。とても有名な人たちだったから両親に訊いたの。そしたら彼らも知り合いではないらしくて――ねえ、誰だったと思う?」
「さあ、僕には想像もつきません」
「一人は前の衆議院議長、村雲仁助。もう一人は都議会のドン、八十原統だったのよ。うちも有名になったもんだねえなんて……ちょっと、シゲちゃん、どうしたの?

 

 ――今でもシゲに言わなければよかったと後悔してる。こうやってリンちゃんに話すのも正しいかどうかわからない」

「あら、ママ。リンちゃん、もう子供じゃないわよ。この地球で一番強い人間なんだから」
「一番じゃないけど」とリンが答えた。「大変な事に巻き込まれるのをおばさんが恐れてるなら心配しないで。もう十分すぎるくらい巻き込まれてるから」
「まあ、リンちゃんったら。ちょっと淋しいけど、そうよね。いつまでも子供じゃないもんね」
「おばさん、何だかごめんなさい」

 
「えーと、話続けてもいい?ママから名前を聞いた――その時のあたしはきっと鬼の形相だった。だって村雲と八十原はその当時あたしが内偵を進めていた対象だったんだもの」
「えっ」
「あたしは賭けに出た。調査対象の村雲本人に直接接触しようと考えたの。それをやればもう組織にはいられない。でも確かめずにはいられなかった」
「そんな」
「村雲が屋敷から黒塗りの高級車で出かける頃合いを見計らって、その前に飛び出して後部のスモークガラスを何度も叩いたのよ。車が停止し、後部の窓がするすると降りて、そこには会った事のない眼光の鋭い面長な男の顔があった。男はあたしの方を見ようともせず、前方を見つめたまま、人をいらいらさせるような声でこう言ったの――

 

「君の大切な人は残念な事をした。改めてお悔みを申し上げよう」
「村雲さんではありませんね……あなたたちが仕組んだのではありませんか?」
「そんな回りくどい事はせんよ。君は好敵手にすらなっていない」
「あ、あなたはもしや――」

 

「走り去る車を見送りながら思ったわ。『あたしの敵う相手じゃない』って。ま、結局その時のルール違反の責任を取って組織を辞めたんだけど」
「ねえ、シゲさん。車に乗ってたのって――」
「そう、おそらく、藪小路。組織を辞める決断をしてまで行動に踏み切ったあたしの熱意に免じて姿を現してくれたんだと思う」
「実在したんだね」
「一番最近、実物を見たのはあたしなんじゃないかしら。あの男は底が知れないわ。リンちゃんも注意してね」
「うん、わかった」
 リンは目の前のの静江をちらっと見た。満足そうな微笑みを浮かべているのに気付き、シゲの新しい一歩を祝福しているのだと理解した。

 
「ところで、あたしの後輩のお宮っていう男、覚えてない?本名は葉沢貫一っていうエリート意識丸出しのいけすかない奴だけど『ジャンゴ』の常連」
「ああ、アニタ・オデイばっかりリクエストする人?」
「そうそう、そいつ。強い酒、飲ませると機密事項をぺらぺらしゃべっちゃうのよねえ。本人はちっとも覚えてないんだから国家の存亡に関わる仕事には向いてない。笑っちゃうわ」
「D坂の事件の時もその人に?」
「そうよ。お宮に言ってS6の返却を手配させたの。あいつ、偉ぶってるだけじゃなくて内閣調査室のエリートだから本当に偉いのよ。だからすぐに返ってきた」
「へえ、すごい人なんだね」

 
「で、本題よ。あんたと話してると横道に逸れてしょうがない、ってあたしか……あんた、お父様が『ネオ・アース移住プロジェクト』の座長に選ばれたのは当然、知ってるわよね?」
「うん、帰ってから初めて聞いたけどびっくりだよ。何で父さんだろうって」
「色々あんのよ。日本が主導権握るためにはあんたが一番だけど忙しくて無理でしょ。だからお父様が選ばれたの。立派な科学者だし、あたしは適任だと思うけど」
「大丈夫かなあ。考古学でも歴史学でも地質学でもなくて、農学が専門だけど」
「どうにかなるわよ。お父さんを信じなさい――ただね、注意しなきゃいけないわ。《ネオ・アース》の支配を目論む組織はうじゃうじゃいる。まあ、そりゃあそうよね、地球と同じものが丸々手に入るんですもの、同じ事を企む奴らはたくさんいるでしょうよ。でもあたしが気にしてるのはもっとやばい組織、言ってる意味わかる?」
「……藪小路?」
「怪物が再び地下で動き出す可能性がない訳じゃないわ。まあ、連邦の人たちがいるからそう簡単には手を出せないけど」
「藪小路の組織って?」
「なかなか尻尾を出さないの。メンバーにはかなりの地位の人間もいるから、いざとなれば国を動かすくらいは簡単」

