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6 ネボラ12日
王宮
「各地の暴動ですが」と文官が報告した。「ヌエヴァポルトについてはコメッティーノらしき者が、ダーランについてはリン文月らしき者がそれぞれ中心的役割を担ったとの報告が届いております。フォローについては未だ詳細不明ですが、恐らくリチャード・センテニアではないかと」
「連邦のエースどもか」とマンスールは唸った。「あやつらであれば手際の良さもわかる。どうせ水牙やゼクトも浸入しているのだろう」
「こうなったからには連邦議長コメッティーノを一刻も早く――」
「ええい、気が治まらぬ」
マンスールは文官を一喝した。
「コメッティーノやリチャード・センテニアは一角の人物だが、小童に過ぎぬリン文月に手玉に取られたのが悔しくてたまらぬ――ダーランの暴動の首謀者の名はわかっておるか?」
「はい。ダーランの顔役、ドン・ブーロの孫でジョイジョイという若者です」
「それも若造か」
「そのようです」
「……ム・バレロはリン文月こそ恐れるべき男だと言っていた。ここは一つ、奴の精神をずたずたに切り裂いてやろうではないか」
北西 フォロー
リンは昼過ぎにアトキンソンと一緒にフォローの町に着いた。宿屋にリチャードの姿はなかった。
「まだ帰ってないようだ」
アトキンソンが額の汗をふきながら言った。
「どこに行ったの?」とリンが尋ねた。
「北西のノードという岬に『幻の城』があると教えたので、行ったのだろうが……サディアヴィルに寄ったかな」
「……?」
「幻の城は単なる噂話だがね。サディアヴィルはアダニア派の聖地、ワット枢機卿が幽閉される小さな町だ」
「ジャンルカが?」
「ああ、いる。きっとリチャードは弟さんが心配で立ち寄る」
「ふーん、じゃあここで待ってた方がいいのかな」
「そうだな、リン。君も一昨日、大立ち回りを演じたらしいじゃないか。少し休んだ方がいい」
「大した事じゃないけど――それよりダーランの人たちは本当に大丈夫かなあ」
「私が着いた時には大分落ち着いたようだが、熱にうかされるとでもいうのかな、異常な興奮状態に陥った集団は確かに危険だ」
「うん、皆、若いからアトキンソンさんみたいに落ち着いた人がいないと。僕も『ビバヒガント』の大合唱を聞いてたらおかしくなったもん」
「彼らが勢いでアブラモビッチを始め、秘密警察全員をリンチして死に至らしめた事は忘れたまえ。私も出来る限りダーランを気にかけるように努めるよ」
リンの心は晴れなかった。
ダーランの人々には虐待された恨みが蓄積していたのだろう、捕らえた秘密警察は広場の中央に引き立てられた。深夜だったにも関わらず、松明の灯りで広場は燃えるように明るく、「ビバヒガント」の大合唱は鳴り止まなかった。
やがて誰かが呪いの言葉を吐きながら石を投げつけた。すると一人、また一人と石を投げ出し、辺りは狂騒の渦に巻き込まれた。
リンはジョイジョイたちと一緒に市庁舎のバルコニーに座って休憩していたが、突然に眼下で始まった公開処刑を目の当たりにしてどうする事もできなかった。
「リン」と言ったジョイジョイの顔は青ざめ、声もかすれていた。「こんな事になるなんて考えもしなかった。町の人は皆、穏やかで、優しくて――」
「ジョイジョイ」とリンは言った。「僕のミスだ。秘密警察をどこかに縛り上げておけばよかったんだ」
「いや、彼らはああなっても仕方ない運命だったんだよ」
「うん……でも」
暴力の連鎖に過ぎないじゃないか、と言いかけて止めた。自分だって熱狂に浮かれて、何人かの男を市庁舎屋上から投げ落としたではないか。自分も同罪だ。今、眼下でリンチを行っている人たちだって時が経って落ち着けば、元の穏やかで優しい市民に戻るのだ。
北 サディアヴィル
サディアヴィルはノード岬のある半島を東に行った別の半島にあった。そこをさらに東に向かって海を越えれば、帝国の王宮があった。
そこは聖アダニアがその教えを実践するために開いた地だった。清貧を旨とし、祈りを生活の中心に据えた小さな村で、中心にサフィによって建てられたこの星で最初の礼拝堂があった。
アダニアの存命時もそうだったが、彼が亡くなると――実際に死の瞬間に立ち会った者がいないので実は生きているのではないかとも騒がれたらしいが――巡礼する人の数は飛躍的に増えた。厳しい気候の一寒村に過ぎなかったサディアヴィルは、この巡礼ブームによって一気に観光地化した。
