6.4.4.14. ネボラ16日 夜

 ジウランの日記 (9)

14 ネボラ16日 夜

 

リンとリチャード

 リンたちはジョンストン提督に開放してもらった入り口から小さな輸送船に乗り、東に向かって地下の水路をひた走り、目の前に船着場が見えた所で船の速度を落とした。
「着くぞ」とリチャードがリンに声をかけた。
「どうするの?すぐに突入?」
「ああ、この船着場から地上まで上らないといけない。急ごう」

 船着場で降りると武装した男たちがあっけにとられていた。リンたちは手向かう者だけを打ち倒し、他は無視して先に進んだ。
「エレベータとかないかな?」
 リンが走りながら言った。
「お前の星の人を運ぶ箱か。あんな拷問器具みたいな形のものはないさ」
「お、そうか。ダレンにあったみたいな光の部屋」
「ポーターと呼ぶ。ポーターを探そう」

 リンたちはほどなくエレベーターホールならぬポーターホールを発見した。そこでは何基ものポーターが行き来するようになっていたが、今は一基も待機していなかった。
「ポーターが来たら『ウーバー』だぞ」とリチャードは言ってポーターが来るのを待った。間もなく一基のポーターが上から降りて、男たちが飛び出した。リンとリチャードは苦もなく男たちを打ち倒してポーターに乗り込み、「ウーバー」と言い、上に上がった。
「ここはまだ最上階ではないな。乗り継ぎしないと」

 上階のホールに着いたが、なかなかポーターはやってこなかった。
「全体を停止させたな」
「大騒ぎになってるんだね」
「時間の問題だ。今のうちに避難してくれた方が被害も少ない」
「……物騒だね」
「ふっ、まるで他人事だな」

 リチャードは屈伸を一回すると飛び上がって天井に強烈な拳の一撃を見舞った。天井はぼろりと崩れ落ち、上階に続く空間が開けた。
「ひゃあ、荒っぽい」
「もう一丁いくか」
 無人の倉庫のような部屋で再度天井に拳を打ちつけた。
 上の階には人がいたようで、床に穴が開いたのに驚く叫び声が聞こえたかと思うと、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す足音が聞こえた。
「リン、こいつらを追いかける。仕留めちゃいけないぞ」

 男たちを追いかけると予想通り男たちは階段へと向かった。
「よし、後は階段を昇っていけば最上階に着く」
 リチャードは下に降りる男たちを無視して言った。
「やっと地上に出れるね」
 階段は四、五階分くらい登った所で終わりになった。しばらく歩くと上に向かって光の筋が連なるポーターがあった。
「よし、これを昇れば地上だ」とリチャードが言った。
「何が出るか楽しみだね」
 二人は空中に上がって地上に続く壁をぶち破った。

 
「ふう、リチャード、ご覧よ。『錬金塔』だ」
 リンたちが行き着いたのは塔の門までわずか数百メートルの地点だった。
「当然だろう」
 リチャードは間近に見る異様な塔に眉を顰めた。下層部には禍々しい彫刻が施され、中層部には悪魔のような生き物が飛び交っていた。
「……『錬金建築』か。悪趣味だな」

「静かだね」
 周囲を見回していると地面が不自然に盛り上がった。そこから蟹か蠍のような生命を持たない機械仕掛けの生物が無数に出現した。
「何か出た」
「リン、構わんぞ。外のコメッティーノや水牙にも知らせてやれ。戦闘開始だ」
「じゃあ遠慮なく」
 リンは剣を抜くと塔の門に向かって天然拳をぶっ放した。天然拳の線上の地上に蠢いていた機械は跡形もなく吹き飛んだ。

 

コメッティーノとゼクト、水牙とGMM

「おい、コメッティーノ。今の音は?」
 塔の北門の近くに潜伏していたゼクトが尋ねた。
「リンがぶっ放したんだ。よし、こっちも突入だ。ゼクト、頼むぜ」
 ゼクトが『真空剣』を放ち、大きな鉄の門は木っ端微塵に吹き飛んだ。

