6.4.4.12. ネボラ15日 夜

 6.4.4.13. ネボラ16日

12 ネボラ15日 夜

 

西 ニカ台地

 パパーヌはリンとリチャードがダーランに向かって走り去るのを空中から見届けた。
(せいぜい頑張れよ……そう言えば彼らに何か伝え忘れたような……そうか、ダーランの移民局で見かけた顔に傷のある男の件か……まあ、思い過ごしだな)

 
 パパーヌがニカ台地の頂上に降り立つと、そこには漆黒の翼を持つ二人の男が待っていた。
「用事は済んだか」と一人の男が尋ねた。
「ポロキス、イスドロスキス。待たせて悪かったな。アンドレアスは無事保護した。もう安心だ」
「ふん」
 ポロキスと呼ばれた男が鼻を鳴らした。
「『持たざる者』に尻尾を振る犬を助けてどうする」
「そう言うな」とパパーヌが言った。「今の銀河で生き抜くためには仕方ないのだ」
「奴らなど排除してしまえばいいんだ。おれはこの星に来てから幾度もその衝動に駆られているぞ」
「《鳥の星》に住んでいるからそういう事が言えるのだ。《守りの星》ではそうはいかないのが現実だ」
「軟弱な奴め」
「何だと」
「そのくらいにしておけ」と黙っていたイスドロスキスが言った。「早く作業を再開しよう。いよいよ雲行きが怪しくなってきた」
「うむ、明日の夜には想像もつかない大事件が起こる。何としても今夜のうちに発見しよう」
「スクートの末裔たるパパーヌとプトラゲーニョの末裔の我々が過去の文献や日記を綿密に調査した結果がこの場所なのだ。間違っているはずがない」
「『比翼の中、すり鉢の地にシャイアンの魂を埋めん』、《古の世界》を知っている訳ではないが、ここの景色は『比翼山地』によく似ていたのであろうな」

 三人の『空を翔る者』は黙々と地面を掘り続けた。やがてパパーヌのシャベルに「かちっ」という硬いものが当たる音がした。
(……これは間違いなく、文献で見たシャイアンの頭石……しかし、どうする。言うべきか)
 パパーヌは怪しく光る丸い石をそっと懐に納めてからイスドロスキスの方に向き直った。
「どうした、パパーヌ。何かあったか?」
「いや、何も」とパパーヌは言った。「実は用事を思い出した。急いで帰らないといけない……シャイアンの頭石があるのはこの場所ではないのかもしれないな。もう一回それぞれの星で文献を調べて集まろうではないか」
 パパーヌは一方的に言って空に飛び立った。
(勘付かれたかもしれないな。まあ、いい。後はアンドレアスを連れて安全な場所で明日のイベントを見物としゃれこもう)

 
 ニカ台地の頂上にはポロキスとイスドロスキスの二人が残された。
「何だ、あいつ」とポロキスが言った。「白い翼が恰好つけやがってよ」
「ポロキス、気がつかなかったか」とイスドロスキスが言った。「奴は去り際に『シャイアンの頭石』と言った。文献には『シャイアンの魂』としか記されていなかったのに、奴はそれが石だと知っていた。これは何を意味する?」
「あ、あの野郎。持ち逃げしやがった」
 ポロキスは飛び立とうとした。
「ぶっ殺して奪い取ってやろうぜ」
「まあ、あわてるな」とイスドロスキスは不敵に笑った。「いつでも奪うチャンスはある。今日の所は見逃してやろう。それよりも間もなく起こる大事件を見物しようではないか」

 

西 ダーラン

 リンたちは走り続けて、夕方にダーランに着いた。
「そうだ。ジョイジョイに会ってこうよ」
「ジョイジョイ?」
「一緒に町から秘密警察を追い出した仲間だよ」
 ホワンの店に入ると店内にはしかめっ面をした女主人が席に座っていた。
「こんにちは、ホワン。ジョイジョイは?」
「……ああ、リン。それがね――」

