目次
1 カルペディエム
源蔵の疑問
8月23日、源蔵の呼び出しに応じて、西浦、蒲田の両名が『都鳥』にきた。
いつものメンバーが顔を並べ、リチャード、オンディヌは右奥のテーブル、源蔵はカウンターに腰を降ろし、静江とリンはカウンターの中にいた。
「暑い中、ご足労頂いてすみませんねえ」
静江が二人に声をかけ、リチャードたちのテーブルに同席した西浦達にリンがおしぼりと水を出した。
「いえ、ここの所天気もすぐれませんし、どのみちリチャードさんと明日の警備の確認をしようと思っていましたから」
そうは言いながら西浦はおしぼりで吹き出る汗を拭いながら答えた。
「で、今日は文月さんのご用と伺いましたが」
「そうなんですよ」
源蔵がコーヒーカップを片手でもてあそびながら言った。
「聞きたい事があるんです。あなたならご存知じゃないかと思って」
「私はそんな物知りではありませんよ」
心なしか落ち着きのない西浦を見てリチャードが尋ねた。
「西浦さん、何かあったのか?」
「ええ」
西浦は再びおしぼりで汗を拭いて言った。
「私と蒲田に、中央、警察庁への出向の話が出ています」
「なるほど。その方が自由に動けていいかもしれないな」
「ですが、その、関係省庁の綱引きというか――当然、警察庁に行くのが筋なのでしょうが、科学技術庁、外務省、それに文部省や防衛庁、運輸省、建設省までもが『こっちで欲しい』と言い出して、もうめちゃくちゃです」
「何でもいいが早く決まってほしいが、こんな所で時間を潰していていいのか?」
「気分転換、失礼、私も蒲田もあの場を逃げ出したかったので渡りに船でした」
源蔵が話し始めた。
「ご存じの通り、私はつい最近、こちらの世界に復帰したばかりです。まるで浦島太郎状態で色々とわからない事だらけですが、中でも最大の疑問と言えば――」
「カルペディエムですか?」と蒲田が言った。
「そう、それなんだ。一体、何が起こったんですか?」
「そう言えば源蔵さんが行方不明になって間もなくだった」
静江が懐かしそうに言った。
「忘れるはずがないわ。1970年の10月だったかしら」
「そうでしたね」
西浦が話を引き取った。
「確かビンチェンツォ・マウリッシモという名の考古学者が大発見をしたのが全ての始まりでした――
【西浦の回想:カルペディエム】
――日本ではようやく万博の熱気が冷めた70年の秋でした。
『ルルドの泉』で有名なスペインとフランスの国境沿いのルルドの町から少し南東に降りたアンドラとスペインの間の山中でとてつもない物が発見されたのです。
発見したのはイタリア人考古学者ビンチェンツォ・マウリッシモ、トリノ大学の教授でした。
マウリッシモが発見したのは建物ともオブジェともつかない不思議なものでした。
高さは五十メートルほどで周囲は約五メートル四方、色は薄い水色と緑の中間に彩られて仄かに発光している。四角い筒を途中で何度か捻ったような不思議な形状をして、空に向かって伸びていたが、驚くべきはその捻じれたオブジェが五メートル四方の台座から一メートルほどの空中に浮かんでいる点でした。
マウリッシモの撮った写真と記事は瞬く間に世界中を駆け巡りました。
誰が何のために?
しかしその疑問は数日後のマウリッシモの発言により、どこかに吹き飛びました。
記者会見に臨んだ白髪のイタリア人学者はさらなる驚愕の発表をしたのです。
(記者)発見に至る経緯を説明してほしい
(学者)その前にお伝えする事がある。この世界には今回発見されたのと同様の物が各地に点在している。その数は全部で九つ
(記者)何故、そんな情報を?
(学者)オブジェに不思議な文字が刻まれていた。それを見ていたら頭の中に声が響いてきた
(記者)ではあの建造物の目的も?
(学者)それはわからないが名前は聞いた。『カルペディエム』と言う
(記者)……『今を生きる』?
(学者)こうしてはいられない。『巡礼のディエム』の次のディエムを探さなくては――
こうしてマウリッシモは旅に出たが、次の発見の報告はマウリッシモからではありませんでした。
記者会見から三日後、アメリカ合衆国、アリゾナの大平原で二つ目が、ブラジル、マナウスの奥地、アマゾン川のど真ん中で三つ目のディエムが見つかったのです。
マウリッシモの方はそれから三日後、太平洋の日本とハワイの中間点の沖合で四つ目を発見したと報告しました。その際、アメリカのものは『荒野のディエム』、マナウスのものは『大河のディエム』、太平洋のものは『海溝のディエム』と呼ぶように言い添えました。
更に数日後、南極観測隊の砕氷観測船が氷山の上にゆらゆらと浮かぶディエム、『氷山のディエム』を発見しました。
精力的に行動するマウリッシモはシベリアの大地に六つ目となる『凍土のディエム』を発見し、ヒマラヤの奥地に『嶮山のディエム』を発見し、ヨーロッパに戻りました。
アフリカのサハラ砂漠で『起源のディエム』が発見された後、70年の年末に再びマウリッシモは記者会見を開きました。
(記者)これまで八つのディエムが発見されているがあと一つは?
