(追記)
夕方、目が覚めて、寝泊りしていた部屋のベッドの枕の下に手紙が挟まっているのに気付いた。あれ、昨夜はこんなものあったかなと思いながら手紙を開封した。
そこには日本語でこう綴られていた。
我が孫、ジウランへ 今頃は資料の山を目の前にして途方に暮れ、そして題名を口にして、さらに面食らった事だろう。 ”Nine Lives Chronicle”、いいタイトルだろ。元々、わしがこの星でいう1920年頃から書き綴ってきたものだ。もちろん創作ではないぞ。 読み進めばわかると思うがこれは銀河の歴史を記した書だ。起こった事実を歴史学者であるデズモンド・ピアナの視点から綴っている。 ジウランよ、歴史とは不思議だ。動かしがたい事実は後世の者の書き様で白にも黒にも色を変える。まあ、それをとやかく言うつもりはない。時の為政者が自分に都合の悪い事実をこねくり回し、捻じ曲げるのはよくある話だ。 だが今この銀河で起こっているのはそんなのとは違うレベルの事件だ。事実を捻じ曲げるのではなく、事実そのものが失われてしまったのだ。 数年前のある朝、目覚めたら全てが消えていた、その時のわしの驚きは今のお前にはわからんだろう。いや、お前を馬鹿にしているのではないぞ。多くの星を渡り歩き、銀河連邦にその名を知られたわしだからこそわかったのだ。何しろ突然にポータバインドが――今はこの話をしてもちんぷんかんぷんだろうから止めておく。 これはわしへの挑戦だと直感した。歴史学者であるわしが、自らが記した歴史書の通りの事実、これを『事実の世界』と呼ぼう、それを取り戻すために戦う運命を背負ったのだ。 とは言うものの事実を取り戻す戦いなどどうやればいいのか。わしはまず”Nine Lives Chronicle”に関係するこの星の人たち何人かに会って記憶が残っているか尋ねてみた。彼らの答えはNoだった、この星が生んだ偉大な英雄たちの名前も彼らが成し遂げた偉業も覚えてはいなかったのだ。 それからのわしは狂ったように事実を取り戻すべく奔走した。多くの人が思い出せばそれが過去の事実として徐々に表面に現れてくるんじゃないか、そう考えたわしは様々な場所で様々な人に、ある時は問いかけ、またある時は演説をぶったりもした。だが結果は芳しいものではなかった。 お前が大学に入学した頃はわしもいささか疲れていた。この星の人はそんな事実がなくても結構幸せそうに暮らしている。わしが『事実の世界』を取り戻し、そのせいで白の碁石を黒に変えたら、この星は反対に不幸に陥るのではないか。わしはこの星の苦難に満ちた歴史を身を持って体験しているだけに、無理強いは止めようと思うようになった。このまま平穏無事に日々が過ぎればよい、そう考えたのだが…… この星ではない別の星が危機的状況に直面している事を知った。この星のように事実がなくなっても幸せなままに見える星はむしろ例外で、銀河の圧倒的多数の星々は事実がなくなった事により不幸に陥っていたようなのだ。 わしは銀河の多数派を救う決心をしたものの、それは賭けだった。『事実の世界』を取り戻す事により、この星、地球は何も変わらないのか、それともオセロの盤面のように一気に幸福から不幸に変わってしまうのかがわからなかった。 わしはこの星には一方ならぬ縁がある。長年の放浪を終えて家族ができたのがこの星だ。多数を救う代わりにこの星が不幸になるのであれば、それを手をこまねいて見ているだけなのは忍びない。だからわしの不在中に誰かにこの星を正しい方向に導いてもらいたいのだ。 能太郎が若くしてこの世を去った今となってはお前にその役目を頼むしかない。わしはわがままで無責任か、きっとそうだろうな。 書斎に積んである資料を読んでいけば、お前は事実に触れ、己が為さねばならぬ事が何かを理解できるようになっている。 資料は八つのエピソードに分かれている。お前が理解し、行動しやすいように決まった順番でしか読み進めないようにしておいた。 じっくりと読むのだ、読めば必ずわかる、お前が為すべき事が。ただそんなに時間があるとも考えてはいかん。これはわしらだけの戦いではないのだ。 朝起きた時に何かが変わったと感じたなら、それはわしがどこかの星で『事実の世界』を取り戻したのだと思ってくれ。わしがそう感じた時はお前が何かを成し遂げたと思うようにする。 ではジウラン、よろしく頼むぞ。 デズモンド・ピアナ
手紙を読み終えて、これはきっとじいちゃんのおふざけだと思った。でもあの書斎の山の手品を準備した事を考えるとかなり気合の入った冗談だった。
こういう時は何も考えずにもう一回寝よう、全ては目が覚めてからだ。