 ホワンの話では、ジョイジョイとその仲間が数日前から姿を見せていないらしかった。その後で寄ったドン・ブーロの屋敷でも同様だった。
「まったく仕方のない奴じゃ。責任を持って町を守らないといけない立場なのに。幸いにして、その後秘密警察は来ないからいいが」
 ドン・ブーロは困り顔で言った。
「探してみますよ」とリンは言った。「ところでここの西の海って何があるんですか?」
「西の海?『風笛島』という岩だらけの島があるだけだが。あんな場所、行っても無駄じゃぞ。バトルシップがうようよしているからな」
 二人は礼を言い、屋敷を去ろうとしたが、ドン・ブーロが泊まっていけというので好意に甘える事にした。

 

南 ホーリィプレイス

 夕刻になって、水牙たちはゲルズタンの隣のホーリィプレイスの町の近くまできた。水牙の胸にはナッシュから託された赤い石がぶら下がっていた。
「兄貴、どうしたんだい。そんな燃えるような赤い石を付けてちゃ、『水の楼閣』には入れないぜ」
 雷牙が茶化すように言った。

「預かった物だから失くしたくないだけだ。赤いと言っても色だけだろう」と水牙は言った。
「いや、おれにはわかるよ。その石には強大な炎のパワーが封じ込められている……なあんてな」
「ただでさえ『凍土の怒り』の力を引き出せなくて弱っているんだ。楼閣に入れなくなるなどというつまらん冗談は止めてくれ」
「兄貴はマジメすぎんだよ。何かきっかけがありゃあ、ちょちょいと使えるようになるって。大体その剣にそんな力が眠ってんのかよ――いっちょ白龍に聞いてみるか」
 雷牙は一団の後方をのんびりと歩く白龍を呼びに行った。

 
 白龍が雷牙に連れられて隊列の前方にやってきた。
「なあ、白龍。兄貴の持ってる剣は本当にすげえのかい?」
「知らないよ」
 白龍はあっさりと答えた。
「でも水牙あんちゃん、声を聞いただろ?」
「ああ、声の主は『氷の精霊グレイシャー』と名乗った。それによればこの剣は元々《古の世界》の『水に棲む者』の遺物らしい」
 雷牙が信じられないという表情を見せた。
「本当か、白龍?」
「わかんないよ。おいら、頼まれただけだもん」
「いつ頃だい?」
「忘れた」と言って白龍は考え込んだ。「でもずいぶん経つよ。だってプララトスやアダニアがいた頃だもん」
「伝説の時代だな」と雷牙があきれたような声を上げた。「って、おい、お前まだ子供だろ。話作んなよ」
「人間と一緒にすんな」
 白龍は頬をふくらませた。
「おいらたちは気が遠くなるくらい長く生きるんだ。そもそもの数が少ねえ上にディヴァイン様が――」
「うぉほほ、元気じゃの」
 いつの間にか王先生と青龍が近くにいた。
「白龍、そのくらいにしておけ。後はわしから話そう」
「はい」
 白龍は素直に引き下がり、青龍の傍らに付き従った。

 
「そもそも、わしがお主らと一緒に行動をするようになったきっかけも知らんじゃろ」
 王先生はしわくちゃの顔でもごもごと話し出した。
「お主らの父、公孫転地は若い頃にデズモンド・ピアナと一緒に冒険をしておったのは知っておるな。わしは《鳥の星》でデズモンドと転地に会ったのじゃがひどく意気投合してな、そのまま冒険に加わり、今に至っておるのじゃ」
「先生は何故そんな星に?」と水牙が尋ねた。
「わしはな、《古の世界》の崩壊により散り散りになった龍族の仲間を探しておる。お主たちが生まれる少し前に青龍を発見し、そしてお主が白龍を連れてきた。そうやって少しずつ龍が増えておる」
「……そもそも龍族とは?」と水牙が訝しげに言った。
「難しい質問じゃな。知っての通りほとんど伝説の種族じゃ。『起源なる竜』ウルトマを経て、『龍の王』ディヴァイン、『全知竜』黄龍、『死を運ぶ竜』黒龍……皆、《古の世界》に蘇ったのじゃ」
「しかし《古の世界》は崩壊したと聞きます。無事だったとは思えませんが」
「言ってもわからんじゃろな。崩壊の時にディヴァインが皆を安全な場所に飛ばしたのじゃ。だが弱っていたディヴァインでは空間を完全に制御できなかった。それにより皆、今の世界で記憶を失いながら生きておる」
「……、……先生、先生はもしかすると」
「おお、水牙。ホーリィプレイスの町が見えたようじゃ。話の続きはいずれな」

