1.1.3.1. 白花の海

 1.1.3.2. 巨大なるブッソン

1 白花の海

 『海底宮』はその名の通り、建物の大半が海中に建てられていた。他種族との会見場所や奴隷である持たざる者の労働のためのスペースだけが水上に顔を出しているという不思議な作りをしていた。
 水の中の王の間ではワンクラールが重臣を集めて会議中だった。主な列席者はワンクラールの息子レイキール王子、大臣ヤッカーム、そして王族ブッソンの代理の豪傑ムルリ。
「――では『混沌の谷』の件は継続調査としよう。他に懸案事項はあったかな?」
 ワンクラールは最近体調が優れず、声の張りを失っていた。

「はい、恐れながら」
 ヤッカームが口を開いた。細面に切れ長の目、唇は薄く冷酷な印象を受けた。赤茶けたクチクラ質の兜を被るその姿は確かにサソリの末裔と言われればそうだった。
「ローミエ様より、ナラシャナ様を私に娶らせたいというご意向をお伺い致しました」

「口を慎め、ヤッカーム!」
 レイキールが殴り掛かりそうな勢いでヤッカームを睨み付けた。赤毛に珊瑚の髪飾りをつけたまだ成人とは言えない少年だった。

 レイキールはこの男をひどく嫌っていた。粗暴な振る舞いをする訳でも、品のない暴言を吐く訳でもなかったが、どこか心をいらつかせるものがあった。恐らくこの男の発する声がその原因だったのだろう、闇夜に突然鳴き出すトラツグミのように人を不安に陥れる響きがあった。
「貴様ごときが姉上を嫁にしようなどとは言語道断」
「おや、そうですか」
 ヤッカームは怒るレイキールを完全に無視した。
「確か我が王も同じご意見だった記憶がございますが」
「お、うん、そうだったかな……その件については、しばし待つがよい」
「御意」
 ヤッカームは深く頭を垂れた。

 
 王の間にはワンクラールとレイキールが残った。
「父上、いくらお体の具合がよろしくないとは言え、あのような男に姉上を嫁がせるなどもってのほかです」
「ん、ああ、わしもそう思っておる。そうなんじゃが――」

 王の間に多くの侍女を引き連れたローミエが入ってきた。
「我が君、ヤッカームから聞きましたわ。ナラシャナとの婚姻をお認めにならなかったんですって?」
 ローミエはワンクラールよりも圧倒的に若かった。華やかな雰囲気を漂わせた美しい女性だったが、少しばかり目がとろんとしているせいか、知的な印象を受けなかった。
「おお、ローミエか」
 ワンクラールはこの若い派手な妻にぞっこんだった。
 王宮内では今でも亡くなった前女王マイアの人気が絶大だったが、世継ぎとなるレイキールを産んだ、その一点だけでローミエに逆らってはいけない、そんな雰囲気が生まれていた。

「母上、何を言うのです。あんな男に姉上を任せられるはずない」
 レイキールが険しい表情のままで言った。
「まあ、レイは本当にお姉さん想いだこと」
 ローミエは鼻にかかった甘い声を出した。実の息子レイキールを溺愛しているのが一目瞭然だった。
「でもね、お姉さまもいつか幸せにならないといけないでしょ。ヤッカームはしっかりした人間。きっとお姉さまを幸せにしてくれるわ」
「とにかく私は反対です。結婚を認めません」
 レイキールはそのまま王の間を出ていった。
「まあ、レイ。ちょっとお待ちなさい」
 慌てたローミエが侍女を引き連れてレイキールの後を追った。
 残されたワンクラール王は玉座で大きなため息をついた。

 

 1.1.3.2. 巨大なるブッソン

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