7.2. Story 8 南へ西へ

 Story 9 Ritual

1 蠱毒の宴

 泰山を降りたコウの一行は北の都を目指した。
「順天、じいさんと沙虎はどこに行ったんだ?」
「コウ様とセキ様の再会の宴の準備があると言われてましたわ」

「なるほど。セキはこっちに向かってんのか。日本はもうカタがついたんだな」
「ええ、元からあの地を守る者の血筋ですから話は早いです」
「……守る者……血筋?」

「コウ様、セキ様のお持ちの『鎮山の剣』はご覧になりました?」
「ああ、親父の使ってた剣で今はセキの得物だ」
「その剣こそがかの地を安寧へと導く鍵。セキ様はそれを然るべき場所に奉納してからこちらに参ります」
「って事はあいつ、得物がねえのか?」
「いえ、新たな剣を携えた新たな仲間がすぐに見つかる。セキ様はそういう方ですわ」

「なあ、順天。セキに会った事ねえのに何であいつの事、良く知ってんだ?」
「コウ様の事も存じ上げておりますわ」
「質問の仕方を変えた方がいいか。何で遠くにいるセキの様子がわかるんだ?」
「……歴史の必然です。私とコウ様が出会ったように全ては天意に沿って進むしかないのです」
「お、おう、そうかもな」

 
 北の都に着いたのは日が暮れかかる頃だった。この街でも道中と同様、人の姿は少なく、車があちこちに乗り捨てられたままだった。
「少し空気がきれいになればいいのですが」
 順天は道路を占拠する乗り捨てられたままの車を見ながら呟いた。

「ところでじいさんたちはどこだ?」とコウが言った。
「さあ、この辺りの飯店のどこかにいるのではないでしょうか」

 
 順天の言葉に従って、広大な無人の都会の立派な飯店を一軒ずつ探し始めた。
 中には扉に板を打ち付け、外からは入れないようにしていた店もあったが、普段通りの雰囲気を保っているのに店の人間も客もいない、もぬけの殻がほとんどだった。
「しかしまあ、何が起こったんだ?」
「この何億という人が暮らす大都会の水道に毒が撒かれました」
「そりゃひどいな」
「ええ、水を司る者にとっては屈辱的な出来事です。このように表に出てきた理由の一つもその者に罰を与えるためなのです」

「順天でも怒る事あるんだな。で、相手は?」
「かつては高貴な身分の婦人でしたが、偶然訪れた旅の修行僧に懸想し、そのお方の気を惹くため周囲の者たちを次々に毒殺していき、最期は将軍直々が指揮した軍勢に取り囲まれ、斬り殺されました」
「やっぱり蘇った魔物か?」
「はい。『毒壺夫人』という通り名です」

「って事はセキとの再会もそうだけど、その化物退治がメインイベントだな?」
「そのつもりでおります」
「まずはじいさんたちを探すか」

 
 探し始めて一時間後、突然に目の前に灯りが飛び込んできた。ほぼ全ての店が無人で街自体が真っ暗なのに、そのビルの一角だけが華やかな光に包まれていた。
「どう見たってここだな」
「入ってみましょう」

 コウと順天が店に入ると、他に客のいない広い店内の中央の大きなテーブルで大樹老人、沙虎とセキが熱心に話し込んでいた。
「おう、遅かったではないか」
 老人がコウに気付いて声をかけた。
「ちゃんと段取りしてくれよな」
「すまんすまん。沙虎に迎えに行かせるつもりだったが、日本の話で盛り上がってしまってな」

「まったくしょうがねえな」
 コウはそう言って笑いながらセキと再会の抱擁を交わした。

「セキ、元気だったか?」
「うん。コウも元気そうだね。たくさんの人がいるけどいきなり話し始めちゃったからちゃんと紹介してよ」

 
「これは大樹老人とか名乗ってるが、本当の所はわからない。嘘っぱちの名前ばっかり使う変なじいさんだ。ペットボトルを体中に巻き付けてんのが沙虎、ああしねえと頭の皿が渇いた時に大変な事が起こる物騒な化物だ。それからおれの隣は順天公主、竜王、つまりは創造主ウルトマの娘さんだ――弟のセキだ」

