目次
1 茜の古城
ゼクトの操縦するファンボデレン級の大型シップがホーリィプレイスを出発した。リチャードは途中で別れてジルベスター号で《茜の星》に立ち寄る予定だった。
「《武の星》が防衛するラインまでは問題なく進めるが問題はその先だ。いつ帝国が襲撃してくるとも限らない」
ゼクトが航路を示しながら言った。
「あくまでも目的は《精霊のコロニー》の支援だ」とコメッティーノが言った。「もしも帝国艦と遭遇した時には一目散に逃げる。この面子が推力を開放した時の、相手の驚く顔は見物だぜ」
「よし、いくぞ。リン、別れの挨拶は済んだのか?」
「うん、済んだ。じゃあ皆、マザーと仲良くね」
そう言って、リンは沙耶香たちに手を振った。
「リン」と沙耶香たちの隣に座っていたマザーが声を張り上げた。「無理するんじゃないよ。あんたの体はもう限界に来てんだからね」
シップは飛び立ち、宇宙空間に出た。
「あれ、ゲンキがいねえぞ」
コメッティーノが言うと、ランドスライドが笑って答えた。
「自分のペースで帰るって言ってました。もうぼくのお守りは嫌になったみたいで王先生とばっかり一緒にいます」
「誰でもそうやって大人になっていくもんだ」
コメッティーノが珍しく真面目な顔で言った。
「何だか淋しいです」
「お前には新しい仲間ができた。だからゲンキも身を引いた」
コメッティーノはそれだけ言うと操縦席のゼクトの方へ歩いていった。
ゼクトの予想通り、《武の星》の防衛ラインまでは何事もなく航海が進んだ。途中で出会った烈火の指揮する連邦艦隊のクルーが全員シップの上に出て敬礼をした。
「いよいよここからは連邦の管轄外だ。気を引き締めていくぜ」
防衛ラインを越えると右手が《海の星》、先の左手が《茜の星》でさらにそのはるか先が《精霊のコロニー》だった。
「私はここで降りる。できる限り早く合流するから」
リチャードはジルベスター号に乗り換え、シップを離れた。
シップから見る《茜の星》は山と緑の木々に囲まれた美しい星だった。
ポートが見つからず、山影にシップを停めたリチャードは地上に降りて「ファイル」を開いた。
《ファイル》《茜の星》 - 連邦未加盟。文化レベルは下等。 住民は非好戦的。特筆事項なし。
「……王侯貴族の避暑地か」
リチャードはファイルを閉じて、人のいそうな場所を求めて山を下りた。
やがて眼前に青い水を湛えた湖と湖畔の村が見えた。リチャードは村を目指して空を飛んだ。
村の中ではゆるやかな時間が流れているようだった。石畳の敷き詰められた広場の井戸の周りで数人の原色のロングスカートをはいた女たちが頭に洗濯物の桶を乗せて笑いながら話していた。
「すみません」
リチャードは女たちに近づいて声をかけた。
「お尋ねしたい事があるのですが」
「あら?」
女たちは一斉にリチャードの方を振り向き、顔を寄せてひそひそ声で話し出したが、やがて一人の女が前に進み出た。
「旅行者の方?」
「はい」
「この間来たあの二人と知り合いかしら?」
「何でそれを?」
「同じ雰囲気がしたからねえ」
女が言って笑うと、他の女たちも一斉に笑った。
「彼女たちはここで何をしていましたか?」
女の顔色が強張り、警戒するような表情になった。それを見たリチャードは慌てて言い足した。
「二人のうちの緑の髪の女性は……私の恋人です」
「まあ、そうなの」
女の緊張は一瞬で緩み、再び人懐こい笑顔を浮かべた。
「恋人ねえ、じゃあ心配だろうね」
「何かあったのですか?」
女は他の女たちを振り返って、ひそひそ話をした後、向き直った。
「あの時もここでおしゃべりしてたら話しかけられたのよ――
【村人の回想:よく似た人】
――すみません」
「あら……えっ……あなた、まさか」
「どうかしましたか?」