 
 眠っていたGMMも目を覚ました。
「おい、水牙さん、今のは?」
「ええ、始まったようです。こちらも行きましょう」
 水牙が剣を構えようとするのをGMMが止めた。
「こんな鉄の門はわしに任せておけ。眠ったので体力はばっちりだ。お前さんは大暴れに備えて力を取っておきなさい」
 GMMが「グランドマスターメテオ」と唱えると、頭上に燃え盛る巨大な隕石が現れ、鉄の門に襲いかかった。派手な衝撃音と共に鉄の門はぐにゃぐにゃに溶け落ちた。
「さあ、中に」
 あっけにとられる水牙を尻目にGMMは塔の敷地の中に消えた。

 

ゼクトと水牙

 水牙とGMMは敷地内に入ったが、地上を埋め尽くす蟹のような機械に行く手を阻まれ、水牙が地面を凍らせてようやく前に進めるようになった。
「おお、あそこで上がる煙はお仲間じゃないのか」とGMMが水牙に言った。
「……のようですね。おそらくリンとリチャードです」
 水牙は数百メートル先に上がる土煙を見て言った。

 
 北から敷地に入ったコメッティーノとゼクトも足止めを食らったが、ゼクトの『風切の刃』で進路を切り開いた。
「コメッティーノ、あの土煙はリンたちか?」
「みてえだな。急いで合流しようぜ」
「とりあえず、この辺の雑魚は任せておけ」

 
 リンたちも北と南で動きがあったのに気づいた。
「よし、塔の門まで一気に行くぞ」
 リチャードは足元で進路を阻もうとする機械を蹴り飛ばしながら言った。
 塔を中心に三者の距離がおよそ五十メートルになった時に北の方から声がかかった。
「おう、元気か」
 コメッティーノの大声が聞こえた。
「ああ、南からも来ているぞ。水牙ともう一人は誰だ?」とリチャードは答えた。
「多分、GMMっていう隕石使いのじいさんだろ」
「そうか。リンが扉を破るから待っててくれ」
「じゃあ、リクエストに答えて――」

 リンが剣を構えかけた時、中層部で飛び回っていた悪魔のような生き物が一斉に騒ぎ出した。六人が塔を見上げると何百匹という悪魔たちが空を埋め尽くすように整列し、槍を突き出しながら地上に向かって突進してくるのが見えた。
 襲い来る槍の波に対して六者六様、GMMは「メテオ」を打ち込み、ゼクトは風切の刃を見舞った。コメッティーノは目にも止まらぬ動きで急所を突き、リチャードは槍をそのまま受け止め、拳で押し返した。水牙は瞬間に槍の波を凍結させ、リンは天然拳でぶち破った。悪魔たちは隊列を乱したまま、一旦空に戻った。
 リンは地面に倒れた悪魔の正体をまじまじと見た。手足が妙に長く、胴体には目と大きな口がついていた。
「黒い大きなクリオネだ」
 リンは図鑑で見た『流氷の天使』と呼ばれる生き物を想像した。

「おい」とゼクトが大きな声で叫んだ。「次の攻撃が来る前に早く塔の中に」
「皆の衆、わしはGMMだ。わしに任せてくれ」とGMMが反対側から大声で答えた。「この先進んでも足を引っ張るだけだろうから後は頼むぞ」
 GMMは「グランドマスターメテオ」と唱え、頭の上の燃える隕石を悪魔たちの棲家であろう中層部に向かってぶつけた。衝突音とともに中層の一部が破壊された。悪魔たちはリンたちに向かって突撃しようとする隊列を崩して「ぎゃあぎゃあ」と騒ぎ出した。
「今だ」
 リンがその隙に天然拳を塔の扉に向かって発射すると、扉はうめき声のような音とともに消滅し、後にはぽっかりと穴が開いた。

「よし、中に突入だ。GMM、助かったぜ」
 コメッティーノ、リチャード、水牙、リンが中に進んだ。
「あいつら、やはり鬱陶しいな。まとめて面倒見るか」
 空を見上げていたゼクトは、一人で悪魔たちの本拠を目指して空に上った。