 
「おいおい、これのどこがホーリィなんだよ」と雷牙が大声を上げた。「一大歓楽街じゃねえかよ」
 一行は町の入り口に森の木々のように密集する毒々しい看板と、目抜き通りに立ち並ぶ、けばけばしい建物の前に立った。
「これでも宗教の中心地ですよ」とドウェインが言った。「聖プララトスがこの町を開いた頃はナーマッドラグという地区だけで、そこには立派な寺院が建っているのです。ただ自由を重んじるプララトス派の教えが拡大解釈されたのでしょうな。いつの間にかこんな町に発展したんです」
「ふーん、そんなもんか」
 雷牙は感心したようだった。
「じゃあおれは決戦に備えてクラウド・シップを近くに呼んでおこう」
「雷牙、気をつけろよ」と水牙が言った。「ここは本土だ。あまり目立った動きをするとレーザー砲で撃ち落されるぞ」
「水牙さん」とドウェインが言った。「連絡があってGMMは今夜半には追いつくようです。それまで待機していた方がよろしくありませんか?」
「コメッティーノたちの動きからすると、明日の夜には『錬金塔』――長時間は待てませんがそうしましょう」

 
 真夜中過ぎにバイクの一団が到着した。先頭のルカレッリのバイクのサイドシートには一人の大柄な男が乗っていた。
「ドウェイン。活躍しているようだな」
 GMMが足をひきずりながらバイクから降りた。
「いえいえ、強力な助っ人がいらっしゃってくれたおかげです」
 ドウェインはそう言って水牙たちを紹介した。
「こっちもだ。あんたの友達のコメッティーノには世話になったよ」
「さて、積もる話はあるでしょうが」とドウェインは言った。「早速、ホーリィプレイス奪回作戦の実行に移りたいのですが」
「マザーのためにも何としても解放しなくてはな」
 GMMは言葉に力を込めた。

「では作戦を話します」
 ドウェインは事務的に物事を進めた。
「ご存知の方もいるとは思いますがホーリィプレイスは大都市です。東から歓楽街のルスコ、ノリズ、デーグバヤ、コイガフチ、ホッポイン、ギリパーン、そして、一番西に宗教地区ナーマッドラグ、全部で七地区から構成されています。理想は全地区を一斉に攻めて一気に制圧する事です。それにより戦線のいたずらな拡大を避けられると思います」
「ふむ、もっともですな。某と雷牙で一番西のナーマッドラグに向かいましょう。クラウドシップで行けばすぐに着くでしょうし」
「ありがとうございます。一番近いルスコ、ノリズはGMMにお願いしましょうか」
「ああ、近いと助かる」
「デーグバヤ、コイガフチはシェイ将軍の指揮の下で臨機応変に動いて下さい。残りは王先生たちにお任せします。作戦本部は……そうですね、ルスコの広場に私やミミィさんが陣取りましょう。制圧に成功したら白の花火を、トラブルの際には赤の花火を打ち上げて下さい。何かあったらそちらに向かいます。くれぐれも……どうにも無理を言っていますね。とにかく命が大事です。まずはルスコに向かいましょう」

 
 水牙たちは夜の町の大通りに入った。非常時のためか、ぴかぴか光る電飾こそ消えていたが、むせかえるように猥雑な雰囲気はそこかしこに漂っていた。
 広場に近づくとドウェインが忠告した。
「そろそろ秘密警察が潜んでいる可能性があります。気をつけて下さい」
「大丈夫だ。一切気配はない――ドウェイン、マップを見せてくれないか?」
 水牙はドウェインの地図に似せて地面におおまかな地図を描き、それぞれの地区に一滴ずつ水滴を垂らしていった。
「水導!」
 そう唱えると、ナーマッドラグに垂らした水滴だけが大きく震えた。
「やはりな」と水牙が呟いた。「どうやら敵の主力はナーマッドラグにいるようです。他の地区は問題なく制圧できますから、できるだけ早くナーマッドラグに集合しましょう」
「は、はい」
 ドウェインは目を丸くした。
「しかし水牙さんは何でもできるんですねえ。感心しました」
「いえ、器用貧乏ですよ」
 水牙は自嘲気味に笑いながらシップに向かった。

