6.1. Story 6 サーカスがやってくる

 ジウランの日記 (2)

1 静かな朝

 

サーカスの招待状

 8月12日、リンは久々に静かな朝を迎えた。『都鳥』も夏季休業に入り、静江の用意した朝食を取った後外出すると、近くの公園に子供たちの人だかりができていた。
 人だかりからシルクハットにタキシード、針金のようなひげを生やした紳士の姿をした小さな人形が飛び出してきて、甲高い声を出した。

「おー、お兄さん、ちょっといい。これこれ、今夜、選ばれた人だけ、ご招待、ご招待」
 人形は口をぱくぱく言わせながら鮮やかな赤色の封筒を差し出し、リンは封筒の表裏を確認してから尋ねた。
「何?」
「今夜、7時、K公園、サーカス、ご招待、ご招待」
 人形は意味ありげにウインクした。
「えっ、ただでいいの?」
「お兄さんだけ。特別、特別、来てね、絶対来てね」

 人形はリンにサーカスの招待券を渡すとさっさと帰り支度を始めた。いつの間に用意したのか、子供たちに風船を配ってから、リンに向かって手を振った。
「わたし、ダンチョー、来てね、絶対来てね」
 それだけ言うと人形の姿は数え切れないほどの風船に包まれ、そのままふわりふわりと空に飛んでいった。
 大騒ぎする子供たちと一緒にリンも空を見上げた。
「何だろ、これ」

 

シゲの部屋の写真

 リンはそのまま中野に向かった。部屋のチャイムを押すと寝ぼけ眼のシゲが顔を出した。『ジャンゴ』も夏休みでゆっくりと寝ていたようだった。
「どうしたの。早いじゃない」とシゲがあくびをしながら言った。
「昨日、言い忘れた事があって。借りた車だけど、サービスエリアに車を置きっぱなしにして帰ったんだ」
「すぐに戻ったわよ。あの事故をニュースで見て知り合いの捜査員にあたしのS6届けろって命令しておいたの。あの車、珍しいでしょ、二日後にはここに戻ったっていう訳よ。ひどい有様だったんでしょ、高速はまだ不通だなんて普通じゃないわ――どう、今の?」
 リンはシゲの駄洒落を無視して続けた。
「おみやげ買ってこないでごめんなさい」
「あーら、いいのよ、無事が一番だから……って、あんた、そんな話をしに来たんじゃないんでしょ、上がんなさいよ。何もしないって約束するから」

 
 部屋はきれいに整頓されていた。センスのいい濃い茶系のカーテンとカーペットに間接照明というのだろうか、柔らかな光がテーブルを照らしていた。壁一面は本棚で書籍や資料が整然と並べられ、もう一方の壁はジャズのレコードで埋め尽くされていた。テーブルの上には店に持参したのとは別の最新型と思われるコンピュータとプリンタが置いてあった。

「予想と違うでしょ。年取ったオカマはみじめな暮らししてると思ってたでしょ、失礼ね」
「ううん、そんな事思ってないけど。すごいねえ、これ、店に持ってきたのとは違うやつ。マイクロコンピュータの新しいのだよね」
「いやあねえ、マイクロコンピュータだなんて。パーソナルコンピュータ、パソコンって言うのよ。これからの時代はコンピュータくらい使えないとだめよ」
「プログラムとか作ってるの?」
「まあね、ジャズレコードの記録を作ってんのよ。カード型データベースっていって、名前とアーティスト、曲名とか入力しておけば好きな時に検索できんのよ」
「よくわかんないけどすごそうだね」

 
「で、何が聞きたいの――当ててみましょうか。お父さんかお母さんの事、どう?」
「うん、半分当たり。父さんも『ネオポリス計画』に参加していたって事は藪小路と顔見知りなの?」
「ああ、安心なさい。散々調査したけどあなたのお父さんが藪小路と接触した記録は出てこなかったわ。藪小路は用心深いからそんなに多くの人間に正体を曝け出さないわ」
「じゃあ父さんが行方不明になったのは?」
「……それはどうにもわからないの。静江ママなんて『警察が源蔵さんを見つけなかったら承知しない』って物凄い剣幕で怒鳴り散らしたらしいから。ほら、静江ママはお父さんを……ね、言わないでもわかるでしょ」
「うん」
「失踪に藪小路は関係ないわ。だってリンちゃんのお父さん消してもメリットがないでしょ」
「そうだよね……父さん、どこに行っちゃったのかな」
「リンちゃん、あんた、お父さんが行方不明になったのは自分の責任だって思ってない?」
「うん」
「そんなはずないじゃない。もしそうだとしたら何をしたのよ?」
「……思い出せない。でもきっと僕のせいなんだ」
「大丈夫よ。そのうちひょっこり帰ってくるって」

 
 リンは家を去る際に何気なく本棚の一角に置かれた写真立てに目を留めた。そこには二人の男性、男っぽい頃のシゲとスポーツマン風の爽やかな好青年が並んで笑っていた。
「あ、シゲさんの昔の写真だね。隣の人は誰かに雰囲気似てる」
 シゲはコーヒーカップを片づけてからリンの見ていた写真立てを手に取った。
「ふふふ、興味あるの。落ち着いたらちゃんと話してあげる。約束するから」
「わかったよ。シゲさんが準備できたらで構わないから」
「ま、生意気言って――そんな事より、これこれ」

 
 シゲはテーブルの上のリモコンを手に取って、壁の本棚の一角に整然と埋め込まれたテレビのスイッチを点けた。
 画面には朝のワイドショーのスタジオらしき光景が映し出され、横並びに座った男女が何かを話し込んでいた。
「どうしたの?」
「この真中に座ってる男」
 シゲが示した先には男が映っていた。派手なストールを首に巻き、これも又、派手なセルフレームのメガネをかけた中年男だった。
「どうかした?」
「これ、糸瀬よ。金曜朝のワイドショーのコメンテータしてるのよ」
「えっ、本当?」
「家から逃げたって話だったからお休みかと思ったけど、ちゃんと出てるわね」
「……生放送なの?」
「当たり前じゃない。ワイドショーなんだし」
「ふーん」

「今から車飛ばせば、テレビ局で捕まえられるわ」
「何言い出すの、シゲさん」
「だって、あんた、言いたい事や聞きたい事、たくさんあるでしょ?」
「そうじゃなくてテレビ局の中に入れないよ」
「あら、あんたの技があれば簡単じゃない」
「そういう事のために会得したんじゃないんだけど、ま、いいか」

 

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