 
 塔の内部に潜入したリンたち四人は脇目も振らずに上を目指して進んだ。
「気をつけろよ。錬金建築などどいうふざけた建物だ。空間のつながりなど無視しているはずだ」
 リチャードが皆に声をかけた。

 
 悪魔たちを倒しながら塔の中層部にたどりついたゼクトは破壊された壁の穴から塔の内部を覗き込んだ。そこには悪魔たちの親玉と思しき巨大版のクリオネが鎮座していた。
「お前が親玉か」
 ゼクトは真空剣を親玉に向かって撃ったが、悪魔たちが親を守ろうと剣の進路に立ちふさがり次々に跳ね飛ばされて、辺りには悪魔の死体が積み重なった。
「我が眷属を手にかけた報いは受けてもらう」
 悪魔の親玉がゆっくりと立ち上がった。
「我が名はモリーダダ。貧困な発想の人間は悪魔とかいう呼び方をするが、我は異世界の生まれ。異世界では知られた名家なるぞ」
「……口上はそれだけか」とゼクトは空中に漂ったまま冷ややかに言った。「異世界の名家だか知らんが、化け物の親玉だろ」
「貴様。殺してやる」
 モリーダダとその眷属が一斉にゼクトに襲い掛かった。

 
 リンたち四人は塔の内部の螺旋階段を見つけると、そこを昇って広間のような階に出た。
「気をつけろよ。何かいるぞ」
 リチャードがいち早く警戒の構えを取ると、広間の天井から声が響いた。
「さすがにここまで来るだけはある。私はウエットボア。《流浪の星》の偉大なる神」
 天井からぬるりと壁を這って白く輝く大きな蛇が降りた。
「またもやレプリカの神か」
 あっけに取られるリンたちを横目に水牙が口を開いた。
「どうせ秘密警察の誰かを触媒にしたマンスールの術で、それらしくしているだけだ」
「いかにも。元は秘密警察、この塔の副長官ローヴァンの姿を借りている。だがすでに私はウエットボアそのもの。《流浪の星》で、あのいまいましいニライと闘った時の記憶までしっかりと蘇っているぞ」

「お前のリハビリなどはどうでもいい」
 水牙は『凍土の怒り』を抜いた。
「コメッティーノ、リチャード、リン。ここは某に任せて先に行け」
 リンたちを先に行かせると水牙はウエットボアと向かい合った。ぬらぬらと輝く皮膚を持つ蛇は全長十メートルくらいあるだろう、鎌首をもたげながら言った。
「お望みどおり、締め殺してやろう」

 

リン

 リンたちはさらに階段を登り、今度は真っ暗な部屋に出た。
「何だ、この暗さは。ただ何かの気配はするぞ」
 リチャードの声が響いた。
「ちょっと待って」
 リンが『鎮山の剣』を抜くと剣は光を放ち、松明の代わりに足元を照らした。
「さっすが、聖なる力。色々と役に立つな。よし、慎重に進もうぜ」とコメッティーノが言った。
 ゆっくりと歩を進めたが、暗闇の中で何かが隠れて動いている気配は消えなかった。
「リン、どうした。相手が襲ってこないのだから無視して進むぞ」
 リチャードが先ほどから少し歩いては立ち止まるリンを気にして言った。
「……あ、うん」
 促され再びリンは歩き出したが、ようやく階段まで到達した地点でリチャードに言った。
「コメッティーノ、リチャード。僕はこの階に用事がある。レーザーは君たちで破壊してよ。頼むね」

 リンはリチャードたちが階段を昇るのを見送ってから暗闇に向かって声をかけた。
「……ジョイジョイだろ。そこにいるの……そんな所にいないで出ておいでよ。もう大丈夫だよ」
「うぇわうぇわうぃ」
 返ってきたのは意味不明な獣のような咆哮だった。
「どうしたの?僕だよ」
 リンは剣を鞘に納めると暗闇に向かってゆっくりと歩き出した。

 

コメッティーノとリチャード

 暗闇の広間を抜けると、そこはもう塔の最上部だった。
「レーザー照射装置はもうすぐだぜ」とコメッティーノが言った。
「……うむ、行こう」
 リチャードたちはためらう事なく塔の頂上を目指して走り出した。

 

