男は村の郵便局に勤めていた。
日々届くさほど多くはない量の郵便物を仕分けて、村の家々に配達し、返信の手紙や電報の文言をもらって帰るのが日課だった。
村を南北に貫く大通りの南端に一本の横道があり、ほとんど人通りもない道の先にぽつんと屋敷があって、そこではコリンズさんと言う名の若い女性が一人で暮らしていた。
彼女は恋人と共にこの村に移り住んでその静かな場所に家を建てて幸せな生活を送る予定だった。
だが村から遠く離れた恋人の故郷が戦争に巻き込まれ、彼は彼女を村に残したまま一人戦火の中へ赴いたのだった。
コリンズさんの唯一の楽しみは戦地にいる恋人に書く手紙だった。それに対する彼からの返信は手紙ではなく電報の短い文言だった。
郵便局に勤める男はその文言を少しばかり上質の電報用紙にタイプしてから彼女の下へと届けた。
電報を渡されると彼女は嬉しそうにその内容を確認し、あらかじめ書き記しておいた手紙を男に渡すのだった。
その時の彼女の少しはにかんだような笑顔を見るのが男にとっては何よりの喜びだった。
ある日、男が郵便局に届いた郵便物に目を留めていると、いつもの戦地からの電報があった。
男はそれに目を通し、大きくため息を吐き、首を何度も横に振った。
しばらくそのままの姿勢でいたが、やがて意を決したようにタイプライターの前に向かった。
そうしていつもと変わらず恋人からの便りをコリンズさんに届けたのだった。
この手紙と電報のやり取りは気が付けば何十年も続き、男は白髪の老人になろうとしていた。
最初は恋人が一向に戻らないのを心配したコリンズさんだったが、電報の文面で「戦争は終わったが、国の制度が厳しく簡単には出国できない」と告げられ、渋々納得した。
誕生日に毎年届く愛のメッセージと小さなプレゼントには笑顔を見せ、「故郷で商売を始めた。いつか必ず呼び寄せる」という文言に黙って頷いた。
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ぼくはローイ、トゥーム村の郵便局で働いている。
まだまだ新米なので先輩に付いて仕事を覚えながら村を駆け回っている。
先輩のデプレイスさんはとても優しい人で、いつでも冷静、おっちょこちょいのぼくは見習う事が多かった。
ところが先日、デプレイスさんが牛乳を積んだ馬車に轢かれて大怪我を負ってしまった。
医者のヒッカート先生によれば両足を酷く損傷してもう元のようには歩けないだろうという事だった。
デプレイスさんが無事なのは良かったけど、郵便局の仕事を全部ぼく一人でやらないといけないと途方に暮れていると郵便局長や警察署長、それに村長までやってきて、村を挙げて協力すると言ってくれた。
一安心してようやく落ち着いたある日、車椅子に乗ったデプレイスさんが郵便局に姿を現した。
「あ、デプレイスさん。お体の具合は?」
「ご覧の通り。もう仕事はできやしない。これからは君たち若者の時代さ」
「そんなぼくなんて」
「なあ、ローイ。これから一緒にある場所に行ってもらえないか」
先輩の言い付けでぼくはデプレイスさんの乗った車椅子を押しながら、村の大通りを南に向かった。
向かったのは大通りを一本右手に入り、しばらく進んだ所にある屋敷だった。
「さあ、ここだ。ローイも知ってるだろ?」
「はい。長い間コリンズさんというご婦人が暮らされていて……でも」
デプレイスさんはドアをノックし、いつもと同じ慣れた口調で「郵便局です」と言いながら返事も待たずに屋敷の中に入っていった。
ぼくも慌ててデプレイスさんを追いかけるように中に入り、ある部屋の前で立ち止まるように合図された。
「ローイ。お願いがあるんだが」
「何ですか?」
「ここから先は私一人で行くので君はここで待っていてくれないか。後、局に戻ったらこれを読んでほしい」
渡された一通の手紙をぼくが見つめている間にデプレイスさんは部屋に入り、カチャリと鍵がかかる音がした。
ここから先はぼくがドアに耳をそばだてて聴いた会話だ。
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「コリンズさん、ご機嫌如何でしょうか」
「まあ、デプレイスさん。お怪我をなさったそうですが大丈夫ですか?」
「もう仕事は無理です。本日は申し上げなくてはならない事があり、伺った次第です」
「何でしょう」
「私が長い間、犯し続けた罪についてです。あなたの恋人から長年に渡って電報やお祝いが届いていますが、彼はもうこの世にいません。私が彼に成り代わって代筆をしてきたのです。あなたの手紙を開封し、あなたが欲している事、心配な事、それらに応えられるように電報の内容を作り上げてきました。私は恥知らずの罪人です」
「……わかっていました。戦争は終わったのにいつになっても帰ってこない、何かあったのだなと覚悟を決めましたが、確信が持てなかった。そこで賭けに出たのです。苦手だった薬草入りのキャンディを大好物のように手紙に書いておねだりをした。恋人であれば私があのキャンディを嫌いな事を当然知っていたでしょうが、誕生日にそれは届いた。『君の大好きなキャンディだよ』というメッセージと共に」
「それは」
「あなたはご自分を恥知らずとおっしゃいましたが、あなたの優しさを知りながら騙した私の方がよほど恥知らずです」
「そんな事を言わないで下さい。よかれと思って行った私の行動はあなたの純粋な気持ちをもてあそんだだけでした」
「いえ、本当は嬉しかったんです。初めは恋人からの返信が楽しみでしたが、途中からはそれを代筆するデプレイスさん、あなたからの電報を心待ちにするようになりました」
その後はすすり泣きのような声がかすかに聞こえてきた。
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実はぼくもずっと確認したかったのだ。
どうしてデプレイスさんは届いてもいない電報をタイプライターに打ち込み、配達に出かけるのだろうと。
一連の会話を聞いてその理由がわかったせいか、頭が熱くなって、外気に当たりたかった。
ぼくはドアノブにかけた手を引っ込め、一旦屋敷の外に出て、大きく深呼吸をした。
帰ってから開けるように言われていたデプレイスさんの手紙を開封すると、そこには今しがたの会話通りの内容とそれに対する謝罪、後を継ぐぼくに対しても謝罪と期待の言葉が並んでいて、最後に今いるこの通りの名前を「テレグラフ・ロード」と呼んで欲しいというお願いが書かれていた。
ぼくは手紙から目を離し、再び屋敷を見た。
「デプレイスさん、あなたがした事は許されない事ですけど、そんなに悲観する事でもありません。だって少なくともぼくがこの村に来て以来、その屋敷には誰も住んでいないんですから」