ジウランの日記 (1)

 Episode 6 Sinister(凶兆)

20XX.5.26 ビーチハウス

 困った事になった。
 一年前に消息不明になったじいちゃんの家、通称”ビーチハウス”に空気の入れ替えのために定期的に来ているのだが、先週末の季節外れの台風の影響をまともに受けて大変な状況になっていた。
住む人がいなくなった家なんか処分すればいいのだが、もしじいちゃんがひょっこり帰ってきたら何を言われるかわからない。言葉だけならまだしも拳固が飛んできたら目も当てられない。
じいちゃんには世話になってるし――

 幼い頃に両親を失ったぼくを二十一歳の今日まで育ててくれた、頑固者で滅多に笑わないじいちゃん。ぼくを全寮制の中高一貫校に入学させると久我山の家を引き払い、T海岸の近くの一軒家、それがビーチハウスだ、に引きこもって作家の真似事を始めた。
最後に会ったのは成人式のスーツ姿を見せに行った時、いつも通りの仏頂面でいつもの通りでかい手でぼくの頭をぐりぐりとねじり回しながら「ジウラン、お前もとうとう二十歳になっちまったか」と言った。

 ぼくの名前はジウラン、変な名前だけど名付け親のじいちゃんによれば「この星で一番読める文章を書く小説家」から取ったんだそうだ。ぼくが三歳の時に交通事故で亡くなった父の名は能太郎、母の名は雪乃、ちゃんと漢字の名前があるのにぼくだけはカタカナでジウランだった。
その事でじいちゃんに文句を言ったら「お前は外人なんだから漢字の名前なんて必要ない、デズモンドの孫のジウランだ」と当たり前のように言った。

 じいちゃんはデズモンド・ピアナという名のでかい外人の老人だ。ポルトガルで船乗りをしていた時に寄港した横浜でばあちゃんと知り合ってそのまま日本に居ついたと言っていたが、一度だってばあちゃんとの馴れ初めもポルトガルの話もしてくれた事はなかった。
年もよくわからなかった。身長は二メートル近くで筋肉質の体、短く刈り込んだ銀髪に日焼けした肌、無精ひげが所々に残っている、彫りの深い顔の落ち窪んだブルーの瞳は強烈で、ちょっと見には五十歳でも通るけど、本人は「この星で言うと、百五十歳はとおに越えてるわな」と嘯いていた。

 「この星で」というのはじいちゃんの口癖だった。何かあると「この星で一番美味い料理」とか「この星で一番低俗な町」とか、まるで他の星に行った事があるような言い方をした。ばあちゃんについては名前も知らないし、どんな人だったかもほとんど話してくれなかったけど「この星ではかなり見られる方の娘」だったみたいだ。

 なのでぼくはクォーターだ。父、能太郎は久我山で獣医をやっていた。母は結婚と同時に小学校の教諭を辞めて父の医院を手伝い始めた。そしてぼくが生まれて四年目に二人とも事故で亡くなった。ちなみに能太郎というこれも奇妙な名前はじいちゃんの親友から取ったものらしかった。行き当たりばったりの名前の付け方だ。

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