目次
1 魔王
チベットの奥地、山を分け入った所に滅多に人の訪れない高原があった。その中心には小さな湖があり、青い水を湛えている。
湖の形は上空から見ると円形だったが、そこから東西南北に道が十字のように伸びていて、突端には人一人が立てるような祭壇が設置されていた。
今は亡きアンビスの幹部サン・カカ・ティエンがその生涯の多くの時間を費やし、この日のために準備した舞台だった。
数隻の大型シップが上空に現れ、初めに一隻が湖の西側に着陸した。
降りてきたのは大柄な『司祭』だった。
司祭は付き添うように降りた数十名の完全武装の兵士たちを迷惑そうに見て言った。
「君たち、私の援護は必要ないから。北や東に行きなさい」
司祭は兵士たちを追いやってから満足そうに笑った。
「ふふふ、あの小僧の事だ。又追いかけてくるに決まっている」
続いて二隻のシップが湖の北側に着陸し、『総統』と多くの兵士が降り、東には残った一隻のシップが着陸し、『皇帝』が大地を踏みしめた。
「何だ、この乗り物は。生きた心地がせん。しかもここは寒いではないか」
湖の東に降りた皇帝がひとしきり文句を言うとすぐに兵士が丈の長いコートを皇帝の背にかけた。
「まあ、一度死んだ身だ。文句も言えん」
すっかり機嫌の直った皇帝は鼻歌交じりで湖の端にあつらえた祭壇に向かって歩いていった。
北に降りた総統も肩からコートを羽織り、満足そうに言った。
「どうやらもう一人の男、『魔王』も間に合ったようだ」
双眼鏡を覗き込みながら、湖の南側を見ていた総統は兵士に指令を出した。
「通信ができる者数名で湖の南側に向かえ。私の声に合わせて儀式を開始するからな。後の者は散開。先ほどの小僧たちや東の皇帝を倒した者たちが来るかもしれんのでそれに備えよ」
総統の言葉通り、湖の南側には馬に乗った数名の男たちと徒歩の兵士たち合わせて数十名が待機していた。
「どうやら他の者も着いたようだな。あの空翔る船は恐ろしいわい」
男たちが待機する湖の南側に近い場所に姿を現したのはヌエに跨るセキだった。
険しい山を越え、緑溢れる草原と湖が見えたのでセキとヌエは喜び勇んで駆けた。
突然に前方の草むらが揺れ、そこから一人の男が飛び出した。
「文月セキ殿ですな」
「そうだけど、あなたは」
「小太郎と申します」
「驚いたよ。気配を感じなかった――茶々と同じ種類の人だ」
「生憎、その茶々という御仁を存じ上げないので――それよりもこちらに」
セキとヌエは小太郎という男に案内され、湖の南端に連れていかれた。
馬を下りた一人の男が背中を向けて立っていた。
小太郎はいつの間にか姿を消していた。
「文月セキだな」
「うん、あなたは?」
「『第六天魔王』だ」
会話はそれきり続かず、セキがしびれを切らして言った。
「用事がないなら行くよ。ここで兄妹に会う約束なんだ」
「セキ、お主は気付かぬか。この湖を覆う異様な気配に」
「うん、この辺りにもたくさん人が隠れているよね」
「ほぉ、潜んでいる間者の気配を察するとはなかなかのものだ。どうだ、ここでしばらく様子見といこうではないか。間もなくお主の兄妹たち、儂にとっては可愛い子孫たちがここにやってくる」
「子孫……僕も?」
「無論」
「あなたは一体――」
「小太郎、西に行き手助けをするのじゃ。後の者は東に向かえ」