 互いに挨拶をしてからセキがコウに言った。
「僕も紹介しなきゃ」
 セキがテーブルの下に声をかけるとそこから真っ白なふさふさの毛に覆われた巨大なむく犬が現れた。
「この子はヌエ。どうやらこっちに住んでた事があるみたいでさっきから『懐かしい』を連発してる」

「『懐かしい』って、こいつしゃべんのか?」とコウが言って周囲を見回したが、老人も順天も沙虎も特に驚いた様子は見せず、にこにこと笑っているだけだった。
「コウよ。何も珍しくあるまい――しかしヌエがいるのであれば饕餮はヌエに相手してもらえば良かったな」と言って老人が高笑いをした。
(悪い冗談は止めろよ。何でおれが饕餮とやり合わなきゃならねえんだ)

「あっ、しゃべったっていうか、脳に直接響いた」とコウだけが驚きの表情を見せた。
(へえ、お前もずいぶん強そうじゃねえか。棒がお似合いだぜ)
 ヌエが言うとセキが目を輝かせた。
「コウ。得物を変えたんだね?」
「そういうお前だって変えたろ。後で見せ合おうぜ――それより飯にしようや。腹が減っちまった」

 
 着席したコウたちの席にどこから現れたのか白服の給仕たちがスープを運んできた。五十センチくらいの高さの立派な陶器の壺に入ったスープが各人の皿に注がれ、壺は円形のテーブルの中央に置かれた。
「うまそうな匂いだ」
 コウが言うと老人が笑いながら「匂いだけはな」と答えた。
「仕方ねえな。こんなに――おい、じいさん、順天。テーブルから離れてな」

 全員が立ち上がり、テーブルから離れた所を見計らって、コウがテーブルの上の壺を棒でたたき割った。割れた壺の中から現れたのは見た事のない虫や生き物だった。
「うぁ、グロ――」とセキが言いかけた時に、突然沙虎が頭を抱えて苦しみ出した。
「ありゃ、どうやら頭の皿にこのゲテ物スープの滴がかかったらしいや」と言って笑っていたコウの表情が変わった。

 頭を抱えていた沙虎の動きが止まり、ぐんぐん身の丈が大きくなって、ついにはビルの天井を突き破った。
 巨大化した沙虎は頭を振りながら暴れ回った。
「おい、セキ。沙虎は放っといてこの料理を作った野郎、絞めてやろうぜ。じいさん、沙虎は任せた」
 コウとセキは店の厨房に走った。

 
 コウたちが調理場に飛び込んでいくといきなり包丁が飛んできた。
 包丁を避けると調理人たちが逃げていくのが見えた。
「待ちやがれ」
 コウたちが調理場の奥の食材置き場を抜けて、さらに奥の酒蔵に向かおうとした時に声が聞こえた。

「お願いです。助けて下さい」
 コウが声の主を見るとそこには両足を棒につながれた巨大な黒豚が横たわっていた。
「何だ、てめえは」
「あっしは山猪ってつまんねえ者ですが、ここの主の『毒壺夫人』の食事をつまみ食いしたのがばれて、丸焼きにされて今日来る大事なお客さんに出されちまうんですよ」
「その大事なお客さんってのはおれたちだ」
「えっ、それにしちゃあバタバタしてますね」
「詳しい話は後だ。縄だけほどいてやっからどこへでも行け」
「ありがとうござい」
 縄を切ってやると山猪は人間の姿に変わり、何度もお礼をして去っていった。