 
 シゲの話を聞いたリンは思い出したように言った。
「この夏、何度も地球が襲われたでしょ。その中に帝国や王国みたいにはっきりした敵じゃない場合があったんだ」
「どういう意味?」
「この星に住む誰かの手引きでやって来たみたいなんだ」
「具体的にはどの事件?」
「H島の事件の犯人、クラウス博士は帝国じゃなかったらしい。でも他所の星の人間が何の予備知識もなくあの島を根城にするって不自然だよ。もう一つはこの間のニューヨークのゾンビ騒ぎ。あれを仕切ってた男も王国の人間じゃなくて、僕に興味があって来ただけだったらしい。日本は火葬でゾンビが生まれないからアメリカで騒ぎを起こすって、そんなの普通は知らないよね」

「ふーん。見える敵だけじゃなくて、見えない敵もいる。気が休まらないわ」
「シゲさん、真面目に聞いてよ」
「ごめんね」と言って、シゲはぺろっと舌を出したが可愛らしくはなかった。「つまり連邦がこの星に関わるのを良しとしない人間でしょ。さっきも言ったじゃない。『今の既得権益を手放したくない』、『ネオ・アースを支配したい』、そういう輩にとって連邦は障害でしかないわ」
「ちょっと待ってよ。大帝が須良大都なんだから、帝国も邪魔な存在なんじゃないの?」
「それはそうね」
「この星はどこに向かおうとしているんだろう?」
「わからないでいいんじゃないの。連邦加盟とかで盛り上がってるけど、そういう組織があって、快く思ってる者ばかりじゃないぞってわかってれば十分よ」

 
 シゲが話すだけ話して帰った後、リンは自分なりの整理を行った。
「藪小路の組織は連邦が邪魔で帝国もうっとおしい、クラウス博士にH島を教えたように帝国ではない勢力と組んでいる人もいる。もちろん連邦秩序をよしと思う人も……こりゃ複雑だ」

 
 リンが頭を悩ませていると、水牙からヴィジョンが入った。空間にはコメッティーノ、ゼクト、リチャード、水牙の顔が浮かんだ。

「皆、元気か。まずは報告だ。リチャードの協力もあり、本日を持って王国の軍を全て連邦軍に再編した。連邦バインドへのリプリントも完了、これでいつでも出撃可能だ」
「了解だ」とコメッティーノが答えた。「ゼクトは相変わらず《沼の星》付近に駐留して戦線は膠着状態だ。いつ侵攻を開始するかについては改めて連絡する。リンとリチャードはできるだけ早くダレンに来てくれ。おれからは以上だ」
「ちょっといいか」と水牙が言った。「《将の星》の附馬明風殿が話をしたいそうだ。聞いてもらえぬか」

 
 空間に精悍な顔つきの顎鬚を生やした男が映った。
「連邦の諸君。私は附馬明風だ。この度は我が息子神火が長老たちの決定に逆らい、軍を動かした事、深くお詫びさせて頂く。何卒許してほしい」
「明風殿」とコメッティーノが言った。「謝る必要はありません。むしろ犠牲者を出したのが心残りです。連邦として出来る限りの償いはさせて頂きます」
「ありがたいお言葉。しかし我が星の武人にとって戦で死ぬのは最上の名誉。気に病む必要はございません。これより我々《将の星》の一同、連邦のために戦わせて頂きます」
 明風のヴィジョンが消えた。
「立派な武人だな。ああいう方がいれば連邦は安心して行動できる」
 コメッティーノは満足そうに言った。

 

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