(学者)それはすでに見えているよ。ほら(と言って天井を指差した)
(記者)……空……まさか、月?
(学者)その通り、最後の『暗黒のディエム』は月面に存在する
(記者)どうしてそれを?
(学者)言ったろう。声が聞こえたんだ。だから探すのはちっとも難しくはなかった。それよりもディエムが発するメッセージ、その方が重要だ――
ここで西浦が一旦話を止めて半分冷めかけたコーヒーを啜った。
「あの年の暮れは」と静江がしみじみと言った。「おかしかったわよね。何もかもが熱にうかされたみたいになって。翌年にジョンレノンがイマジンを発表したけど、そのまんまの内容だったもの」
「西浦さん、おわかりですか」と源蔵が苦笑いをしながら言った。「静江さんに説明をしてもらおうと思ったのですが、万事、こんな風に――」
「散文的、ですか?」と蒲田が助け舟を出した。
「そう、その通り」
「あら、失礼ね。あたしは当事者だったから物事を冷静に見られなかっただけ」
「当事者とは……?」
「だって源蔵さんが行方不明になってすぐにカルペディエムが見つかったのよ。これは源蔵さんがあたしにメッセージを送ってるんだって本気で思ったんだから」
「まあまあ、おばさん」とリンが言った。「西浦さんの説明を聞こうよ。僕も詳しく知らなかったんで興味がある――リチャードはどう、退屈?」
リンに聞かれたリチャードは何も言わず、意味ありげに笑顔を見せた。
「では続きを話しましょう。どこまで話しましたっけ。そうそう、ディエムのメッセージでしたね――
マウリッシモはそれぞれのディエムに刻まれているメッセージを順番に読み上げました。
一.この星に暮らす人々に贈り物を
ディエムはいつでも見ている、あなたたちが破滅に向かって突き進むのを
一.それを回避するには世界のありようを変えねばならない
一.ディエムに従い、国を廃止し、リージョンを構成する事から始めるのだ
一.それが成し遂げられれば、やがてこの星は一つになる
一.リージョンとはまず『ノースA』、『ラテンA』、人類の起源たる『オリジン』の三大陸
一.太洋は島々を中心に『パシフィック』、『アトランティック』、『インディアン』の三つとするがよい
一.最も巨大な大陸は『ノース』、『セントラル』、『サウス』、『ウェスト』、『デザート』、巨大な山々から成る『ブランク(空白地帯)』とするがよい
一.ディエムに対してリージョンの数が多いが、これはディエムとあなたたちとの間の誓約、これが守られなければ――
マウリッシモの言葉が止まりました。
(記者)どうしました?
(学者)今読み上げたメッセージはそれぞれのディエムに刻まれた八つのメッセージ。最後のメッセージは月にある『暗黒のディエム』に刻まれている
マウリッシモはそれだけ言い残して記者会見を打ち切りました――
「『ウォッチ』だな」
突然、リチャードが言い、その場の全員がリチャードの顔を見た。
「えっ、リチャード、何て?」
「ウォッチ、つまり『監視』だ。君たちがディエムと呼ぶものはウォッチという名で知られている」
「銀河では頻繁にある事なの?」とリンが尋ねた。
「知られている、は言い過ぎた。過去に出現した記録が残っている」
「一体、誰が?」
「君たちは誰だと考える。どうやらそれを知るには最後まで西浦さんの話を聞く必要がある」
「は、はい。マウリッシモ教授の会見に世界中が色めき立ちました。特に世界中の宗教関係者たちはそれぞれの言葉でディエムを評しました――
「神の国が近付いた」、「審判の時が迫っている」、「次のユガが始まる」、等々。
当然、この問題は国際政治の会議の場でも俎上に登るようになり、欧州各国のように既に共同体構想を着々と進めていた国々はディエムの存在を追い風としました。
ですが一方ではこれを良しとしない国家、為政者がいたのも事実です。「宇宙からの進攻に違いない」、「ディエムは悪魔の象徴だ」、彼らは国際会議の席上で自説を頑として曲げませんでした。
ところがそういったディエムのメッセージに従うべきではないと主張する強硬論者たちが不可解な失脚をする事態が相次いだのです。
反対論者ばかりではありませんでした。狂信的にディエムを信奉する者が忽然と表舞台から姿を消すケースもありました。
消えた者たちはディエムに命を奪われた、現にディエムから謎の光線が為政者のいる建物に向かって飛んでいくのを見た、という噂まで広まり、恐慌状態に陥った者たちは遂に実力行使に及びました。