「ううん、あんまりにもある人に似てたから。ごめんなさいね――
――それで、『茜の古城』に行く道を尋ねられたから、いよいよびっくりしたのよ。わかるでしょ?」
「いえ」
リチャードは混乱した。
「全く意味かわかりませんが」
「あら、そうよね。実はこの村の先に小さな城があるのよ。茜の古城って呼ばれてるわ。今は荒れ果てて見る影もないけど、人が暮らしてた頃はなかなかきれいだったのよ」
「……」
リチャードは女の話すままに任せる事にして、ただ頷いた。
「住んでたのは『錬金候』とその娘さんのカザハナ。候はほとんど城から外に出る事はなかったわ。村まで降りてくるのはカザハナちゃん、色々な用事を嫌な顔一つせずにこなしてた」
「……」
「でもある日を境に姿がぱたりと見えなくなったの。心配になった村の人間が古城まで様子を見に行ったの。そうしたら城はもぬけの殻、候もカザハナちゃんの姿もなかったわ」
「……」
「それ以来、古城は荒れ果てるまま。城で事件があったんだとか、真夜中にうろつく候の姿を見たとか、変な噂が広まって、村の人間も気持ち悪がって近寄らないのよ」
「……」
「ところがあの二人が茜の古城の場所を尋ねたでしょ。あたしは目を疑ったわよ。カザハナちゃんが帰ってきたかと思ったの」
「女性はカザハナにそっくりだったのですか?」
「ううん、よく見れば違ってた。カザハナちゃんは黒髪だったけどその女性は緑の髪だったし。でも後ろからもう一人の青い髪の女性がきて、またびっくりしたわ。二人を足せばカザハナちゃんにうり二つよ」
「……」
「あたしがそう言っても誰も信じてくれないの。でもわかってくれるでしょ。直感ってやつよ」
「カザハナを知らないので何とも言えませんが……姿を記録したロゼッタとかはありませんか?」
「……あなたの言ってる事わからないわ。何それ、飲み物の名前?」
「いえ、いいです。何でもありません。その二人は帰りもここを通ったでしょう。どんな雰囲気でしたか?」
「いやあねえ。あたしだって一日中ここで油売ってる訳じゃないのよ。帰りは会ってないわ」
「わかりました。この道を登っていけば城があるんですね?」
「そうよ、気を付けなさいね」
リチャードは礼を言い、細い道を登り始めた。背後では女たちのひそひそ話が続いた。
急に目の前が開け、平らな場所に出た。小さな山の山頂のようだ。古城というには小さな、赤茶色の石造りの屋敷が建っていた。玄関までのアプローチには草木が無秩序に生い茂り、壁も一面のツタで覆われていた。
リチャードは屋敷内に潜入した。さっきの女の話の通りだとしたなら、オンディヌとシルフィも同じようにここに入ったはずだった。
まず屋敷の全体の構造を把握するために慎重に廊下を歩いた。ざっと見た限りではここに住んでいた錬金候とカザハナの記憶につながるものは見当たらなかった。
左右の塔に狙いをつけて調査を開始した。おそらくシルフィも同じ行動を取っただろう、東側の塔の部屋の観音開きの扉の錠は破壊されていた。
そこはカザハナの暮らした部屋のようだった。ベッドとタンスと机の上の鏡、質素な部屋だった。
机の上の鏡の横に何かが置いてあった跡を発見した。ここにあったのはカザハナの肖像画か、或いは《青の星》で見たような古い技術の写真と呼ばれる記録紙か、今となっては確かめようがなかった。
続いてリチャードは西側の塔に向かった。
観音開きの扉をぎぎぃと開けた。そこは書斎のようだった。無造作に積み上げられたまま埃をかぶっているロゼッタの束、さらに最近では目にする事も少ない、紙の書物の山が目に飛び込んだ。
蜘蛛の巣を払いながら部屋を歩き回っていると、書斎の机の上に開きっぱなしの一冊の書物が目に入った。
手に取ってみると、それは錬金候、ジュヒョウの日記だった。