ゼクト

 ゼクトは空中でモリーダダたちと戦った。押し寄せる槍をやり過ごしながらモリーダダに向かって何度か真空剣を放ったが、その度に手下の悪魔たちが身代わりになって防がれていた。
(これではきりがないな)
 地上で声がした。
「おおい、ゼクトさん。わしが援護するからその隙に」とGMMの声が聞こえた。
 間もなく無数の隕石がモリーダダたちに降り注いだ。眷属の悪魔たちがばたばたと撃ち落とされる中でモリーダダが慌てた。
「我の防御を怠ってはいかん、皆、集まるのだ」
 その瞬間を逃さず、真空剣をモリーダダに向かって放った。今度は手ごたえがあった。モリーダダは塔の壁に叩きつけられ、ずるずると地上に落ちた。
 悪魔の最後を見届けたゼクトは上にいる仲間の所に向かった。

 

GMM

 GMMは塔の門の近くで休息を取っていた。
「もうへたばったのかい。だらしないねえ」
 突然背後から声をかけられたGMMは驚いて振り向いた。
「あ……ま……どうしてこんな場所に?」
「仕方ないだろ。銀河の運命の行方を握る坊やが危機に陥っているんじゃあ、助けない訳にはいかないよ」
「えっ、誰かが死ぬという意味か?」
「それにしてもここは危ないね。嫌なエネルギーが渦巻いてる。あんたは年寄りなんだし逃げ遅れると大変な目に遭うよ」
「……これから何をなさるおつもりで?」
「そうだねえ。直接あたしが助けようと思ったけど、こんなに邪悪なエネルギーが溢れてるんじゃあ、いやなこったね――あいつに頼もうかねえ」
「あいつ……?」
「ここが吹き飛ぶ前に何とかしなくちゃいけない。確かノード岬に来ているはずだけど――あんたも一緒においで」

 

水牙

 水牙は数太刀を浴びせた後、とうとうウエットボアに巻きつかれた。
「ふふふ、このまま骨まで粉々にしてやろう」
「お前こそ某に巻きついたのが運の尽きだったな」
 水牙は締め付けられながらにやりと笑った。
「足元を見てみろ。もっとも蛇だから足はないか」
 ウエットボアが地面を覗き込むと、すでに体の一部が凍りつき出していた。
「うぉ、貴様、何をする。止めろ、止め……」
 水牙はすっかり凍りついた体から抜け出し、ウエットボアを破壊した。
「さあ、上の加勢に行くぞ」

 

リン

 暗闇の中にいるリンの肩に何かが触れた。
「……ジョイジョイ?」
 こわごわ尋ねたが、暗闇の中の何かはすすり泣くような音だけを残して離れていった。
「待ってよ、ジョイジョイ」
 リンは何かが離れていったと思われる方向に数歩移動した。
「うぅわ」
 再び獣の咆哮のような声がしたかと思うと、今度は腕に軽い痛みを感じた。腕をさすってみると、何かが噛み付いた後の歯型のようだった。
「ジョイジョイ、まさか……」

「そのまさか、だ」と暗闇の一番奥から声が上がった。「今、この部屋をうろつく数十名は君の友人、いや、かつて君の友人だった死人さ」
「誰だ?」
 それまで真っ暗だった部屋が一瞬だけ明るくなった。何もない部屋の奥に黒山羊のような角を生やしたローブ姿の男が見えた。そしてその周りには見てはいけないものが蠢くのが見えた気がした。
 今見たものが間違いだとばかりにリンが首を何度も横に振っていると、部屋の奥から再び声がした。
「見ただろう。彼らの姿を。死して尚、この世を徘徊する浅ましい姿を」
「……見てない。何も見てない」
 リンは途切れ途切れに呟いた。
「ならば、今度は声を聞かせてあげよう。もっとも先ほどから耳にしているはずだがな」
 しんと静まり返った暗黒の部屋に地の底から湧き出すような声がいくつもいくつも響いた。その中には聞き覚えのある声が混じっていた。
「……うぃん、うぉうぉうぉわわうぇうぉ……」
 リンは思わず耳をふさごうとした。
「まだ信じたくないようだね。ではご対面といこうか」

