ジウランの日記 (1)

 ぼくには幼い頃の記憶がほとんどなかった。
覚えているのは、両親に手を引かれ、今のじいちゃんではない別のじいちゃんの家に遊びに行った事くらいだ。あのじいちゃんはどこの誰だったんだろう。帰りに皆でトンカツを食べたが、それ以外に場所や人物を特定できるものはなかった。

 もう一人だけ覚えている人がいる。あれは両親の葬儀の時だったかもしれない、きれいな、というよりも可愛らしい女の人が来て優しくしてくれた。
だいぶ後で確認したら、母方にも親戚はおらず、ばあちゃんの関係者でもなかったようだ。あの人は誰だったんだろう。
その葬儀の席でじいちゃんはぼくを引き取って育てると宣言したそうだ。

 久我山で一緒に暮らすようになってじいちゃんが謎だらけの人物なのがよくわかった。
朝になると出かけて、夕方帰ってくる。近所の人の話では「宣教師のような仕事に就いている」という事になっていた。ぼくに言わせれば、あんなひねくれ者で言葉より先に手が出るような野蛮人が宣教師のはずがなかった。
一体どうやって生計を立てていたのか、皆目見当がつかなかった。

 じいちゃんは自称「拳法の達人」だった。何かやらかすと拳固をもらったけど、目にも止まらぬ速さで振り下ろされるその拳を避けるなんて絶対にできない相談だった。一緒に暮らし出してすぐに、夕方じいちゃんが帰ってきてから自己流拳法の稽古をつけてくれるのが日課になった。十歳くらいになるとぼくの背も伸び始め、結構いい勝負をしたりすると、じいちゃんは珍しく笑顔を見せた。

 その後、ぼくはどうにかして全寮制の中高一貫校に潜り込み、じいちゃんは湘南のT海岸の近くの一軒家にさっさと引っ込んだ。
寮に入って最初の夏休みにビーチハウスに行った。現れたじいちゃんは以前にもまして不機嫌で無愛想になっていて、無断で書斎に入ろうとしたぼくをものすごい剣幕で怒鳴りつけた。結局どこか居心地の悪いまま数日を過ごし、ぼくは学校の友人の熱海の別荘に転がり込んだ。
帰り際にじいちゃんは「ジウラン、深入りするな。これはわしの問題だ」とだけ言って、何故か淋しそうな顔をした。それ以来、正月休みや夏休みにビーチハウスを訪れても書斎にだけは入らないようにした。

 じいちゃんの行方不明が判明したのは去年の夏休みだった。
ぼくは大学生になり、大森のアパートで一人暮らしをしていたが、夏休みの初日にビーチハウスに行ったら誰もいなかった。二日経っても帰ってこないので、もしかしたらあそこで倒れてるんじゃないかと思い、おそるおそる書斎を覗いた。中は意外にもこぎれいに整頓されていて、見られたら困るものなどどこにもなかった。
このままではまずいと思い、近所の、と言ってもかなり離れているが、おばさんに訊いたら、やはりしばらく姿を見かけないので心配していたらしかった。
色気づくようになってわかった事だが、じいちゃんもぼくも背が高く、外見が外人なので目立つ。そんな外人が一人で暮らしてれば、世話を焼きたくなるのだろう。

 結局、その近所のおばさんが世話を焼いてくれて町内会長や警察が駆けつけた。警官はぼくが身内なのを確認してから、簡単に事情を聞き、中に入る許可を求め、禁断の書斎も含めた家の中を調べて「もうしばらく帰ってこないようなら捜索願いを出し、半年間消息不明なら失踪届けを出してくれ」みたいな事を言い残して帰っていった。

 それからは月に一度くらいの割合でビーチハウスの空気の入れ替えも兼ねて確認に訪れたが帰宅した様子はなかった。
じいちゃんの事だからどこかで死んでるという心配は全くしなかった。
年が明けて失踪届けを出した。じいちゃんの国籍も年齢も怪しかったので適当に書いた。

 半年近く経っても状況に進展はなかった。
ところが今日、例の書斎に一歩足を踏み入れた途端に惨状を目の当たりにした。
困った。

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