ある者は自国の軍を率いてディエムを破壊しようと試み、爆撃機による空爆まで行いましたが、ディエムに傷一つ付ける事すらできませんでした。
結局、こういった行為は神の怒りを恐れる人々の反感を買い、かえって為政者とその治める国の寿命を縮める結果となったのです。
翌1971年には、幾つかの独裁国家がこの地上から消滅して、幾つかの紛争は終結し、そして又、新たな紛争が起きる、そんな不安定な世界情勢に突入しました。
新宿の北を始めとする日本の数か所、そして世界の各地に設けられたRFDはそんな混乱した地域からの難民受入地区なのです。
不安にかられた人々は再びマウリッシモからディエムの本意を聞き出そうとしましたが、当のマウリッシモはすでにどこかに消え失せた後でした。
それどころかトリノ大学にはそのような教員が在籍した事実すらなかったのです。
ここにおいて人々は確信に至りました。マウリッシモこそが神の使いだった、彼はディエムを通して人類を試そうとする神の言葉を伝えるために現れたのだと――
「――なるほど。神か」とリチャードが感慨深げに言った。「神であれば迷える子を救ってくれるからな。気休めにはなる」
「リチャード君」と源蔵が尋ねた。「西浦さんの話を聞いて思ったのだが、私のケースとどことなく似ている気がする」
「つまり」とリンが大声を出した。「おばさんの言う通り、世界中のディエムの出現と父さんの行方不明事件は関連があるって事?」
「いや、そんなおこがましい話じゃない。ただ神の仕業と考えるのは違うような気がするんだ」
「源蔵の言う通りだ」とリチャードが言った。
「神でないとしたら誰が何のために?」と西浦がすかさず尋ねた。
「言ったろう。別名を『監視』だと。ウォッチは定点観測装置だと思われる」
「観測装置?」とリンが尋ねた。
「うむ。実験結果をつぶさに記録するための装置だ」
「実験?」
「ここまで言ってもわからないか。この星は実験のために選ばれたんだ」
「何の実験?」
「私にもわからない。この星の住人たちがメッセージに従って国同士の争いを止め、一つになれるかどうか、そういった実験かもしれない」
「でも神は何のためにそのような実験を私たちに行えと?」と蒲田が言った。
「神などではないと言っただろう。この世界の創造主、Arhatsだ。彼らは人々を救い、正しい道へ導く存在ではない。この星だけでなく銀河全体を実験のために造っただけ――この銀河は所詮、Arhatsの箱庭だ」
「じゃあ僕たちが争いを止めなかったら?」とリンが尋ねた。
「私は創造主ではないのだから、知るはずがないだろう。だが創造主を甘く見てはいけない。かつて《古の世界》と呼ばれた星は一人のArhatによって一瞬で消し去られたという伝説が残っているほどだ」
「それはまずいね。この星が一つにまとまるとは思えないもの」
「心配しても仕方ない。その時になって考えればいい――それよりも気になるのは、何故、創造主がこの星を実験場に選んだかという点だ」
「……大帝がこの星の人だから?」
「それはありうるな。他にもっと大きな理由があるかもしれないが、それが何かまではわからない」
「リチャード君」と源蔵が言った。「その《古の世界》とやらで行われた実験とは?被験者たる者は何で、何を刺激として与え、何を観察しようとしたのだろう?」
「さすが科学者だな。その星では三つの種族が相争っていた。そこに精霊と龍という強力な存在を与えた結果、その対立が収まるか、あるいは一層激化するか……そんな筋立てだったと聞かされた事がある」
「で、結果は?」
「精霊も龍も種族の対立を止めるには至らなかった。結果、一人のArhatが《古の世界》を消滅させたそうだ」
「この星も同じような運命を辿る?」
「さあ、気まぐれなArhatsの行動までは予想できない――そもそもいつが期限か、現在の姿が望む方向に進んでいるのか、そうでないのか」
「現在では多くの人間がリージョン構想を好意的に受け入れているようですが――」
西浦が言いかけた言葉を途中で止めた。
「ん、どうした?」
「その考えは民族自決と真っ向から対立します。もしも全ての民族が国家を欲すれば、ディエムの精神とは全く相容れません」
「もしも創造主の意図した結果でないならこの星は消滅するかもしれない。創造主の計画通りに進めばこの星から争いはなくならない。どちらにしても大変だ」