 
 クラウド・シップがナーマッドラグ地区に低空飛行で着いた頃、最初の白い花火が上がった。
「あれはルスコか。総員配置に着いたな。我々も急がないと」
 水牙たちはクラウド・シップを無人の公園らしき場所に停め、ナーマッドラグ地区に入った。
 ナーマッドラグの通りはしんと静まり返り、静謐な空気が張り詰めていた。もしも水牙がアダニア派の聖地、サディアヴィルを訪れた事があったなら、その類似性に驚いただろう。
 さらに数発の白い花火が上がった。水牙の予想した通り、敵の主力はこのナーマッドラグに潜むに違いなかった。
 澄んだ空気は通りを進むにつれ薄れて、代わって例えようのない嫌な臭いが鼻をつくようになった。臭いは段々とひどくなり、さらに獣のような唸り声も聞こえた。

 
 水牙と雷牙は慎重に歩を進め、円形の広場に足を踏み入れた。
 水牙たちが近づいていくと、広場の奥で蹲っていた何かがゆっくりと立ち上がった。広場の中心には噴水とプララトスの像があったが、立ち上がった大きさはそれらをはるかに越え、十メートル近くはあろうかというものだった。二本の大きな角を持った雄牛の顔に人間の体、手には重たそうな鉄の棒を携えていた。

 
「我が名はヴェリク。《誘惑の星》の創造神にして破壊神。マンスールとの契約によりお前たちを排除する」と声が響いた。
「雷牙。お前は下がっていろ。こいつは危険だ」
 雷牙を退かせた水牙はヴェリクに向かい合った。

「我は星の最高神。皆、我にひれ伏し、崇めた」
 ヴェリクはお構いなしに語り続けた。
「だがあの閃光覇王とシロンのせいで邪神に貶められて以来、日陰の存在だ。積年の恨み、今こそ晴らさせてもらうぞ」
「ヴェリクとやら」と水牙は冷静に答えた。「ここは《誘惑の星》でもなければ、今は閃光覇王の時代でもないぞ。何故、ここにいる?」
「マンスールとの契約だ。秘密警察の人間とやらの肉体を触媒としてこの世に呼び戻された」
「なるほど。単なるレプリカか。こけおどしの邪神だな」
「愚弄する気か。まあ、よい。こけおどしかどうか、まずは貴様を血祭りに上げてやるわ」
 言うなり、ヴェリクは鉄の棒を振り回した。
 ヴェリクの振り下ろす鉄棒を水牙は寸前で避け、凍土の怒りを抜いた。
(剣よ。某に力を貸し、真の力を見せてくれ)
 水牙はヴェリクに斬りかかったが、大きな角に簡単に跳ね返された。水牙の願いは叶わず、凍土の怒りに何の変化もなかった。仕方なく水牙は「水流」、「水壁」、「水弾」と目まぐるしく唱えながらヴェリクに向かったが、全くダメージを与えられなかった。
(くっ、これではボンボネラの二の舞だ。人間の肉体を借りたレプリカとはいえ、神に勝つためには奥義『五行合一』レベルの技がないとだめか)

 水牙は振り回す鉄棒の勢いにじりじりと後退して、やがて広場の端の教会の壁に追い込まれた。ヴェリクの狙いすました一撃が壁を背にした水牙を襲った。
「渦潮!」
 水牙の体から水が噴き出し、螺旋状の水流となって鉄棒に体当たりを食らわせた。ヴェリクはその勢いに押され、もんどりうって倒れた。
「……相討ちか?」
 水牙は地面に膝をつき、肩で息をした。ヴェリクの鉄棒の勢いを完全に削ぐ事ができずに足にダメージを受けていた。
 ヴェリクがゆっくりと立ち上がった。
「相討ち狙いとは驚かせる。しかしこの通り何のダメージも受けておらん」
 水牙も慌てて立ち上がろうとしたが、足が言う事を聞かなかった。
「万策尽きたようだな。神に逆らおうなど片腹痛いわ」
 ヴェリクはゆっくりと狙いを定め、鉄棒を思い切り頭の上に振り上げた。