 部屋がさらに明るくなったようだ。何も見ないように目をぎゅっと閉じたリンの腕に再び軽い痛みが走った。
 目を閉じたままで噛み付いた相手をぎゅっと抱き寄せ、その顔を両手でつかみ、そして目を開けた。
「……ああ、ジョイジョイ。こんな、こんな……姿になって」
 リンの両目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
 かつてジョイジョイだったものがおとなしくなったかと思うと、その生気を失った両目からも涙がこぼれ落ちていた。
「……うぃん、うぃん、ひ、ひあせふぇ……」
「……うん、わかった」

 リンはかつてジョイジョイだったものの頭を優しく撫でてから部屋の奥のローブの男に向かって言った。
「お前の名前など聞かない。今すぐに消えてもらう」
「これは罰当たりな。神に向かって何という口の聞きようか。大体、我を殺せばこの可哀想な死人たちは二度と元には戻らんぞ。こうなれば意地でも名乗らせてもらう。我が名はルルカ。《魔王の星》の原初の魔王――」
 調子に乗って話すルルカはリンの全身が白く輝き出したのに気を留めなかった。

 

コメッティーノとリチャード

 コメッティーノとリチャードは秘密警察を倒しながら塔の先端にたどり着いた。コメッティーノが制御室に入ってシステムをダウンさせ、リチャードが力任せにレーザー照射装置に体当たりを繰り返した。何回かの体当たりの後、レーザー照射装置はぽきりと折れて、地上に落下していった。
「思ったより、あっけねえなあ」
 山を征服した登山家のようにレーザー照射装置のあった塔の先端部に立ってコメッティーノが言った。
「ああ、これでこの星は半分解放された」とリチャードが答えた。
「おい、見ろよ。水牙とゼクトが飛んでくるぜ。こうなると後はリンだけか」
「そうだな」
 リチャードが言いかけた時、塔に「どすん」という衝撃が走った。

「おい、何だ。今のは?」
 コメッティーノとリチャードが空中に飛び出して様子を見ると、リンが塔の壁を突き破って外に浮かんでいた。水牙とゼクトも何が起こったのか動きを止めて様子を見ていた。
「……まずい。あの時と同じ、いや、それ以上だ」とリチャードは言った。「おい、水牙、ゼクト、聞こえるか。できるだけ塔から離れろ」
「リチャード。急にどうしたんだ?」とコメッティーノが尋ねた。「それにしてもよぉ、あのリンの様子、体が光ってねえか」
「コメッティーノ、頼みがある」とリチャードは言った。「何があってもリンを捕まえてくれ。お前のスピードだけが頼りだ」

 
「それ以上、しゃべるなああああ!」
 リンはルルカに向かって天然拳を放った。

 
 東の『砂漠の村』でたまたま一部始終を見ていた男が、後にこの時の様子を語った。
「あの塔の周りを天使が飛んでたんだよ。そうしたら塔が一瞬で消えちまったのさ。それからネコンロ山が崩れて、こっちは洪水で大騒ぎさ」

 
 提督ラカ・ジョンストンは風笛島で逃亡する秘密警察の捕縛を指揮しながら、事の成り行きを見守っていた。
 ジョンストンにはその瞬間、塔がまるで手品で消えたように見えた。そしてネコンロ山が半分崩れ出すと、ぐぅーという低い音が島中に響き渡るのを聞いた。
「山が崩れた。総員退却。急いで沖合まで逃げるんだ!」
 後で思い返せば、よく的確な命令が出せたものだと思う。崩れた山の土砂は地下の海道を押しつぶし、行き場のなくなった水が島に突進したのだから、そのまま留まっていれば大惨事になっていただろう。

 
 ダグランドで状況を見ていたパパーヌとアンドレアスは塔が消えた後、足元の地面がまるで飴のようにうねり出すのを感じた。
「アンドレアス、まずいぞ。空だ。逃げるんだ」
「え、でも」
「命が大事だ。言う事を聞け!」
 パパーヌは空に飛び上がり、何かが目にも止まらぬ速度で飛んでいくのを目撃した。
「『持たざる者』。彼らが何を持っていないというのだ。何も持っていないのは我々ではないか」