 
 コウたちは酒蔵に走っていった。
 酒蔵は暗闇に包まれていた。セキが剣を抜いて炎を灯し、周囲を見回した。年代物の巨大な古酒の壺が幾つも並んでいた。
「人の気配はしないね」
「いよいよ怪しいな――セキ、どっかに抜け道がねえか探してみろよ」
 二人が酒蔵の中を探し回っていると一番古そうな壺の裏に人が一人通れそうな道が続いていた。
「セキ、どいてろ」
 コウはそう言って棒で壺を叩き割った。甘い酒の匂いが酒蔵中に広がった。
「くうぁ、酔っぱらっちまう前に行こうぜ」

 
 細い道を更に走り続け、しばらくすると開けた場所に出た。
「ここはどこだ?」
(王宮だ)
 コウたちが慌てて振り向くとヌエが付いてきていた。
「ヌエ、来たんだね」
(沙虎の相手よりはこっちの方が面白そうだしな。さあ、行こうぜ)
「行こうぜって、お前、王宮に来た事あんのか?」
(一度だけな。ぼやぼやしてるとこの広い地下で迷子になって一生出られなくなるぞ)

 
 コウとセキはヌエの先導で地下道を歩いた。地下を流れる川に架かった橋を越え、そそり立つ壁を登り、王宮の内部へと潜入した。
 地下には幾つもの部屋があった。絵画を保管する部屋、彫像を保管する部屋、その中に壺を保管する部屋もあった。
 部屋の中には大小様々な色とりどりの壺が所狭しと置かれていたが、部屋に入ったコウたちは一目でその部屋から漂う異臭に気付いた。
「馬鹿だなあ。さっきのスープの匂いがすらあ」
 コウはそう言うと部屋の中の壺を片っ端から壊して回った。
(助太刀するぜ)
 セキとヌエも壺を壊し、あっという間に部屋に置いてあった壺の三分の二ほどが粉々に砕け散った。
 コウが残った壺に視線を移すと、その中の一つの壺がかすかに動いていた。
「そこだ!」

 壺は棒の一撃を避け、空中に飛び上がった。セキとヌエがあっけに取られる中、コウと壺の戦いが始まった。
 コウが棒を振るうと壺がひょいと逃げた。何度か繰り返う内にとうとうコウの棒が壺を地面に叩き落とした。
「てめえが『毒壺夫人』だな」
 近寄ると壺は自力で起き上がり、尚も逃げようとした。

 素手で壺を捕まえようとした瞬間、壺の両側面から長い爪をした女の手が飛び出して、コウは危うくこれを避けた。
「危ねえなあ。どうせ毒でも塗ってんだろ」
 コウは空中で派手に棒を回し、壺に止めの一撃を加えた。

 
 酒店に戻ると老人たちが待っていた。沙虎は元のサイズに戻って不機嫌そうに座っていた。
「よぉ、沙虎。元に戻ったな。毒を浴びると巨大化するとは思わなかったぜ」
「冗談じゃねえや。頭のてっぺんが熱くなったと思ったらもう訳がわかんねえ。かなり練り込んだ毒だ、ありゃ」
「毒壺夫人は倒したかな?」と老人が尋ねた。
「ああ、全部の壺を叩き割ってやったぜ」
「高貴な家柄でもこの世に恨みを抱いておると浅ましいものだな。蘇った途端この都の水に毒を混ぜおった。何百万の人間が死んだんじゃから退治されても仕方ない――さて、街のはずれの安全な場所で改めて再会を祝うとするかの」
「何だよ、やっぱり魔物退治が目的だったんじゃねえか」

 
 コウたちが酒店を出ようとすると声がかかった。
「待ってください。あっしも連れてって頂けやせんか」
 見るとさっき助けた黒豚のような姿の人間だった。
「ああ、いいぜ。皆、こいつは山猪ってんだ」
 セキはこの光景を見て独り言を言った。
「あれ……コウが棒を持ってて……お供が河童と豚……これって何だっけ?……でもお供の名前はサンチョだし……色んな話がごちゃまぜだね」

 

先頭に戻る