「兄貴、危ない!」
 クラウドシップで駆け付けた雷牙が空中からヴェリクの左の角に雷をお見舞いすると、ヴェリクは再び倒れ、ぴくりとも動かなくなった。
「へへへ、どんなもんだい」
 雷牙が軽口を叩いたその時、ネコンロ山頂の錬金塔が高度を上げ過ぎたクラウド・シップを捕捉し、塔から一筋の光が放たれた。光はシップに命中し、シップは煙を上げながら地面に落ちた。
 青龍が低空に現れ、落下するシップを地面すれすれで受け止めた。青龍の背中に乗った王先生が見た事のない素早さで操縦席の雷牙を引きずり出し、地面にそっと横たえた。
 すぐに白龍がミミィを背中に乗せて現れた。シェイ将軍の部隊も駆けつけて、現場は大騒ぎになった。

 
 何が起こったのか、水牙にはよく把握できなかった。ようやく立ち上がり、ふらふらとシップの残骸の方に歩いた。人だかりの中心ではミミィが懸命に雷牙の蘇生を試みていた。
 水牙が近づくと人波がすぅっと割れた。ミミィは水牙の顔を見つけると泣き笑いのような顔になった。
「私にできるのはここまで。水牙、話をしてあげて」
 水牙は言われるままに横たわる雷牙によろよろと近づいた。

「……ああ、兄貴。ドジ踏んじまったぜ」
「……」
「……ごめんな。最後まで付き合えなくってよ」
「……雷牙」
「そんな顔すんなよ。なあ、兄貴。凍土の怒りはよ、やっぱり兄貴にしか――」
「……雷牙?」

 

【水牙の回想:雷牙】

 ――某は開都にある父、公孫転地の執務室の椅子に腰掛けていた。
「父様。弟はいつ来るのでしょうか?」
「全く父の仕事場にまで押しかけてきて何事かと思ったぞ」
 父は仕事の手を休めて某に話しかけた。
「水牙。待ち遠しいか?」
「はい。待ち遠しゅうございます。でも『風の子』なのでしょう。『水の子』の私は仲良くできるのでしょうか?」
「水牙」と父は優しく言った。「『風の子』とか『水の子』と言うのは五元のいずれに長ずるかに関する長老たちの予言。別に相性の良し悪しではないのだ。それよりもお前ももう五歳だ。兄として弟の面倒を見てやるのだぞ」
「はい」
「これを知っておるな」
 父は執務室の奥から黄金色に輝く槌を手にして戻った。
「これは友人デズモンドと《茜の星》で手に入れたヴァジュラという武器だ。記念に、ともらったが『風の子』ならば使いこなせるだろう――水牙、羨むでないぞ」
「はい。某は『水の子』。その武器は必要ありません。いつの日か得物を自分で見つけます」
「うむ、よく言った。間もなく赤子は母と共に戻る頃だ。特別に許す。ここでもうしばらく待っているがいい」

 
 某は十歳になり『五元楼』の修行に出た。出発の日、弟は某の足にまとわりついたまま離れようとしなかった。
「兄ちゃん、雷牙も一緒に行きたいよぉ」
 雷牙は半分べそをかいていた。
「よいか、雷牙」と某は弟の頭を撫でた。「これは修行なのだ。十歳になれば誰でも行かなければならない。お前もあと五年経てば行くんだよ」
「もう遊べないの?」
「いや、長老たちの見立てでは某は強き『水の子』。水の楼閣での修行にさほど時間はかからない。すぐに帰ってきて、そうしたらまたお前と遊んであげよう」
「ほんと、約束だからね」

 
 某は十七歳、弟は十二歳になった。開都の五元楼の近く、紅桜の花は満開で、この季節の《武の星》は真っ赤に燃えているように色づいて見えた。
「兄貴、どうしても行くのかい?」
 『風の楼閣』での修行を抜け出してきた雷牙が尋ねた。
「ああ、父上が外で見聞を広めてこいと言われるのでな」