 
 ドン・ブーロはホワンの肩を抱いて慰めていた。
「なあ、ジョイジョイの事はもうあきらめようじゃないか」
「ええ、でも」
 ホワンが言いかけた時、屋敷の外で誰かが「錬金塔がなくなったぞ」と叫ぶ声が聞こえた。
 ドン・ブーロとホワンの喜びもつかの間、猛烈な地鳴りとともに地震がダーランの町を襲った。この地震でリンが初めてジョイジョイに出会った海岸は消滅した。

 
 モータータウンの張先生は教え子たちとファクトリーから戻る途中だった。
「ん、何だ、今の音は?シップでも撃ち落されたか?」と張先生が教え子の一人に尋ねた。
「いや、もっと大きな音でしたから――」
 次の瞬間、一同は立っていられないほどの地面の揺れに見舞われた。

 
 サディアヴィルではジャンルカがサフィと聖アダニアに祈りを捧げていた。気がつくと寝たきりのはずのワット枢機卿が背後に立っていた。
「卿、どうされたのですか。寝ていないとお体に触ります」
「……恐ろしい。恐ろしいほどの力が、この星にはびこった邪悪を飲み込もうとしている」
「……それは?」
「マンスールはもう長くない。私が旅立つよりも先にいなくなるだろう。そして新しい時代が来るが、それは一体……ジャンルカ、しっかりやるのだぞ。未来はあなたにかかっている」
 ワット枢機卿はそれだけ言って寝室に戻った。
「兄上、錬金塔を制圧したのですね」

 
 リチャードは今回も目を開けていられなかった。眼下のリンの体が白い光の矢となって塔の暗闇の部屋に向かった。以前銀座で放った時よりも、《愚者の星》の時よりも、もっともっと大きなエネルギーが放出されたのだろう、目を開けた時にはあの巨大な塔が跡形もなく消滅していた。
 急いでリンの姿を探した。そして宇宙空間へ吸い込まれるように上昇するリンを発見し、コメッティーノを肘で突いた。
「コメッティーノ。あれだ。追いつけるか?」
「……わからん」
 コメッティーノは猛スピードでリンを追った

 水牙とゼクトがリチャードの下へ飛んできた。
「これほどまでに凄まじいとは」とゼクトが言った。「見ろ。山が半分崩れ、東の砂漠に水が入り込み、西は海岸まで地形が変わろうとしている」
「リチャード、何があったのだ?リンをあれほどにしてしまう何が?」と水牙が尋ねた。
「……わからない。今はコメッティーノだけが頼りだ」

 コメッティーノはあらん限りの速度でリンを追ったが距離はなかなか縮まらなかった。
「まずいな。このままいくと大気圏だ。その前にあいつの体が持たない」
 更に加速し、ようやくリンを近くに捉えた。
「よし、もう少しだ。さあ、リン。おれの手に捕まれ」と言って手を差し伸べた。
 指先がかすかに足先に触れたその瞬間、リンの体は霧のように消えた。
「あ……なんてこった。おい、リン。出てきやがれ。出てきやがれ」
 コメッティーノの叫びだけが虚しく響いた。

 
 リンは塔の暗闇の部屋にいたルルカに向かって天然拳を放った。辺りが白い光に包まれたかと思うと体が軽くなるのを感じた。
 隣を見るとジョイジョイとその仲間が一緒に空を飛んでいた。
「ヤッハ、リン。ありがとうな。おかげで助かったよ」
 ジョイジョイがウインクをし、仲間の笑い声がした。
(だめだよ、ジョイジョイ。生きてもう一回サーフディスクするんだよ)
「もう会えなくなるのは残念だけど楽しかったよ。ぼくたちの分まで人生楽しんでよ」
 仲間のはやすような声がした。
(だめだよ、だめだよ。ホワンやドン・ブーロが悲しむじゃないか)
「そろそろ行くよ。本当にありがとう……そしてさようなら」
(だめ、だめ、だめだああ)
 リンは意識が遠のくのを感じた。

 

 ジウランの日記 (9)

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