今日も巡礼者の数は多く、巡礼者相手の宿屋や土産物屋は賑わっていたが、その一角、礼拝堂の隣に建てられたアダニア派本山の枢機卿館だけは異様な雰囲気に包まれていた。ワット枢機卿は秘密警察の手によって終日軟禁され、一帯は立ち入り禁止だった。卿は体調を崩して寝込む日が多くなり、ジャンルカ・センテニアが身の回りの世話も含め一切を取り仕切っていた。
リチャードは巡礼者の一団に紛れて枢機卿館に近付いた。門の前には秘密警察らしき男が数人立っていた。
一計を案じ、枢機卿館の近くで店を広げる似顔絵描きの老人を捕まえ、耳打ちをしてからポータバインドで金を支払った。そして隣の礼拝堂の屋根にするするとよじ登り、老人に合図をした。老人は商売道具のキャンバスや絵筆を自らの手で地面に投げつけながら「引ったくりだー」と叫んだ。秘密警察の目がそちらに向いた瞬間、リチャードは礼拝堂の屋根から枢機卿館の二階のバルコニーに飛び移った。
バルコニーから室内を覗き込もうとしたリチャードと、室内から外の騒ぎの様子を窺っていたよく似た顔の目が合い、窓が開いた。
「兄上」とジャンルカが小声で言った。「早く中に入って」
そこはワット枢機卿の寝室で、卿は眠っていた。
「お具合はどうだ?」とリチャードが尋ねた。
「あまり良いとは言えません。昨日まではマンスールの手の者の嫌がらせや呪詛がありましたが、今日はぴたりと止んでいます。何もせずとも長くはないと考えたのでしょうか」
「うむ、卿には何としてでも生きていて頂かなくてはならない。お前だけで大丈夫か」
「大丈夫です。この『アダニアの杖』により、邪法を退ける力が増したようです。それより兄上、ダーラン、フォローに続いてヌエヴァポルトでも騒動があったようですが」
「コメッティーノも動き出したか。私たちは『錬金塔』を破壊するためのスペシャルチームを組んでいる。オーラの月が終わるまでにはこの星を解放する。お前も卿をお守りするのだぞ」
リチャードが枢機卿の寝顔を確認して出ていこうとすると、ジャンルカが「地下道を通って帰って下さい」と言った。
「では又な。次に会うのはこの星が解放される時だ」
北東 カゼカマの森
ゼクトは日の差し込まない山道を急いだ。皆よりも一日遅く水鏡の術でこの星に着いたので、事は速やかに運ばねばならなかった。
明け方に着いた場所はモータータウンの張先生の道場だったが、すでに閉鎖されているらしく窓が外から打ち付けられ、室内には蜘蛛の巣が張り、淀んだ空気の臭いがした。
仕方なくコメッティーノとリチャード、水牙の四人でよく通った酒場に行った。マスターは外で店の片付けをしていたが、顔を見ると驚いた表情を浮かべてから、ゼクトを店の脇の路地に連れ込み、「ちょっと待ってろ」と言って奥に引っ込んだ。再び出てきた時に手紙を携えていた。
「これを読め」と言って渡された手紙には張先生の文字で「ゼクトへ」と書いてあった。
ゼクトへ
連邦が侵攻すると聞き、きっと弟子たち、コメッティーノ、リチャード、ゼクト、水牙のいずれかがここを訪れるはずと筆を執ったが、おそらく来るのはゼクトだと思い直し、ゼクトだけに向けて手紙を書く。この手紙を読んでいるのであれば無事にモータータウンに着いたのだろう。
わしは現在理由あってモータータウンのある場所に身を隠している。本当ならすぐに会いたいが、その前に為すべき事を伝えよう。
以前、お前たちに伝えた見立ては覚えているか。コメッティーノはすでに完成されており、何も心配はない。リチャードもすでに自分の進むべき道を見つけつつある。水牙については……わしではない別の誰かが道を指し示すはずだ。
そうなるとゼクト、道に迷うのはお前だ。
お前自身が一番よくわかっているはずだ。これからの戦いに臨むにあたってそれを克服しなければ、お前は仲間の足を引っ張るだけの存在になりかねない。
コメッティーノたち、そして会った事はないがリン文月と対等にやっていけるかどうか、それはこれからの修行にかかっている。
ここから北にある『カゼカマの森』に行け。そこにお前の答えがある。
張
先生の言葉を胸に、ゼクトは森へと急いだ。
すっかり日は沈み、夜の帳が降りようとしていた。ゼクトは歩みを止めた。右手でかすかな声が聞こえたような気がした。もう一度耳を澄ました。確かに声が右手の深い森から聞こえた。
(やあ、久々のお客さんだ。おいでよ、ぼくの技がほしいんだろ)
間違いなくそこがカゼカマの森だった。ゼクトは深く茂った草をかきわけ、森の中へ入った。