 背後の五元楼を見上げた。空中に浮かぶ五つの円形の建物、『地の楼閣』、水の楼閣、風の楼閣、『火の楼閣』、そして『金の楼閣』。さらに選ばれた者だけが行ける『合一楼』というのが最上部にあるそうだが地上からは見えなかった。
「そうだよな。兄貴は頭いいんだし、連邦大学に行った方がいいよ。おれは勉強きらいだから無理だけど。ここの修行もとっとと終わらせて遊びまくりたいよ」
「ふふふ、お前らしいな。しかし長老がおっしゃっていたぞ。お前は筋がいいとな」
「一年もかからないで修行を終えた天才に言われても慰めにしか聞こえないよ。まあ、でもこの古臭い星のしきたりに革命を起こすには兄貴が外に出ていくのが必要だと思う」
「難しい事を言えるようになったな――お前の言う通りだ。これから《武の星》、《将の星》を担う某たちや附馬の兄弟たちはこの星に張り付くのではなく、もっと見聞を広めなくてはならないのだ」
「あーあ、おれも修行が終わったらダレンに遊びに行くよ。じゃあ、修行に戻るから」

「雷牙」
 某は去っていく弟の背中に声をかけた。
「ヴァジュラは使いこなせるようになったか?」
「おかげさまで」と弟は振り返ってにやりと笑った。「他の修行は大嫌いだけど、ヴァジュラだけは大好きさ――

 

「――水牙、水牙」
 王先生に肩を思い切り揺さぶられて水牙は現実に引き戻された。
 前には目を閉じた雷牙が静かに横たわっていた。
「……某が……」
「ん?何を言っている?」と王先生が聞き返した。
「弱いばかりに弟を失った。弟一人、守る事すらできなかった」
「……」

 王先生がその場を離れようとした時、広場の反対側で叫び声が上がった。
「化け物が生き返った!」
 雷牙の周りにいた人間たちも一斉にヴェリクの方に走っていった。水牙はクラウドシップの残骸からヴァジュラを拾って、それを雷牙に握らせた。そして雷牙のもう一方の手を握った。
「雷牙、兄がお前の仇を取る」
 水牙は立ち上がると凍土の怒りを抜き、話しかけた。
「いっそこんな世界など破壊してしまおうではないか」
 凍土の怒りがきらっと光り、剣身から猛烈な冷気が発せられた。
(お前の覚悟、受け止めた。今、ここに力を授けよう)
「うおおおぉ」

 
 広場の反対側でヴェリクを遠巻きにしていた人々は、突然背後から猛烈な冷気が吹き付けたのに驚き振り向いた。そこに鬼神の表情をした水牙が立っているのを見て自然と道を開けた。青龍と白龍が空中で様子を見守る中、水牙は再びヴェリクに向き合った。

「懲りもせずにまた来たか」
 ヴァジュラの直撃を受けたヴェリクの顔の左半分は醜く崩れ落ちていた。
「今度は容赦せんぞ。跡形も残さず潰してくれる」
 水牙は構わずヴェリクに近づいた。一歩、また一歩進む毎に刀身から出る冷気は増して、周辺の空気を凍り付かせた。
「どうやらそれが貴様の本気のようだな。しかしこの距離に不用意に入ったのが運の尽きだ」
 ヴェリクが鉄棒を水牙に向かって振り下ろすと、水牙は剣で鉄棒を正面から受け止めた。
「ははは、よく受け止めたがこのまま地面にめり込ませてくれるわ」
 ヴェリクは力任せに水牙を押しつぶそうとした。

 水牙は息を大きく吐いた。すると剣身と触れ合うヴェリクの鉄棒が凍り始めた。みるみるうちに鉄棒は凍りつき、鉄棒を握るヴェリクの右手も凍り出した。
「ちょこざいな。我を凍りつかせるつもりか」
 ヴェリクは空いている左手で水牙を振り払おうとしたが、突然その動きが止まった。
「あ、足が」
 何かを言いかけたが、足元から上半身に向かって猛烈な勢いで凍っていった。やがてヴェリクは左手を上げかけたまま全身が凍りつき、まるで氷の彫像のように固まった。

 水牙は凍りついたヴェリクから体を離すと何事かをつぶやき、空中に舞い上がり剣を振り下ろした。氷の彫像となったヴェリクは粉々に砕け散った。
 水牙は何もなかったかのように広場に降り立ち、再び雷牙の下へと歩き出した。広場で遠巻きにしていた人々は言葉を失い、誰も近寄ろうとしなかった。近寄ればヴェリクと同じように凍りつく、水牙の発する冷気はそれほど凄まじかった。
 王先生は青龍の背にまたがりながらため息をついた。
「やれやれ、どうやら怪物を誕生させてしまったかもしれんな」

 

 6.4.4.13. ネボラ16日

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